19.
孤児院を後にした私達が向かった先は、城下を見渡せる場所に位置する見晴らしの良い丘の上だった。
「建国祭の最後は花火が打ち上がるんだ。 多分もうすぐだと思う」
「そう……」
「……孤児院でのこと、気にしている?」
シャルル殿下の言葉に、私は黙って頷く。
彼は息を吐くと、静かに口を開いた。
「戦争をすることで多くの犠牲が出る。 いくら戦争に勝利したって、その犠牲は付き物だ。
……敗戦国なんて、より一層計り知れない」
「……」
脳裏に、前世で燃えていく城内の光景が蘇る。
ギュッと拳を握ると、彼は空を見上げて言った。
「僕は皆が……、誰もが平和で幸せに暮らせる、それが当たり前だと言われる国にしたいんだ。
誰も傷付くことが、命を落とすことがないように」
その瞳に暗い影を落としているような気がして、私は思わず尋ねた。
「シャルルは、誰かを失ったことがあるの?」
「!」
彼はハッと私の顔を見た。
そして、驚いたように問い返される。
「どうして、そう思うの?」
「そんな口ぶりだったから……」
私の言葉に、彼が息を呑んだのが分かった。
そして、彼は視線をそっと逸らすと、空を見上げて言った。
「……うん。僕はとても大切な人を、遠い昔に失くしたんだ」
「……その人を、愛していたの?」
彼はその言葉に目を瞑り、小さく頷いて言った。
「うん、僕はその人を愛していた。
……その人が幸せで生きていてくれさえすれば、たとえ自分が犠牲になっても良いと思うほどに」
「……!」
その言葉に、胸がズキッと痛くなるような……、締め付けられるような感覚に囚われる。
そんな切実な彼の想いが伝わってきて何も言えなくなる私に、彼は「だから」と強い眼差しで言った。
「僕は、強くなければならない。 どんな時も、愛する人を目の前で失くすなんて、もう二度とごめんだから」
「……だから城の中の貴方は、いつも冷たく振る舞っているの?」
「え……」
彼は大きく目を見開き私を見た。 その瞳を見つめて、私は静かに口を開く。
「今日、貴方と過ごして思ったの。
本来の貴方は、街の中で過ごしていた時の貴方なのではないかって」
「!」
私が今日一日抱えていた違和感の正体。
それは、今までとは違う、彼の心からの言葉や表情を初めて見た気がしたからだった。
驚いている彼に向かって、私は言葉を続ける。
「城の中にいる貴方と比べて、一人称も何も変えていて驚いたけれど、城の中の貴方が何を考えているのか分からない印象が強かったのは、貴方がわざとそれを“演じていた”からではないかって」
朝の馬車の中のやりとりでは、今日一日の言動は全て変装代わりの彼なりの演じている姿なのかと思っていたけど、実際に今日その姿を見ていて思った。
「街の人達や子供達、それから私に向けるものが、私には全て貴方の本心からの言動に見えたの。
でないと、あんなに柔らかな笑みを浮かべることは出来ないのではないかと思って。
違うかしら?」
「……」
私とシャルル殿下との間に沈黙が訪れる。
涼しい夜風が私達の髪をさらりと撫でていった後、彼はふっと笑みを溢した。
「……やっぱり、君には敵わないな」
そう呟くと、私を見て困ったように笑って言った。
「そうだよ。 今日君や周りに見せていたのが、嘘偽りのない僕だ。
君が指摘した通り、一人称を変えることで演じ分けていた。
城の中では“私”、城の人達がいない場所では“僕”。 そうすることで、自分の中でけじめをつけていた」
「けじめ?」
私の言葉に彼は頷き答える。
「そう、けじめ。
……先程言ったように、僕は強くなければいけない。 だから、“僕”であってはいけないんだ。
ただのシャルルではなく、皇太子に相応しくいるには、自分を演じなければならないと」
「それが、貴方の理想としている皇太子像、ということ?」
「理想であり、強さだと思っている。
……君を混乱させてしまったけれど、僕はこれを物心がついた時から使い分けていたんだ。
だから、今日一日敢えて君の前でも本心を出させてもらった」
「物心がついた時から……」
彼の言葉を反芻し、私は少し考えると「では」と口を開いた。
「貴方が見せた今日の“本当の貴方”は、皇太子に相応しくないと思っているということ?」
「! ……君は結構痛いところを突くね」
「ご、ごめんなさい」
気分を損ねたかと慌てて謝れば、彼は「いや、良いんだ」と手を組み肯定した。
「うん、そうだよ。
素の僕では、誰も守ることが出来ない臆病で弱虫な自分に戻ってしまうんだ。
だから、僕は強い自分を演じることで鎧を纏うことにしたんだ」
そう口にした彼は、自嘲気味に笑った。
そんな姿を見て私は……、首を傾げた。
「本当にそうかしら?」
「え?」
「私は、今日一日貴方の言う“鎧を纏わない姿”を見ていて、弱いだなんて思わなかったわ」
「!」
「むしろ、今日の貴方の方が自然体で、城の中にいる貴方よりずっと自由に輝いているように見えた。
その方がよっぽど好感が持てて、私は素敵な皇太子だと思ったわ」
彼が街のために打ち出してきた政策の数々は、どれも実際に人々の役に立ち、街の人から感謝されていた。
「演じ分けることが苦に感じていないのなら良いけれど、無理をしているならやめた方が良いと思う。
人の強さをはかるのは外面ではなく、内面ではないかしら。
貴方が今日街の人と真摯に向き合うその姿を見ていたら、私は貴方が弱いとは思わない。 むしろ、自分の意志を貫くことのできる、芯の強い方だと思ったわ」
「……!」
彼は私の言葉を黙って聞いていた……と思ったら、突然ポロポロと涙を流し始めた。
「え!?」
私、何か泣かせるようなことを言ってしまったかしら!? と慌てる私に対し、彼は「ごめん」と目頭を抑えながら謝ると、ふっと穏やかな笑みを湛えた。
その初めて見る表情に私が驚いていると、彼は柔らかく笑って言った。
「ありがとう。 他の誰より君に……、リリィにそう言ってもらえて嬉しいよ、すごく」
「!」
彼が私の両手をとり、その大きな手が私の手を包むように握る。
そうしてもう一度、彼の口から紡がれた「ありがとう」という言葉は、打ち上がる花火の音にかき消されてしまったけれど、彼のその表情は今まで見てきた中で一番、晴れやかな気がしたのだった。
建国祭のフィナーレを飾る花火を見終えると、私達は城へ帰るため馬車に乗り込んだ。
「ねえ、シャルル」
「ん?」
私は正面に座る彼に、先程から考えていた提案をした。
「無礼を承知で提案なのだけれど……、今日が終わっても、二人きりの時はまたこうして、貴方と話が出来ないかしら?」
「え……」
おどろき目を見開く彼に向かって、慌てて言葉を付け足す。
「む、無理なら良いの! その、貴方がいつも私に優しくしてくれているように、今度は私が、貴方が素でいられる時間を作ってあげられたらって……」
要するに、彼の力になりたいと思ったのだ。
……それと、今日のように彼と対等に話せたら、どんなに素敵なことかと思ってしまう。
そんな私の提案に、彼はやがて破顔し頷いた。
「もちろん。 僕も君もこうしている時間が続けば良いのにと思っていたから、凄く嬉しい。
……人前で口調を変えることは、僕も周りも混乱してしまうから難しいけれど、でも君の前ならお言葉に甘えさせてもらいたいな」
「!」
彼の柔らかな笑みに、私も思わず笑みを溢す。
(あぁ、彼の言う通り、こんな穏やかな時間が続いてくれたら素敵なことね)
そんな風に夢見心地だった私は、すっかり忘れていた。
この時間が長くは続かないことを。
あくまで私は、“期間限定のお飾り妃”だということを……。




