6.
そして迎えた、結婚式当日。
私は、朝早くから起きて純白のウエディングドレスに身を包み一流の化粧を施して凝ったデザインの複雑な髪型に結ってもらい支度は万全……のはずだった。 予定通りであれば。
「え、今何て?」
「昨夜より殿下が体調を崩されており、医師の判断により結婚式は中止となりました」
「!」
シャルル殿下付きの従者であるバジルさんという方が訪ねてきて、開口一番にそう告げられた言葉に、私は言葉を失い絶句し……、激怒した。
(はぁ!? そんなのアリなの!?)
まさか昨日、私に注意しておいて自分が風邪を引いただなんて、そんなことある!?
(……いや、待って)
殿下が風邪を引いて結婚式が出来ない。 それはつまり……。
「結婚は解消されるということ!?」
私の(歓喜の)言葉にバジルさんは慌てたように答えた。
「いえ、あくまで式自体が延期になるだけで、正式な結婚は既に両国で認められておりますので、本日を以てリリィ様はリリィ・クラヴェル様……、つまりこの国の皇太子妃殿下となります!」
「……そうなのね」
一瞬見えた希望の光は呆気なく閉ざされてしまった。
(残念だわ……、式がなくなっても書面上の婚姻が既に済んでいるだなんて!)
本当は今すぐにでも国に帰りたいくらいなのに、と歯噛みしつつ諦めて尋ねた。
「……では、今こちらにいるお兄様はどうなさるの?」
「セドリック・フランセル殿下は、予定通り本日ご帰国されるそうです」
「……そう」
(結局、結婚式も行わず、お兄様はフランセルに帰国し、私は書面上のお飾り王太子妃になるのか……)
私の落ち込んでいる様子に、バジルさんは慌てたように言う。
「セドリック・フランセル殿下がお帰りになるまでお話しされてはいかがですか?」
「……そうするわ」
とりあえず、お兄様とお話ししよう。
これで当分、家族と直接お話しする機会はなくなるのだから。
私は小さく息を吐き、席を立ったのだった。
「今日は残念だったね」
「……えぇ」
お兄様が使われているという来賓用の部屋に通されると、気を利かせてアンナが退出してくれて、お兄様と二人きりにさせてくれた。
「でも信じられないわ! 国と国との大切な儀式でもあるからと、多忙なお兄様も来て下さったというのに、私の心配をするより自分の体調管理くらいしっかりしてほしいものだわ!」
「私の心配って?」
「! そ、それはともかく、こんな大切な時に風邪を引かないでほしいって言うの!」
お兄様の聞き返した言葉を慌てて遮り話を逸らすと、お兄様は「そうだね」と紅茶を一口飲み口を開いた。
「私としても、もう少しでリリィの花嫁姿を見られるというところでお預けをくらったというかそもそもリリィにはまだ結婚は早すぎると思うから今すぐ国へ連れて帰りたいというかそんな複雑な兄心なんだが私はどうしたら良い」
「あ、はは……」
(ついにお兄様が壊れたーっ!)
ほぼ息継ぎなしでそうお兄様の心境を聞いた私は苦笑いを返せば、お兄様は再度紅茶を飲むと、気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしてから言った。
「まぁ、式自体は延期になるようだし、決まり次第連絡をくれると言っているからまた来るよ。
……リリィ、無理はしないで、辛くなったらいつでも帰ってくるんだよ」
その温かな言葉に不意に泣きそうになる。
(本当に、今すぐにでも帰りたい)
けれど、決めたの。 こう言ってくれる温かい家族を、今度は私が守るんだって。
だから。
「ありがとう、お兄様。 その言葉だけで十分、心強いわ」
「!」
(そう、私の味方をしてくれている家族がいる。 それだけで十分、幸せなことだから)
私の願いはただ一つ。
家族が元気に幸せに暮らしてくれること。
この結婚によってそれが守られると信じているから。
私の言葉にお兄様は目を丸くした後、フッと笑ったかと思えば、突然顔を覆って泣き出した。
「お、お兄様!?」
「っ、リリィが……っ、あんなに小さかったリリィが、こんなに素敵な女性になって、お嫁に行ってしまうなんて……っ」
お兄様の言葉に、私は思わずクスクスと笑ってしまったのだった。
そしてフランセル王国に向かって帰っていくお兄様を乗せた馬車を見送ってから、私はさて、と息を吐くと側に控えていたアンナに声をかけた。
「アンナ、これからシャルル殿下のお見舞いに行きたいのだけど……、可能かしら?」
「! かしこまりました。 確認して参りますので、少々お待ちください」
彼女は私の言葉が予想外だったらしく驚いていたけれど、すぐに言葉通り確認しに行ってくれた。
残された私は、その場で大人しく待つ。
(本当は、“お見舞い”というのは口実で、本人に直接文句の一つでも言わないと気が済まないだけなのだけれど……)
この結婚式の準備には沢山の人々が携わってくれていたのだ、いくら延期するといえど今日のために準備を行ってきてくれた方々の労力を無にしたも同然だ。
(いくら私の国がお金を負担していないといえど、こちらだって嫁ぐためにそれ相応の準備はしているのよ! ……それだったら最初から式なんてなしにして欲しかったわ)
その方がずっと気が楽だったのに、なんて考えていると、アンナがしばらくして戻ってきた。
「アンナ、ありがとう。 どうだった?」
「は、はい、お見舞いは可能とのことなのですが、それが……」
そうして許可を得てシャルル殿下の元を訪ねた私が目にしたのは。
「……ほ、本当に具合が悪かったのね」
私の言葉に、彼の従者であるバジルさんが「はい」と頷いた。
私は式が中止だと聞いて少しだけ、いや、かなり仮病だと疑っていたのだけど……、これは確かに具合が悪そうだ。
ベッドで寝ている彼の顔は苦しげで、額にも汗が滲んでおり、呼吸も苦しそうだった。
(……何よ、これでは文句の一つも言えないじゃない)
彼に対しての先ほどまでの怒りが、急速に萎んでいく。
私だって、病人相手に説教をするほど非情ではない。
(まぁ、もう少し体調が良くなったら言わせてもらうでしょうけど)
「では、私はこれで」
「あ、ありがとう」
そう言ってバジルさんが部屋から出て行き、部屋には私とシャルル殿下の二人きりになる。
(いや、この状況で二人きりにされてもね)
お見舞いと言ったから席を外してくれたんだろう。
でも、お見舞いより説教をしにきた私としては、本来の目的を果たすことが出来ず、結果することがなくなってしまった。
(それにしても)
「……どうしたらそんなに具合が悪くなれるのよ」
昨夜はそんな感じはしなかったのに、と思わず呟く。
それほど彼は苦しげで。 悪い夢でも見ているんだろうか、と思わず顔を覗き込んだその時。
「……!」
「……っ」
彼がうっすらと目を開いた。
その虚ろな表情に、私はその姿勢のまま固まってしまっていると、彼は掠れた声で呟いた。
「……リリィ?」
「!」
そう名を呼ばれ、私はハッとして慌てて立ち上がる。
「っ、ち、がうの、これは」
何もやましいことなどないのに、驚きすぎてとりあえず口を開こうとしたその時。
パシッと、力強い腕が私の手首を掴んだ。
え、と状況を飲み込めない私に追い討ちをかけるように、彼は必死に訴えるように言った。
「……どこ、へも、行かない、で……」
「え……」
「……そば、に……」
そう口にして、再びそのアイスブルーの瞳は固く閉ざされて見えなくなった。
「……え?」
未だに状況が理解できていない私は、掴まれた腕と彼の言葉を反芻し、ようやく事態を把握してもなお、ただただ呆然としてしまうのだった。