26.
その日の夜、私はなかなか寝付けなかった。
(それはそうよね、“あんなこと”があった後だもの)
あんなこと、とは、クラヴェルの皇太子との結婚を命じられてしまったことだ。
(……それに)
チラ、と自分の姿を見下ろせば、昨夜とは打って変わり、上質な肌触りの良い夜着に身を包む、身綺麗な私の姿が映し出される。 横たわっているベッドもふかふかで、まさに好待遇のこの状況は、次期皇太子妃としての扱われ方そのものだった。
(まあ、窓には外側からも鍵がかけられているようだし、扉の外には騎士や使用人が何人もいるようだから、逃げられないようにはなっているけれど……)
私の魔法を使えば一発で脱走可能だからそれらは無意味なものだけれど、私が逃げてしまったら何のために人質になったか分からなくなってしまうから、そんな真似はしない。
(ご苦労なことよね)
そう悪たれをつき、寝返りを打つ。
(……この先、どうなってしまうのかしら)
シャルル・クラヴェル……、彼はどんな気持ちで、敗戦国の姫との婚姻を命じられたのかしら。
―――濃紺の髪に、アイスブルーの瞳。
(どちらかというと……)
などと彼のことを思い出していた、その時。
……キィッ
「……っ」
ハッと息を呑んだ。
(誰かが部屋に入ってきた……!)
誰? もしかして私の暗殺を命じられた!?
魔法を使おうか迷っているうちに、足音はどんどん近付いてくる。
(っ、こうなったら……!)
私はギュッと目を瞑った。
そして、その人物が私のベッドの脇で足を止め、被っていた布団に手を伸ばす……気配を察知して、私はガバッと身を起こした。
「!?」
その人物の手を思い切り強くベッドの方へ引っ張り、その人物がバランスを崩してベッドに仰向けに倒れた刹那、私は反対にその人物に乗る形でその喉元に……、持っていた剣を突き付けた。
(ミレーヌお姉様に護身術を学んでおいて良かったわ……!)
とミレーヌお姉様に感謝しながら、驚き私を見上げる人物を見下ろして、私は鼻で笑って言った。
「まさか、貴方の方から来てくれるとは思わなかったわ。 ……皇太子さん」
「!」
私の部屋に侵入してきた人物は、結婚を命じられた相手であるシャルル・クラヴェル、その人だった。
私の言葉に、特徴的なアイスブルーの瞳が大きく見開かれるのを見て、私は言葉を続ける。
「こんな夜中に、淑女の部屋に何の断りもなく入ってくるだなんて。 敗戦国の姫だから何をしても良いと思っているのでしょう?
流石、クラヴェルはやることが違うわ」
「!? ち、違っ」
「何が違うの?」
何故か慌て出す彼を見て、私は喉元に突き付けた剣を少し持ち上げ、彼の目の前に突きつける。
「これが何だか分かる?」
「……?」
彼は素直に私の言う通りに剣を見て、僅かに首を傾げた。
そんな彼に苛立ちを隠せず、私は声を荒げた。
「これは、貴方方が殺したフランセルの国王……、私のお父様の形見よ!」
「……!」
そう、私がこの国へ来ると言った際に、ミレーヌお姉様から持たせてもらったものだ。
“何かあったら、これを使いなさい。 大丈夫、お父様が必ず守って下さる”からと……。
私はその柄を持つ手に力を込め、再度彼の喉元に突き付けて言った。
「私は、貴方方の思い通りにはならない!
……お父様やお母様、フランセルを傷付けた貴方方を、絶対に許しはしないわ!」
「……っ」
彼は何も言わなかった。
ただ、苦痛に顔を歪めたかと思うと、ポツリと呟いた。
「ごめんなさい」
「……! どうして!」
私は怒りに震えた。 それによって、剣を持つ手も震えてしまう。
何より驚いたのは、彼の瞳から涙が零れ落ちたからだ。
それを見て、私は激昂する。
「何故貴方が泣くの!? 貴方は殺した国の人間でしょう!?」
「……っ、そう、僕が、僕のせいで……っ」
しまいには声を上げて泣き出す彼を見て、私は剣を横に置いて彼の胸倉を掴んだ。
「何言ってるか分からない! ……それに、泣きたいのはこっちよ……!」
「っ、リリィ姫」
「気安く名前を呼ばないで!」
ドンッと彼の胸を突き飛ばし、私はそのまま泣いてしまう。
(っ、どうして今頃になって涙なんか……っ)
今まで悲しんでいる余裕なんてなかったからだろうか、涙は止まることを知らなくて。
敵の前で涙なんて流したくないのに、とゴシゴシと目元を乱暴に拭っていたその時、不意にその手を取られた。
「!?」
(しまった、油断していた……!)
何かされると思い、ギュッと目を瞑った私の目元を、優しく何かが触れた。
驚き目を見開けば、彼が手にしていたハンカチで、私の目元を拭ったのが分かって。
「……どういうつもり!?」
声を上げる私に、彼は困ったように言った。
「目が腫れてしまったら、大変だなって……」
「は!? 貴方何言ってるの!?」
「だ、だって、君の可愛い顔に、涙の跡は似合わないかなって……」
「!? か、かわ……っ、そ、そうやって懐柔しようだなんて、そうはいかないわよ!」
私がそう怒鳴ると、逆に彼が慌て出す。
「か、懐柔しようだなんて思ってないよ!
……ただ、僕は君の力になりたくて、ここに来たんだ」
「それが懐柔だと言っているの!」
「そ、そうだよね……、いきなりそんなことを言われても、信じられないよね」
彼はその場で正座すると、真剣な表情で私の目を真っ直ぐと見つめた。
それに思わず息を呑む私に、彼はその場で頭を下げた。
その行動に、私は驚き口を開く。
「な、何のつもり!?」
「謝って許されることではないことは、分かってる。
謝ったところで、フランセルの国王陛下が戻らないことも、王妃殿下や他の方々の犠牲が消えるわけではないことも。
全て分かった上で、それでも君達に謝らなければならない。
本当に、ごめんなさい」
「!」
彼はそう言って、深く頭を下げた。
そう口にした彼の声に、切実な思いが含められているような気がして、私は何も言えなくなってしまう。
彼はそのまま言葉を続けた。
「代わりに、僕はフランセルをこれ以上傷付けさせないよう、働きたいと思っている」
「え……」
彼はそう言って、頭を上げて「それから」と口にした。
「姫である君のことも。 必ず、君を家族の元へ返してあげられるよう、尽力すると約束する」
「……そ、そんなの、どうやって」
私の声は震えてしまった。
そんな期待させるような甘いことを言っているのは、彼の罠かもしれないと分かっていても、どうしても縋り付きたくなってしまうのは、それらは私が全て心から望んでいることだったから。
私の気持ちが伝わったのか、彼は目を伏せて言った。
「僕は、君と婚姻を結ぶことで、この国の皇帝に即位することを約束した。
だから、少し時間はかかってしまうかもしれないけれど、皇帝としてその権威を使って、君達を解放出来るよう取り計らおうと思う」
「……証拠は」
「え?」
「貴方の言葉を、どうやって信用すれば良いの?」
私がじっと彼の瞳を見つめれば、彼は「それなら」とすぐに口を開いた。
「僕が知っている、君にとって有益になる情報を全て話すと約束する」
「情報?」
彼は頷くと、「今僕が持っている情報は二つある」と指折り数えながら口にした。
「まず一つ目、君が人質としてここにきた後に、フランセル国側から数名他にも人質が送られてきた」
「……!? そ、それは本当なの!?」
私が思わず身を乗り出せば、彼は少しのけ反り、「間違いはないと思う」と口にした。
「その人達がいるのは、多分君がいた牢屋とは違うところにある、塔の地下に作られている牢屋だ」
「塔の地下……」
私が呟くと、彼は「もう少しこちらでも調べてみる」と口にした。
(まさか、私の他にも人質がいるなんて!)
彼の話が本当なら、私も調べなければいけない。
そう思っていると、彼はさらに言葉を続けた。
「そして、二つ目。 これは、僕と君との問題だ」
「私と、貴方……?」
「うん。 僕は、君と婚姻を結ぶことによって、あることを命じられた。
それは、君を懐柔し、君が秘密としている“魔法”の内容を探ること」
「……!」
私は思わず息を呑む。 彼は「だから」と言葉を続けた。
「君は、僕を信用してはいけない。
僕が君に情報を与えることはあっても、君から僕に情報を与える真似はしてはいけないよ。
そうしなければ、陛下の思う壺だからね」
「……どうして? どうしてそんな、自分に不利なことを言ってしまうの?」
彼は「それは」と自分の手元に視線を落とし、自嘲したように笑って言った。
「僕の罪滅ぼし、かな。 ……戦争を止めることの出来なかった、名ばかりの皇子の足掻きだよ」
「!」
「僕が君に伝えたかったことは、それだけ」
彼はそう言うと、ベッドから降りて立ち上がると、私を振り返り言った。
「あ、それと、僕がここに来たことは秘密だよ。
……これは、陛下の命令に反く行為だから。
僕のことを信用できないなら誰かに言っても良いけれど、それでは君も僕も救われないことだけは、伝えておくね」
「っ、ま、待って!」
私は咄嗟に、言うだけ言って出て行こうとする彼を呼び止めた。
彼は振り返ると、「何?」と尋ねる。
私は恐る恐る口を開いた。
「……貴方が、そこまでして私を助けるメリットは何? 見返りを求めても、私には何もないわよ」
「見返りなんて求めていないよ。
言ったでしょう? 僕はただ、罪滅ぼしのためにしていることだって。
……自己満足に過ぎないけれど、それでも何もしないよりはマシだと思うから」
彼はそう言うと、見張りがいる扉とは違う扉の前に立ち、言った。
「この扉は普段鍵をかけているけれど、この扉で僕の部屋と君の部屋が繋がっている。
何かあったら、この部屋の扉をノックして。
ただし、僕が部屋にいるのは夜の方が多いから、夜限定で。
分かったね?」
私は無言で頷くと、彼は微笑んで「おやすみ」と口にし、扉を開けて出て行ってしまった。
一人ベッドに残された私は、三角座りに座り、膝に顔を埋めた。
(……信じられるわけがないのに、どうして)
私はギュッと両腕を握り締めたのだった。




