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「……結婚、ですか?」
何の前触れもなしに両親から告げられたその単語に思わず目を瞬かせれば、両親は困ったように顔を見合わせ口を開いた。
「そうだ。 婚約ではなく結婚をと、相手方から持ちかけられてね」
「そのお相手とは?」
両親の顔色からして断れない相手であろうことは容易に推測出来たため、出来るだけ落ち着きを払ってそう尋ねれば、お父様は恐る恐るといった風に私の前に手に持っていた物を差し出した。
それは、一枚の肖像画だった。
その姿を見て、私は……、ドクンと大きく心臓が高鳴った。
(……こ、れは)
「クラヴェル帝国の第一王子・シャルル殿下だ」
告げられたその名に、フラリと眩暈を覚えた。
お父様がその続きを口にするが、何を言っているのか全く私の耳には入ってこない。
(……今の今まで忘れていた。 どうして気が付かなかったんだろう)
思えば、思い当たる節はいくつもあった。
不意に覚える既視感、重なっては遠ざかる幻覚のような景色……、それらはあって当然のものだったんだ。
(いや、当然なんかではない)
だって私は。
今回結婚を持ちかけられた相手の国・クラヴェル帝国に攻め入られた末、生涯を終えたはず、なのだから……―――
フランセル王国、第三王女として生を受けた私は、穏やかで幸せな生活を過ごしていた。
ただ一つコンプレックスに感じていたのは、私だけが魔力を保有していないこと。
フランセル王国の王族は、代々魔力を司っていた。
但し、魔力の型は人それぞれであり、同じ兄妹でも、例えば火や水など特化している型は違う。
そんな私の魔力はといえば……、皆無だった。
王族の血を引いている者でこんなことは初めてだと言われ、どうしようもなく落ち込んだが、家族はそんな私を温かく励ましてくれ、何とか今では立ち直っている。
……ふとした瞬間に思ってしまうことはあるけれど、生活をするのに不便なことはなかったため、王族なのにと後ろ指を差されても開き直って生活していた。
そんな平和だった生活が、ほんの一瞬で脆くも崩れ去る出来事が訪れる。
それは、私が19歳の時だった。
眠っている最中、物凄い轟音が耳をつんざいた。
様子がおかしいことに気が付き、寝衣の上からガウンを羽織って部屋を飛び出した私に、私より3つ歳上の次女であるお姉様が駆けつけてきて言った。
「リリィ! 無事か!?」
「は、はい、私は大丈夫です。 それより一体何が……」
お姉様は「分からない」と口にした後、ハッとしたように言った。
「……まさか」
「お姉様……?」
お姉様はハッとしたような顔をし、私の肩を掴むと言った。
「私が状況を確認してくる。 それまでリリィは部屋に待機しているんだ。 分かったね」
「っ……」
こういう時だ。 自分が無力だと感じるのは。
もし私に何かしらの魔力があったのなら。
お姉様と共に状況を把握しに行くなり出来たはずなのに。
(家族は、私をこうして守ろうとしてくれる。 それなのに、私は……)
無意識にギュッと拳を握れば、お姉様はそれに気付いたようで私の頭に手を乗せ笑って言った。
「大丈夫、すぐに戻ってくるから。 姉様は強いことを、リリィは知っているだろう?」
「……はい」
その言葉に頷けば、お姉様は「よし」と口にすると、私の肩に手を置いてそのまま部屋へと誘導する。
そして、私が部屋に入ったのを確認した瞬間、お姉様は扉を閉めた。
刹那、ガチャリと鍵を外側からかけられた音が聞こえ、私は慌てて扉を押すがビクともしない。
「お、お姉様!」
慌ててそう声を上げれば、お姉様の返答が返ってきた。
「私が戻ってくるまで、部屋で待機していなさい!」
(お姉様が戻ってくるまで此処から出られないということ……!?)
思わず血の気が引くが、お姉様の言葉を思い出し、大人しく椅子に腰掛ける。
(そうよ、大丈夫。 お姉様は魔力が強いんだもの、大丈夫……)
そう祈るような気持ちで帰りを待っていたが……、お姉さまが戻ってくるどころか、誰の足音も聞こえない。
それに、時間が経つにつれ、部屋の温度が徐々に上がっていっていることに気が付く。
(何かがおかしい)
直後、部屋の隅から突然火が上がった。
「火事……!?」
火を消さなければと立ち上がった私だったが、突然扉が乱暴に開け放たれる。
(っ、お姉さ……)
咄嗟にお姉様と口にしようとして……、固まった。
そこにいたのはお姉様ではなく、見たことのない男性の姿があったからで。
「っ、貴方は誰……!?」
警戒を強めながらそう口にすれば、彼は一瞬逡巡した後答えた。
「私はシャルル・クラヴェル。 クラヴェル帝国の第一皇子だ」
「クラヴェル……!?」
その名を聞いてサッと体中から血の気が引き、今置かれている状況を瞬時に理解した。
クラヴェル帝国は、私達フランセル王国の隣に位置する大国である。
大国という名において、クラヴェルの歴史は血塗られていると言っても過言ではない。 現皇帝限りで帝国という名を轟かせ、数多の戦争を繰り返してきた国である。
その国が、今度は魔力を持つ小国、フランセル王国に攻め入ってきたに違いない。
(こんなことって……)
唇を噛み締め、キッと目の前にいるシャルルと名乗った男性を睨めば、彼は少し動揺したようにたじろいだものの、私の目を見て焦ったように告げた。
「もう時間がない。 今すぐここを出よう」
「ここから出て何になるというの? 私達フランセルは、貴方達の属国にでもなれというの?」
視界の端には火が燃え広がっていくのが映る。
城がこんな状態では、私達の敗戦は免れないものだと判断し、グッと拳を握ってそう尋ねれば、彼は「違う!」と声を張り上げて言った。
「私は、君を……、君たち家族を救いたいんだ!」
「!? そんな言葉を、敵である貴方に言われて誰が信じられるというの!? っ、ゲホッ」
部屋中に充満した煙を思い切り吸ってしまい、むせる私を見て、彼がこちらに寄って来ようとするのを拒んだ。
「っ、来ないで!」
「!」
強い口調で制した私を見て、彼の足が止まる……刹那、彼がハッとしたように碧色の瞳を見開き叫んだ。
「危ないっ!!」
「!?」
ギシッと、頭上から嫌な音がしたかと思えば、天井がパラパラと崩れ始めて。
「〜〜〜〜!!」
彼が何かを叫び、私に向かって手を伸ばす姿を目にしたのが、私の人生の最期だった―――