~素晴らしきお店屋さんごっこ~ 1
暖かい日差し、少しだけ空いた窓から入り込むそよ風、ベッドの外が寒いわけではないがここからは出たくないと本能が俺に呼びかけている。柔らかすぎず硬すぎずのちょうどいい柔らかさの枕がまた二度寝という禁忌へと呼びかけている気がする。もぞもぞと体のポジションを調節し、今まさに二度寝をしようとした時、
「起きた?」
その声は極めて優しく、調子は温かで、目を瞑って聞いているとあたかもそっと柔らかに抱かれるような気がする。
先ほどまでは眠気で頭が回らなかったが、そこで初めて自分は知らないベッドで寝ているという異常に気がついた。
声のする方へ頭を傾けてみると、マグカップを片手にこちらへ歩いてくる15か16歳くらいの少女の姿が見えた。
腰まで伸びた明るい茶髪が歩くたびにふわりとたなびく。
俺よりは年下だろうか。瞳はエメラルドで、人間離れした色気を放っている。
そうだ、私はさっきまであの怪物と……
「あ、ああぁ……」
普通に生活していたら味わうことの無い痛みと苦痛、先程までの光景が一気に脳裏にフラッシュバックし、声が漏れてしまう。一気に悪寒が襲いかかってくる。
「随分と嫌な目にあったんだねぇ。私が素材を取りに森に入っていなかったら、君、格好の餌だったろうね。とりあえずこれでも飲みなよ」
少女は近くにある木製の椅子に座り、俺にマグカップを差し出してきた。
目の前に差し出されたカップに入っている飲み物は黒に近い茶色で、見た目はほとんどココア、湯気が湧いていてとても暖かそうだ。
だが飲んでみるととても塩辛く、ココアのあの甘さを想像して飲んだ俺はそのギャップから顔をしかめてしまった。
「暫くしたら異様に体が熱くなってくるけど、体力が戻ってきてる証拠だから安心しなよ」
「あの、失礼かもしれませんが貴方はどなたですか?」
謎の液体を一気に飲み干してから質問する。
「私はトコマ、ここの店の店主さ、君は?」
「私はソーラ、羽崎ソーラです」
「ハネサキソーラ……?不思議な名前だねぇ。」
まあ、あまり聞かないような名前だと自分でも思う。ただ、トコマという名前も私に負けず劣らず変わった名前だと思うのだが。
トコマは自分のことを店主といった。
確かに、改めて周りを見回すと隅の方には何に使うのか分からない道具や本が散乱している。
これらは商品なのだろうか。だとしたら、あんな大雑把な置き方をしたら傷が付くんじゃないか?
「あの……私の他に誰がいませんでした?」
「いや、君しかいなかったよ。」
この人ではないとしたら、意識を失う直前に聞いたあの声は一体誰だったんだろう。
森が近いということは、今私が寝ている所はキャンプ場の倉庫か事務所だろうか?
掃除が行き届いているとは思えないが、そういうのを気にしない性格なんだろう。美人なのに残念だ。
「そうだ!腕……!」
普通に使っていたがどういう訳か両腕は切られた痕跡も見せずに治っていた。胸にも風穴など空いていない。
カマキリにボロボロにやられたあれは夢だったのだろうか。
「服のことなら、血に濡れていたしボロボロだったから着替えさせておいたよ」
つまり私はこの人に裸を見られたということか……
めちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。
「あ、ありがとうございます。それよりも腕と胸は……私の体はどうなってましたか?」
「どうって……別になんともないけど。というか君は血で濡れていたし服もボロボロ。なのに君には傷一つ付いてない。一体どういうことだい?あそこで何があった?あの地区は比較的安全なはずだぞ?服だけボロボロにしていくやつなんて聞いたことも無い!ああそうだ!まだあそこにはまだまだ私の知らないことが」
肩を抑えられながらよく分からないことをめちゃくちゃ早口でまくし立てられる。
なんなんだこの子は、実はやばい人なんじゃないだろうか。
「すみません。実は私、自分が誰なのか、どこから来たのか、全く思い出せないんです。」
「なんだ、つまらんな」
トコマは興味を無くしたように椅子から立ち上がる。
この子さっきからちょくちょく失礼だぞ。
それから私は今の自分の状況と目が覚めるまでの出来事を正直に全部伝えた。
見知らぬ地で目覚めたこと、でかいバッタやカマキリに出会ったこと、カマキリに殺されかけたこと。
信じてくれるとは到底思えないが、頭がおかしいと思われて病院にでも連れて行ってくれたらそれはそれでありがたい。
記憶喪失を治すにはやっぱり病院が1番だろう。
「バッタ?カマキリ?それが何を指しているのかは私には分からない。けれど腕に剣を持つ『悪蟲』ならハルファスの事を指していると見た」
「え?アクム……?ハルファス……?」
なんだそれは。
全く聞いたことの無い単語が何個か出てきたぞ?
「ああ、そういえば君は記憶喪失だったね。それにしても悪蟲のことも忘れるなんてどうかしてるぞ」
「す、すみません……」
なぜこっちが責められてるのだろうか。
「まあいい、とりあえずこの街の集会所にでも行ってみなよ。そこのラキアって奴が悪蟲とかに詳しいから、カナデくんの知りたいことを教えてくれるはずさ」
それから私は、また具合が悪くなった時用の粉薬を貰い、ここを出ることにした。
「お代はいらないよ。記憶が戻った時にでもまたここに来てくれればいいさ」
「何から何までありがとうございました!また今度お礼にきます!」
「君がまたここに来た時に私がいるとはかぎらないけどね」
「え?なんでいいました?」
「なんでもないよ。気を付けて」
不思議なことを言ってトコマさんは店の中へ入っていった。
そういやここがなんの店なのか結局分からなかったな。