第二幕 異なる存在 Ⅰ
俺とシーリスの二人は、街道を北に向かって歩いている。
街道から見える木々は徐々にその色を変え始めている。それもそのはずだろう。シーリスに出逢ってから、二週間ほどの月日が経っており、季節は秋に変わりつつあるからだ。つまり俺の身体が万全の状態になるのには、それほどの養生が必要だったという事になる。
シーリスはその間、悲しそうな表情を見せたり、不機嫌そうになりながらも、献身的に看病し続けてくれた。その甲斐もあって、こうして旅を続ける事が出来るようになったのだ。ただ、彼女が時折見せるそれらの感情についてまったく理解ができないでいた。
「本当に人間というものは不便な生き物ね。」
シーリスが呟くように言葉を発する。
俺より一回りも二回りも小さいシーリス。俺からは彼女の口元しか見えない。濃い紫色のフード付きのローブで全身と頭を覆っているからだ。吸血鬼が日光の光に弱いというのは、どうも真実らしい。
「暫く寝込んでいないと、アレくらいの怪我も治らないなんてね。クレス、時間は大丈夫なのかしら?助けなければいけない人達がいるのでしょう?手遅れにならないかしら、……まぁ、私には人間がどうなろうと関係ないのだけれど。」
シーリスの言葉からは、人間などどうなっても知った事ではないという彼女の感情が伺える。
俺は故郷の惨劇を思い出す。
「……良くはないけれど、仕方ないさ。それに多分、時間はあまり関係ないように思えるし。」
「どういう事かしら?」
「俺は、元々薬師なんだ。」
「薬師?」
シーリスは俺を見上げるような仕草をする。ローブから垣間見える整った鼻筋と小さな口元が妙に艶かしく感じられる。
「クレス、どうしたの?」
シーリスの声で、我に返る。
「え~と、簡単に言うと自然に存在する薬草などを調合して、人の身体を治す職業とでも言えば分かるか?」
「そう、だいたい分かったけれど、なぜ薬師の貴方が刀などを佩いているの?」
「俺は旅の薬師なんだ。剣の修行も兼ねて、少しでも多くの人を助けるために旅をしていた。それが、師匠の願いでもあったし、もっとも薬師の方も剣術の方も腕前はまだまだなのだけれど。」
「……相変わらずまだそんな事をしているのね。馬鹿は死んでも治らないとは、本当の事のようね。」
シーリスは急に不機嫌そうになり、小さい声で呟くように口を開く。
「何の事だ?」
相変わらず良く分からない事を言うシーリス。
「気にしなくて良いわ。どうせ理解できないわよ。それより、話が逸れているわ。時間が関係ないとはどういう事なのかしら?」
シーリスの殺気とも言える威圧感に飲み込まれ、いつものように結局彼女が不機嫌になった理由を聞く事はできない。
「……旅から久しぶりに故郷に帰ってみると、村は無残にも破壊されていて、皆が石のようになっていた。それこそ何が起きたかまったく分からなかったよ。今までこんな病を見た事は無かったし、色々な薬を試してみたけれど、何の効果も無かった。只、何か確証があるわけではないのだけれど、症状が進行しているようには見えなかった。むしろ、何か時が止まっている、そんな感じだった。」
故郷の人達の惨状を思い出す。
俺にもっと薬師としての力があれば、どうにか出来たのかもしれない。
何が少しでも多くの人達を助けたいだ、結局助けなければいけない人達を助ける事は出来なかったじゃないか。
自分の無力さを改めて噛みしめる。
「そう、それで幻想華なんてものを探しているのね。」
シーリスの声で、現実に戻る。
「ああ。どんな病も治してしまうといわれている幻想華。それなら原因不明の石化のような症状も、もしかしたら治せるのではないかと思ったんだ。」
「もしかしたら、ね。そんな良く分からない可能性にかけているの?クレス、貴方はどれだけお人よしなのかしら?それとも、……石化した中に貴方の思う人でもいるの?」
シーリスは急に立ち止まり、俺を凝視する。
シーリスの雰囲気からは感じるのは、明らかな不快感。
「そんな人がいるわけじゃない。ただ、顔なじみばかりだから、何より救えるものなら救いたい、それだけだ。」
背中に冷たいものを感じ、シーリスに言い訳をするように口を開く。
「……本当かしら?」
「本当だ。嘘をついても仕方ないだろう。」
「そう、それなら良いわ。」
シーリスの雰囲気からは、先ほどまでの不快感が消えていた。
「それにしても、歩きづらいわね。」
シーリスは崩れかけた街道に足をとられながら口を開く。
「そうか?街道とはこういうものだろう。」
旅慣れしている俺は器用に歩いていく。
「昔は、そんな事なかったわよ。」
気だるそうなシーリス。
「昔って、どれくらいだ?」
「あの時以来だから三百年くらいかしら。」
「三百年って!?君は一体何歳なんだ?」
俺は驚き、声をあげる。シーリスの容姿は、どう見たって十代後半の少女のようにしか見えないからだ。
「クレス、貴方ね、女性に年齢聞くなんて、正気なのかしら?それとも、何、死にたいの?」
ローブ越しにシーリスの視線を感じる。
「悪い、つい驚いたものだから。」
俺の焦っている表情を見て、シーリスが可愛い笑い声をあげる。
「……からかったのか?」
「ふふふ、そんな事ないわよ。」
俺は溜息を吐く。事あるごとにシーリスに弄ばれている感が否めなかったが、彼女の年の功のせいなのかもしれない。
「一つ、聞きたい事があるのだけれど?」
俺はシーリスが再び歩きだしたのを確認してから口を開く。
「何かしら?」
「本当に幻想華には、どんな病も治せる力があるのか?」
「さぁ、どうかしらね。貴方の眼で確かめると良いわ。」
シーリスは俺の方を向かないまま歩き続ける。これ以上聞いても仕方ないと察した俺は彼女の後を追って歩き始めた。
既に日が傾きかけており、空が茜色に染まっていた。
俺達は日が落ちる頃、ハルトという小さな町に辿り着いた。