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9.

 翌日から皇妃教育は始まった。

 昨日レア先生とお話しして決めた計画通りに進められることになっている。

 皇妃教育初日は、クラヴェル帝国の歴史から始まった。


「まず、こちらが歴史にまつわる書物です」

「こ、これ全部ですか?」

「はい」


 レア先生の笑顔が怖い。


(だ、だって一体これ何冊あるの……!?)


 私の目の前に置かれた、堆く積まれている本(それら全て歴史関連らしい)を見て思わずポカンとしてしまった。


(そ、それもそう、よね。 クラヴェル帝国は大国だから、それ相応の歴史があるわけで……)


 そんな私に、先生は付け足した。


「ちなみに言うと、これら全てがクラヴェル帝国の歴史、というわけではありません。

 というのも、クラヴェル帝国が領土を拡大していったのには、戦争をして敗戦国を支配下に置いているという背景があります。

 ですので、その属国となっている国の歴史や地形、特産物や文化といったものも覚えて頂かなくてはなりません」

「つ、つまり、クラヴェル帝国が占拠した王国の歴史や特徴まで、覚えるということですか……?」

「そういうことになります」

「ひぇ……」


(ダメだ、聞いているだけで頭パンクしそう!)


 と内心悲鳴を上げ、青褪める私を見て、レア先生はクスクスと笑って言った。


「大丈夫です。 そのために私がいるのです。 私が重要だと思うところだけ、掻い摘んでお教え致しますから」


 そう言って彼女がパラパラと本を捲り指し示した場所には、確かに重要な部分だと思われるところに、丸や線などに印が付いている。

 よく見ると、積まれている本の全てに、所々ページの端が折れていることに気が付く。


「……もしかしなくても、レア先生はこの書物全てが頭に入っていると……?」

「私は勉強が趣味みたいなものですから」


 レア先生がそう恥ずかしそうに告げたのを見て、今度こそ開いた口が塞がらなくなってしまったのだった。






「本日のレッスンはここまでに致しましょう。 お疲れ様でした」

「ありがとうございました」


 ふーっと息を吐き、分厚い本を閉じれば、先生は笑みを浮かべて言った。


「それにしても、リリィ様は素晴らしい集中力をお持ちですね。 本日予定していた内容より大幅に進むことが出来ました」

「本当ですか!? 良かったです。 ……でも、私の集中力というよりはレア先生のお陰だと思います」


 本当に、レア先生の教え方はとても分かりやすかった。

 実はといえば、私は歴史の勉強が苦手で、淑女教育の際は四苦八苦していたけれど、今回レア先生について教えて頂いたら、今日の内容は全てすんなりと頭に入ってきたのだ。


(今までこんなことはなかったからレア先生のお陰なんだわ)


「ありがとうございます、レア先生」

「そう言って頂けて嬉しいですわ、リリィ様。 こちらこそ、未来の王妃殿下、それもシャルル殿下のお妃様であらせられるリリィ様の教育係になれたこと、これ以上ない誉れですわ」

「つかぬ事をお聞きしますが、レア先生はどうして教師になられたのですか?」


 レア先生はその言葉に、後片付けをしていた手を止める。

 そして、少し間を置いてから手元にある本を見つめて言った。


「……昔から、教師になりたいと思っていたのです。 幼い頃から勉強が好きで、子供達に自分の知識を教える仕事に憧れを抱いていたのです」

「でも、きっと大変、でしたよね。 女性が教師になるのは、とても大変なことだと聞いたことがあります」

「その通りです。 ……どこの国も、昔から女性が勉強をすること、ましてや教師になるだなんてありえないと言われています」


 フランセル王国と同じように、クラヴェル帝国もその概念は変わらないらしい。


(女性が男性を差し置いて知識を授かることを良しとしない風潮が昔からある。 

 私達国を統べる立場にいる者は例外として、勉学は男性が習得するもの、しかも殆どが貴族に限られたものという暗黙の了解がある……)


 レア先生は言葉を続けた。


「私は、その中でも両親が寛容な方で、“女性が勉学を嗜むことは良い”と賛成してくれ、男兄弟と共に同じ家庭教師をつけてくれました。

 ……そのおかげで、私は幸運にも王室の教育係の試験を受けて選ばれ、シャルル殿下の幼い頃の教育係となったのです」


 そう言って、彼女は嬉しそうに言った。


「実は、今こうして教師の職を続けられているのも、シャルル殿下のおかげなんですよ」

「え?」


 思いがけない言葉に驚けば、彼女は微笑みを浮かべて言った。


「彼の支援があるからこそ、孤児院の子供達やリリィ様にもお教えすることが出来ているのです」

「そう、だったんですか」

「はい」


 レア先生は頷き、噛み締めるように言った。


「“正しい知識を貴族や平民関係なく、等しく子供に勉強させるべきだ”。 そう唱えているのが、他ならないシャルル殿下です。

 ……シャルル殿下は、幼い頃から物事を冷静に判断できる方でした。 それを見て思ったのです。

 この国の未来の皇帝に相応しい方だと」


 レア先生はそう言うと、私の目の前に来て言った。


「今回、私がリリィ様の教育係のお話をお受けしたのも、将来皇妃となるリリィ様に、クラヴェル帝国のことを知って頂き、皇帝となるシャルル殿下と共に国を導く存在となってほしいと、そう思ったからです」


 そう言って、積まれた本の山に目を向け、言葉を続けた。

「……紙面で書かれていることが、全てではありません。

 大切なのは、紙面上の知識と目で見たものとを照らし合わせて物事を判断することです」


 レア先生はそう口にすると、私が勉強していた本を私に差し出し、はっきりとした口調で言った。


「私のことも然りです。 私の言葉を全て鵜呑みにするのではなく、自分自身でよく考え判断し、決断して下さい。

 貴女ならそれが出来ると信じています」

「……!」


 レア先生の言葉に、改めて自分が今置かれている“皇太子妃”という立場がどれだけ重要なものなのかを知る。


(“紙面で書かれていることが、全てではない”……)


 今までそんなこと、考えたこともなかった。 

 ただ必死に文字を追って、それを鵜呑みにして、知識として蓄えての繰り返しだった。

 それが、当たり前だと思っていた。


(でも、違うんだ)


 もっと考えなくてはならない。

 今自分がここにいる意味を、シャルル殿下がなぜ私に“お飾りの王太子妃”になることを要求したのかも。


(与えられているだけでは、前世と同じだ)


 そうして前世では、為す術もなく突然終わりを迎えたのだから。


「……分かりました」


 私はレア先生に差し出された本を受け取り、ギュッとそれを抱えて口を開く。


「私は、もっと知りたいです。 この国のことも、シャルル殿下のことも。

 どんなに苦しい道だったとしても、私は逃げません」


 これは紛れもない、私の意志。

 もう二度と、前世のように誰も傷付けたくないから。


「ですからどうか私に教えて下さい、レア先生。

 紙面だけではない、外の世界のことも。

 ……私は、知るべきだと思うから」


 ギュッと本を握る手が無意識に強くなる。

 レア先生はそんな私を見て、微笑み頷く。


「もちろん。 私は貴女の力になるためにここにいるのですから。

 私も精一杯、尽力させて頂きますわ」

「……!」


 私はそれに対し、自分の意志を込めるために、深く頭を下げ「ご指導宜しくお願い致します」と口にしたのだった。


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