8.
昼食を終え、アンナに案内されて向かった応接室には、既に教育係をして下さるという女性の姿があった。
私に気付いたその女性は、長椅子から立ち上がると流れる動きで淑女の礼をして言った。
「お初にお目にかかります、リリィ様。
リリィ様の教育係を務めさせて頂くことになりました、レアと申します」
「レア先生ですね。 お初にお目にかかります、フランセル王国から参り、シャルル殿下の妃となったリリィと申します。 宜しくお願い致します」
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します」
そう言ってふわりと笑みを浮かべたレア先生はとても素敵で上品な方で。
思わず見惚れてしまっていると、レア先生は手を叩いて言った。
「シャルル殿下より貴女のお噂をお聞きして、お会いするのを楽しみにしていたのですが、本当に可愛らしい女性で安心致しました。 シャルル殿下のお気持ちがよく分かりますわ」
「い、いえ、そんな」
(シャルル殿下は一体何をレア先生に言っているのかしら……、それよりも、こんな美人な方が先生だなんて)
あれ、でもと私は首を傾げた。
「レア先生はシャルル殿下の教育係でいらっしゃったとお聞きしているのですが……」
私の言葉に、彼女は笑って言った。
「そうですよ。 シャルル殿下の幼い頃より仕えておりました。 ……もしかしたら、この見目のせいで若く見えるのかもしれませんが、これでも私は今年で40歳になるんですよ」
「よ、40歳!? ……あ、し、失礼致しました……!」
「ふふ、リリィ様は素直な方なのですね」
私は不躾にも驚きを隠せずにいた。
(よ、40歳といえば私のお母様方と同世代だわ! それなのに、どう見ても先生はそれよりもずっと若く見える……)
本当に綺麗、とまじまじと見つめてしまっていると、彼女はクスクスと笑って言った。
「私は皇室の教育係を引退してから孤児院で教師をしているのですが……、貴女はその子供達と同じ、とても純粋で澄んだ瞳をしていらっしゃるのですね」
「も、申し訳ございません……」
「いいえ、褒めているのですよ。……表裏のない、貴女のような方がこの国の未来の皇妃殿下で安心致しましたわ」
彼女はそう優雅に微笑みを浮かべると、私に向かいの席に座るよう促した。
「今日はお話だけ致しましょう。 今後の計画も少しお話できればと思います」
「はい、お願い致します」
私は彼女の言葉に頷き席に座ると、レア先生のお話に耳を傾けたのだった。
(……レア先生、素敵な方だったな)
長い廊下を歩きながら、先程の先生とのやりとりを思い出す。
(内心厳しい先生かもと身構えていたけれど、レア先生はそんな感じではなく、むしろ話しやすくて気さくな方だったな。
ただ、私が“期間限定のお飾り妃”ということを知らないから、凄く申し訳なく思えてしまう……)
先生は何かと、“私が妃で良かった”と言ってくれる。
その言葉はお世辞からではなく本心から告げられている言葉に感じて、少し居心地が悪かった。
(シャルル殿下の言う“時”というのがいつか分からないから何とも言えないのだけど……、せめてその“時”というのが分かれば、ここまで罪悪感を感じないかしら)
後でもう一度シャルル殿下にダメ元で尋ねてみようかしら、と考えていると、先を歩いていたアンナに声をかけられた。
「リリィ様、お疲れのようでした一度お休みになってからご案内致しましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫よ。 ごめんなさい、少しボーッとしていただけだから」
「畏まりました。 もしお疲れの場合は、遠慮なくお申し付け下さい」
「えぇ、ありがとう」
アンナの言葉に返答したところで、私は小さく頭を振った。
(折角アンナが案内してくれているんだもの、今は城内を覚えることに専念しないと)
教育係のレア先生とお別れした後、シャルル殿下のご命令通りアンナから城内の案内をしてもらっていた。
(それにしても)
「本当に広いのね……」
さすがは大国、と思わずにはいられないほど、長い廊下には数えきれないくらいの扉が並んでおり、その一室一室に名前が付けられており、それぞれ用途が違うため、とてもではないけれど今日一日で覚えられる量ではない。
「……アンナ」
「はい、何でしょう?」
先を歩くアンナに声をかけ、私は苦笑交じりに言った。
「ごめんなさい、後で終わったら地図を頂けるかしら……」
「はい、畏まりました」
アンナはそうですよね、と笑みを溢すと言った。
「お部屋の方は数が多いので、まずは主要なお部屋のみを覚えて頂ければ差し支えないと思います」
「そうするわ」
「はい。 ……あ、でしたら今日は結婚式を行う予定だった大広間へ行ってみませんか?」
その言葉に私は頷いた。
(確かに、興味があるわ)
「行ってみたいわ。 案内してくれる?」
「はい」
アンナはそう言うと、大広間へと案内してくれた。
「ここが、式の会場……」
そこはまるで、以前訪れた教会のように神秘的な空間が広がっていた。
薄い青の床の中央には赤い絨毯が、そして同色の壁には大きなステンドグラスがいくつも並べられており、そのステンドグラスからは太陽の光が会場内に降り注いでいる。
「素敵ね……」
私がそう自然と口にすると、アンナは頷きうっとりとしたように言った。
「こちらは戴冠式や、まだこの国が王国だった際は歴代の国王陛下並びに王妃殿下が式を上げられているそうです。
私はまだ一度もその場に立ち会ったことはないので、今回リリィ様とシャルル殿下が式を上げられるのを拝見するのが初めてになるのです」
「まぁ、そうなのね」
「はい。 ですから、私もお二人の結婚式を心待ちにしている者の一人です」
そう口にしたアンナに対し、「ありがとう」と答えたものの、私は内心苦笑した。
(まぁ、この調子では延期になった式がいつ行われるかも、そもそも開催されるのかすら不明なのだけど)
そんなことを考えつつ、それでもその建物の荘厳さに心を奪われた私は、気が付けば赤い絨毯の上を歩き出していた。
(……ここで、式をするのね)
私も16歳。 結婚に憧れる年ではある。 ……シャルル殿下との婚姻を躊躇っているのは、結婚したくないわけではなく、前世の敵であるという理由だけなのだ。
(こんな前世がなければ、私ももう少し素直に喜べたのかしら)
確かに、シャルル殿下は結婚相手に最適だろう。
一国の皇太子の上にルックスもスタイルも抜群。 性格は……、何を考えているのか分からない点を踏まえて目を瞑った方が良いかもしれないけれど、私の妃というポジションもを欲しいと思う女性は間違いなく多いに違いない。
(出来れば、今すぐ譲って差し上げたいくらいだけど)
はぁ、と息を吐きながら歩いていたら、コツンと爪先が何かに当たった。
下を向けば、そこには階段があって。
(この階段を上って舞台に上がるのね)
上からの景色はどんな感じなのかしら、と好奇心から一歩段に足を踏み出した、その時。
ーーーキィンッ
「っ!?」
一瞬の耳鳴りと共に、見間違いでなければ足元が淡く光を放った……気がした。
驚いてアンナの方を反射的に振り返れば、入り口付近で待機していたアンナが「如何なさいましたか?」と大きな声で言った。 それに対し私は尋ねる。
「ねぇ、アンナ、今何か音がしたり光ったりしなかった?」
「いいえ、特に何もございませんでしたが」
「……そう」
念のため、もう一度その場で足踏みをしたり二段目に上ってみたりしたものの、先程の現象は現れることはなく、何も起こらない。
(……本格的に疲れたのかしら)
そう謎現象に結論付け、舞台へと続く階段をそれ以上上ることはないまま、その日の城内見学は終了したのだった。