29.
(……ついに、この日が来たのね)
ゆっくりと目を開ければ、純白のドレスに身を包んだ、花嫁姿の私の姿が鏡に映し出される。
この結婚は、陛下に命じられたいわゆる“政略結婚”のはずだった。
けれど、今は違う。
(私は自らの意志で、シャルル・クラヴェルとの結婚を選んだ。
……そして、そんな彼と一生添い遂げると)
彼の隣で、このクラヴェル国を正しい道に……、平和を築いていけたら、それはフランセル国の平和に繋がると考えて良いだろう。
(どうか今日という日が、何事もなく終わりますように)
そう祈りを込めていると、侍女に「シャルル殿下がお待ちです」と告げられる。 その言葉に頷き、扉の前へと向かうと、扉が侍女の手によって開かれる。 そして……。
「「……!」」
扉の外から現れた彼……、同じく純白の衣装に身を包んだ彼の姿に、思わず息を呑む。 それは彼も同じのようだった。
二人で静かに互いを見つめ合うと、そっと彼の方から手を差し出された。
「……リリィ姫、手を」
「はい」
彼の言葉に頷きそっと自分の手を重ねると、彼のエスコートでゆっくりと歩き出した。
長い廊下を二人で歩く間、言葉は交わさない。
それは、シャルルと事前に決めていたからだ。
私達が夜に逢瀬を重ねていたことは皆知らない。
仲が悪いということを印象付けなければ、あらぬ疑い……、私が彼を籠絡しようとしているだとか、そういった懸念もある。 何より、彼が陛下から私に関する情報を聞き出せという命令をされているため、シャルルの方から提案してきたのだ。
会場である大広間へ向かう前に、シャルルは待機部屋だという部屋に連れて来てくれた。
控室の扉を閉じ、二人きりになったところでようやく同時に息を吐いた。
私達は苦笑いを浮かべると、扉の外にいる護衛に聞こえないよう、声を潜めて言葉を交わす。
「式の前から緊張した……」
「他方面に気を遣わなければならないもの、大変よね」
「でも、こういう関係も悪くないと思わない?」
「!」
そう言って、シャルルは唇に人差し指を当てて悪戯っぽく笑うものだから、それを見て驚いてしまう。
「あ、貴方でもそんなことを言うのね」
「あはは。 もしかしたら、少し浮かれているのかも。
……リリィと、これから先もずっと一緒にいられるんだと思うと、嬉しくて」
そう言って、シャルルが心から幸せそうに笑うのに対し、私もつられて笑みを溢す。
彼は私の手を取ると、真剣な眼差しで言った。
「ここから、僕達の新しい未来が始まる。
まずは今日のこの日を、無事に終えられることを祈ろう」
「……えぇ」
私は取られた手をしっかりと握り頷く。
それを見て、彼は頷きを返し、そしてするっと手を離すと、廊下に控えている護衛達にも聞こえるように言った。
「会場で待っている」
「はい」
シャルルはそう言うと、踵を返し部屋を出て行った。
(……シャルルの言う通りだわ。 私は彼のために、そしてフランセルのために、この地で生きることを選んだのだから)
私はギュッと両手を胸の前で握り、呟く。
「どうか、私たちが望む未来へ……、平和な未来へ、導くことが出来ますように」
だが、そんな私の願いは、虚しくも崩れ去ることになる……。
結婚式は大々的に行われた。
特に、参列者の中にはクラヴェル側の重鎮であろう装いをしている人々や騎士が大勢いる。 一方のフランセル側はというと、ミレーヌお姉様を含めた捕虜の騎士が数名いるのみ。 この結婚式が、フランセルを実質的な支配下に置いたという、クラヴェル側の思惑の上で成り立っているものであることは歴然だった。
(……悔しい)
だからこそ、この国でシャルルの手を取り、妃となってこの歪んだ世界を変える。 そう心に決めたのだ。
私は一歩一歩、踏みしめるように彼のいる壇上へと向かう。
その彼と、視線が交じり合ったその時、不意に足元から凍るような空気が漂った。 その覚えのある異変に、身体に緊張が走る。
(……っ、まさか!)
参列者の方に目を走らせたその時、グサッと鈍い音が耳に届いた。
「え……」
驚き音のした方に目を向ける私の視界を、何かが遮る。
一瞬見えたのは、紺色のサラリとした髪。
刹那、ドサッと床に落ちる音がした。
「……シャ、ルル……?」
何が起こったのか、分からなかった。
―――倒れているシャルル、腹部で光る氷柱、床に広がっていく赤……
「陛下が、殿下が刺された!」
「フランセルの者を捕らえろ!」
「姫も捕らえるんだ!」
そんな喧騒さえ遠く感じる。
私は息をするのも忘れ、呆然と倒れる彼の姿を見つめる。
(……嘘)
「何をしている、早く姫を捕らえろ!!」
その言葉に、私は素早く手を拘束される。
(……違う、私じゃない)
腹部の氷柱は、私ではなく、ミレーヌお姉様の……。
(……嫌)
「殿下に何をした!」
(こんなのは、違う)
「答えろ、リリィ・フランセル!!」
「……違う」
「何が違うんだ!」
声を荒げる騎士には構わず、私は心の内を叫んだ。
「こんなのは、私が望んだ運命じゃない……!!」
その瞬間、周りが虹色に染め上がる。だが、いつもとは違い時は止まっていなかった。
それは、この魔法が特別であることを意味していた。
「……リ、リィ?」
シャルルがうっすらと目を開ける。
掠れた声でそう私の名を呼ぶ彼の声を聞いて、私は騎士の腕を払い除け、シャルルの傍らで膝を突き、腹部の傷を手で押さえた。
「喋っては駄目、傷に障るわ」
「……リ、リィ、瞳が……っ、まさか、駄目だ、あの、魔法だけは……っ」
シャルルの必死の訴えに、私は首を横に振り答える。
「ごめんなさい、その願いは聞けない。
約束したでしょう? 二人で必ず、幸せになろうって。
……そのためには、こうするしかないの」
「っ、駄目、だよ、それ、では、君、が……っ」
「シャルル。 愛しているわ」
「……!」
シャルルの碧色の瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれ、大粒の涙が零れ落ちる。
私はそんな彼の手を握ると、そっと瞼を閉じ、やがてゆっくりと開けて言葉を発した。
「我が名は、リリィ・フランセル。 フランセルの地に生まれ、血を継ぐもの。
時の女神よ、我が命において、これより時の歯車を逆行させる」
その言葉の後に、巨大な歯車がいくつも出現し、浮かび上がる。
そして、私とシャルルを中心に、魔法陣が浮かび上がった。
「私の望みは、ただ一つ。私が愛するシャルル・クラヴェルと、それを囲む者達の命が、本来の命を全うするまで、この魔法は持続するものとする。
……その代償は、私の命と記憶の全て」
刹那、魔法陣が眩いばかりの光を放ち、歯車が時計とは反対方向に回り始める。
それと共に、私の内に秘めた魔力や記憶の全てが、根こそぎ奪われていく感覚に陥り、意識が朦朧としていく……。
「……っ、リ、リィ」
遠くで、シャルルの声がする。
温もりを感じていたはずの繋がれた手には、もう感覚がない。
(……ごめんね、シャルル)
貴方を、最後の最後で困らせてしまった。
どこまでも優しい貴方に甘えて、悲しい結末を迎えることを恐れて逃げ出してしまった。
(次に会う時は、貴方のことを覚えていないけれど)
きっと見つけて、手を差し伸べて。
そして今度こそ、二人で描いた幸せな結末を……―――




