1.
「……リィ? リリィ?」
名前を呼ばれハッと顔を上げれば、心配気な表情を浮かべる両親の姿があった。
「やはり、この縁談はお断りさせて頂くべきではないかしら?」
「しかし、相手はあのクラヴェル帝国だぞ」
「そうですけれど……」
そんな両親間のやりとりが耳に入ってくる。
私は冷たくなってしまった手を握り口にした。
「……一晩だけ、考える時間を頂けますか」
私の言葉に、お母様は大きく頷く。
「私達のことは気にせず、貴女が思うように決めてね。 嫌なら嫌だとはっきり言ってくれれば、私達で丁重にお断りするから。
ねえ、貴方?」
「断るってどうやって……、!?」
困惑したように何かを言いかけたお父様の身体が一瞬宙に浮く。
お母様の風の魔法が発動したことを察知したお父様は、慌てて降参の意味を込めて手を上げた。 それを見たお母様は魔法を解除すると、お父様の身体が長椅子に沈む。
私はそれを唖然として見ていると、お母様は微笑みを浮かべて言った。
「大切な貴女の将来だもの、よく考えて決めるのよ」
「……はい、お母様。 ありがとうございます」
それは、お母様なりの気遣いなのだろう。
私は笑みを返せば、お母様も頷いてくれたのだった。
(……とは言っても)
私に断る余地などないことは分かっている。
クラヴェル帝国は、前世と変わらず侵略の歴史を辿る国。
私達フランセル王国にはいくら魔力を司る国であるといえど、大国であるクラヴェル帝国の人口からして、戦争を仕掛けられたとしたら私達の国は一溜まりもない。
フランセル王国は長い歴史を持ってはいるが、他国とは違い魔力を保持してきた。 その力を悪用されないよう、その長い歴史の間、他国との一切の関わりを持たず、鎖国状態を貫いてきた国だ。
(というのに、今更何故クラヴェル帝国の第一皇子であり皇太子……、シャルル殿下が私に婚姻を?)
婚約ではなく持ちかけられたのは求婚であること、そして、一番の疑問は、前世ではこんな話は持ちかけられたことがなかったという点だ。
前世で亡くなったのは19歳。
今の年齢は16歳……、確かに結婚適齢期ではあるけれど、どうしてフランセルの末姫である私に求婚してきたのだろうか。
(確かに、長女であるお姉様には既に婚約者様がいらっしゃる。 次女であるお姉様には結婚願望はなく、女性騎士になりたいと仰っているけれど……、そんな事情をシャルル殿下はご存知だというのかしら?
あぁ、分からないわ)
それはともかく、今の問題は私がその求婚を受けるかどうかだ。
(断れる相手でないことは分かっている。
だけど……)
あの方の肖像画を見た瞬間、前世を思い出してしまった。
クラヴェル帝国に襲撃され、城に火をつけられたあの時のことを。
その火の中、私は……。
「……っ」
駄目だ、考えるのはよそう。
それよりも、あの後私が亡くなって家族やフランセル王国はどうなったのかしら。
シャルル殿下はあの時、私に“私達を守りたい”というような言葉を口にしていた。
(よく言うわ。 私達を襲撃しておいて、守りたいだなんて……、意味が分からない)
思い出すだけでも腹立たしい。
そんな彼の元に、今度は嫁に行かなければならないだなんて。
「っ、そんなの考えられない!」
思わず大きな声で叫び……、ハッとして慌てて口を押さえた。
今はもうすっかり日が落ちた夜だ。
それも皆が寝静まっている時間帯であり、私は眠れないからとこうして月明かりの下、庭を訪れてみたのだけれど……。
(あぁ、駄目だ。 決められない……)
前世で私が亡くなる元凶となった方と結婚などしたくない。
だけど、もし断ったら前世と同じ結末を迎えてしまうかもしれないのだ。
(やはり私は、嫁がなければならないの?)
そんな絶望的な気持ちに陥っていると。
「リリィ・フランセルか?」
「!?」
突如、聞き覚えのある声に話しかけられた。
その言葉に心が震えた。
(どうして、ここに……)
反射的に顔を上げた先、声をかけてきたその人物は。
「……シャルル殿下……」
濃紺の髪に一見冷めた印象を持つアイスブルーの瞳。
前世の最期で見た時より幾分若くも見える、見紛うはずのない、今世では求婚されている彼の姿があった。
(どうやって侵入したの!?)
こんな夜中に、強固な守りを誇っているはずの城の敷地内に堂々といることに驚いた私は、衛兵を呼ぼうと声を上げようとしたのだが……、喉が急激に渇き、声を出すことが出来なかった。
彼の瞳に見つめられ、まるで私は金縛りにでもあったかのように硬直してしまう。
そんな私に対し、彼は少しだけ距離を詰めると、私から五歩くらい離れたところで立ち止まり、口を開いた。
「……私が怖いか」
その声にビクッと肩を震わせれば、彼はそれを肯定と捉えたのか、息を吐いて言った。
「その様子だと、私が君に求婚したことは既に耳に届いたようだな」
「……」
なおも声を出せない私に、シャルル殿下は私を見下ろし言葉を続けた。
「きっと、君にとってこの求婚は怖いものでしかないだろう。
だが、断ることはおすすめしない」
「……何故、ですか」
ようやく絞り出した声は、掠れてしまって。
それでも彼の耳には届いたようで、私の言葉に反応し、少しの沈黙の後答えた。
「君がもしこの結婚を断ったら、私達への宣戦布告とみなす」
「宣戦布告……!?」
その言葉に、私の身体からは血の気が引き、走馬灯のように前世の記憶が蘇る。
ハッと息を呑む私に対し、彼は「それだけだ」と言い、踵を返したかと思えばこちらを見向きもせずに言った。
「私が今ここにいることは秘密だ。
私はただ、君が守りたいと思うものがあるのならば、この求婚を断るべきではないと伝えにきただけなのだから」
「!?」
彼は、もう一度私の方を振り返ると言った。
「君が賢明な判断を下してくれることを願っている。
……リリィ・フランセル」
「……!」
刹那、彼はマントを翻し踵を返すと、闇夜に消えて行った。
彼がいなくなったのと同時に、緊張が解けたのだろうか、私はその場に膝から崩れ落ちた。
「……どうして……」
何故彼は、危険を冒してまでこの夜中に私の元を訪ねてきたのか。
そもそも、どうやって此処に侵入したのだろう。
お父様方には知らせた方が良いに決まっているけれど……。
『君がもしこの結婚を断ったら、私達への宣戦布告とみなす』
『私が今ここにいることは秘密だ。
私はただ、君が守りたいと思うものがあるのならば、この求婚を断るべきではないと伝えにきただけなのだから』
(彼はわざわざ、私を脅しにきたということ?
私が求婚を断ると思って?)
ますます頭の中がこんがらがってしまう。
(でも、これだけは言える)
私に与えられた選択肢は、ただ一つ。
それは、前世の死の元凶である国……、クラヴェル帝国の皇太子、シャルル殿下に嫁ぐことからは逃れられないということ。
そうしなければ、彼らは私達の国に戦争を仕掛けてくる、つまり、前世と同じ運命を辿ることになってしまうということに繋がってしまうのだから。
ぐっと地面の上で拳を握りしめる。
(私に選択の余地はないということね)
悔しさやら悲しさやらで涙が込み上げてくるが、泣いたって何も変わらない。
前世と同じ一途を辿りたくないのであれば、避けては通れない道なのだから。
溢れ出そうになった涙を手で拭い、立ち上がる。
土で汚れてしまったドレスの裾を軽く叩き落とすと、固い決意を胸に月を見上げたのだった。