第一幕 深紅の令嬢 Ⅲ
ほとんど寝る事ができず、うつろな意識の中、目を覚ます。
時間が分からない。
感覚的に夜は開けているはずだが、全ての窓に明かりを通さないような厚手のカーテンが引かれている為、相変わらず部屋は真っ暗だ。
暫く寝ているのか起きているのか、分からない時間をすごしていると、突然部屋の扉が開き、その時間も終わりを告げる。
その音で現実世界に引き戻され、開いた扉のほうを向く。
その扉の先に立っていたのは、カンテラを右手に持った予想通りの少女。
「……答えは出たのかしら?」
シーリスはかすかな笑みを浮かべながらゆっくり近づいてくる。
「……ああ、君の力を借りたい。それに元々選択肢はないみたいだしな。」
痛みに耐えベッドから身体を起こす。
「その言い方は気に入らないけれど、今日は気分が良いから許してあげるわ。」
シーリスはカンテラをベッドの近くにある机に置くと、上半身だけ起こしている俺を押し倒し馬乗りになる。
「……この体勢好きなんだな。」
俺が皮肉交じりにそう言うと、シーリスは勝ち誇ったような顔をする。
「この方が、上下の立場がちゃんと分かって良いでしょう?」
そんな不遜な態度のシーリスを改めて見る。黒を基調としたワンピースを身に纏う華奢な身体、綺麗な大きい紫の瞳と白銀の長い髪、まだあどけなさが残る表情、やはりかなりの美少女だった。
この造られたような美も人間ではないからなのだろうか。
「よく聞きなさい。私は貴方の目的達成に協力するわ。その代償に、貴方は私に一生を捧げなさい。」
シーリスと俺の視線が合う。
「分かったら、頷きなさい。」
「……ああ。」
シーリスに見惚れるように俺は微かに頷く。
シーリスは微かに笑うと、俺の前に右手を差し出す。
「クレス、この指輪を見なさい。」
シーリスの小指に嵌められている指輪に視線を移す。玉髄のような宝石が付いた小さな指輪だ。
「犠牲華。時は満ちた。己の本来の役目を果たし給え。」
突然、指輪から目がくらむような大量の紅の光が放出される。
その光は、俺の身体を包む。
「力を抜きなさい。……害はないわ。只、少し辛いかもね。」
シーリスは、嬉しそうに俺を見つめる。
血を吸われた時とは異なる灼熱感が身体を襲う。
「……あ、あっつ。……身体が熱い。」
俺の呻くような声が響く。
シーリスは俺に馬乗りになったまま、無言で俺を見ている。
シーリスの小指から指輪が消え、俺を覆っていた紅の光も消える。
身を焼くような灼熱感が収まると、右手に違和感があることに気が付く。
良く見ると右手の甲に何か文字のような大きな痣が出来ており、僅かだが、右手の感覚が鈍くなっている。
「……それは、契約よ。まぁ、一種の呪いのようなものね。これで貴方がどこに逃げようとも私には貴方がどこにいるのか全て分かるわ。まぁ、逃げたらその場で殺すけれどね。」
シーリスはまるで幼い子供のように無邪気に笑いだす。
暫く呆然としていたが、己の身に起きた現実に戸惑いと本当に自分の決断が正しかったのかという思考に襲われる。
そんな俺の状況を気にかける様子も無く、シーリスは立ちあがりベッドから飛び降りる。
次の瞬間、驚くほど盛大な音をたてて、シーリスは体勢を崩し倒れ込んだ。
一瞬何が起きたのか分からず、言葉を失う。
なかなか起き上がらないシーリス。
「大丈夫か?」
起き上がらないシーリスが心配になって、痛みを堪えながら立ちあがり彼女を抱きかかえる。
シーリスは盛大に顔を打ったらしく、透けるような白い額が真っ赤になっている。
「本当に大丈夫か?」
「痛、痛た~ぁ、痛い。」
涙目になるシーリス。
さっきまで、全身凶器のような殺気をまとっていた少女とは同一人物だとはとても思えない。
「吸血鬼でも痛いと涙目になるんだな。」
俺は思わず笑みを浮かべる。
シーリスは、目を見開くとそんな俺を睨めつける。
「今、笑った、笑ったでしょう?ドジな奴だって思ったでしょう?」
「いや、そんな事は思っていない。断じて、思っていない。」
シーリスは俺を睨みつけると殺気を辺りに放ちながら右手で俺の首を掴む。
まずい、シーリスの逆鱗に触れたらしい。
殺される。そんな恐怖に襲われる。
だが、俺はあっけにとられる。
シーリスは力を入れているようだが、全然痛くない。
なんだ?このか細い力は。全然痛くない。まるでか弱い少女じゃないか。
あのとてつもない力はどうしたんだ。
俺はそんな事を考えながらシーリスの腕を掴むと自分の首から彼女の手を引きはがす。
シーリスの紫の大きな目が見開かれる。
俺の、人間の力に負けた事が、よっぽど驚いたらしい。
それもそうだろう。俺自身もまさかシーリスの力に勝てるとは思っていなかったのだから。
「……どうしたんだ?昨日とはまるで別人のような非力さだな。」
驚いた俺は思わず感想を口にする。
「うるさいわね。お腹、……お腹が空いて力が出ないの!!」
シーリスは視線を俺から外すとヒステリックな声をあげながら、よろよろと立ちあがる。
「お、おい、本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ、少なくとも貴方よりはね。貴方こそ私の心配より自分の心配しなさいよね。死に損ないのくせに。」
シーリスは俺の方を向く事なくよろよろと歩きだす。
「待ってくれ。」
シーリスの肩を掴むと、彼女は俺の手を乱暴に振り払う。
「構わないで、本当にお腹空いているのよ。あまり貴方の傍にいると、その、襲いそうなのよ。一生懸命我慢しているのだから、本当に構わないで。」
シーリスの辛そうな顔が目に映る。
「ほら、好きなだけ吸ったら良い。」
気が付いた時には、俺はシーリスに自分の腕を差しだしていた。
「……馬鹿じゃないの!!貴方自分の状態が分かっているの?」
「ああ、余裕な状態じゃない事だけは分かるかな。でも、俺が死なないように手加減してくれれば良いんじゃないか。」
俺は何を言っているんだ?自分で自分の言葉に驚く。
吸血鬼相手に俺は何をしているんだ、シーリスは今のところ敵ではなくても、味方でもない。そんな彼女に情けをかける必要があるのか?
自問自答の末、最も単純な答えに辿り着く。答えは簡単だ。例え吸血鬼であっても、自分の味方でなくても、辛そうにしている少女を目の前に何もしないという選択肢を選べなかっただけだ。
「はぁ~。貴方って馬鹿なのね。もう少し利口だと思っていたわ。貴方みたいな馬鹿は長生きしないわよ。」
シーリスは呆れたような顔で俺を見つめる。
「別に俺が馬鹿でも、長生きしなくても、君には迷惑かけないだろう?」
「まぁ、馬鹿でも良いけれど、あまり早く死なれるのは困るわ。だってお腹が空くもの。」
シーリスは呆れた表情を浮かべながら少しだけ笑う。
「確かにそれはそうだな。」
俺も微かに笑いながら、もう一度シーリスに腕を差し出す。
「もう、どうなっても知らないわよ。」
シーリスは、長い白銀の髪を耳にかけながら俺の腕に噛みつく。
鋭い痛みと何とも言えない快感が全身を駆け廻る。
シーリスは喉を鳴らしながら俺の血を啜っている。何とも言えない倒錯した世界に暫し魅入られる。
数秒も経たない内にシーリスは俺の腕から離れる。
思ったより遥かに短い時間に驚く。
「……もう良いのか?」
「これ以上吸ったら、貴方がもたないわよ。」
そう言うと、シーリスは先ほどよりしっかりと立ち上がると俺を見つめる。
「あの、……ありがとう。」
「え、何だって?」
あまりにも小さい声で良く聞こえない。
「だから、あ、ありがとうって言ったのよ。」
真っ赤になったシーリスは俺をベッドに押し倒す。
先ほどよりかなり強い力で。
「痛った、急に何をするんだ。」
「……馬鹿だからよ。ふふふ、良い気味ね。怪我人なのだから大人しく寝てなさい。」
シーリスはご機嫌そうに無邪気な笑みを浮かべる。
そんなシーリスを見て、なんだか少しだけ楽しくなる。
シーリスは急に小さな咳払いをすると鋭い目線で俺を見つめる。
人間を遥かに超越した吸血鬼の空気を纏ったようだ。
「それはそうと、腕にしている腕輪、どこでそんなもの手に入れたのかは知らないけれど、何があっても外しては駄目よ。」
「ああ、これの事か?師匠にもらった大事な腕輪だから、元より外す気はないさ。それは、そうと助けられたあの森でこの腕輪が光った気がしたな。」
先ほどの現象を思い出す。
「……今後、その腕輪が光ったらその場からすぐに離れる事、良いわね。」
「師匠も同じ事を言っていた。この腕輪は、いったいどういうものなんだ?何か知っているのか?」
「そんな事、知らなくても良いわ。それより、その腕輪をくれた貴方の師匠っていったい何者なの?」
シーリスはどうやら俺の疑問に答える気がないらしい。
その様子を見て、腕輪についてそれ以上聞く事を諦める。
「何者と言われてもなぁ、……俺には小さい時の記憶がない、もちろん親の顔も知らない。たまたま剣術修行の旅の途中だった師匠に拾われて、今まで育ててくれた。そうだな、俺にとっては親代わりの人だ。」
師匠の変わり果てた姿を思い出し、奥歯を噛みしめる。
「……そう、まぁ、良いわ。それより、私のものになる事を決断したクレスに褒美があったのだわ。」
「……褒美?」
「そう、多分、今のクレスにとって一番必要なものよ。そこで待っていなさい。」
シーリスはそう言い残すと、部屋から出て行く。とりあえず彼女の言葉に従うことにする。
暫くすると、シーリスはおよそ彼女の身体の大きさにそぐわない大きな木製のトレイに、食事らしいものをたくさんのせて部屋に戻ってきた。
「クレス、お腹すいているのでしょう?食べなさい。」
シーリスは、その大きな木製のトレイをベッドのすぐ横にある机に軽々と置く。
「これが、……褒美なのか?」
ようやく状況を理解する。
「……何か不服なの?」
シーリスの表情が一瞬、険しいものになる。
背中に冷たいものが走る、自分の命がシーリスに握られているような錯覚に襲われたためだ。外見が人間とまったく違いが無いため、忘れそうになるのだが、彼女は自分をはるかに超越した存在である事を改めて理解する。
「……いや。そんなことはないよ。ありがとう。」
シーリスの表情が少し緩んだ事に胸を撫で下ろすと、改めて並んだ料理の数々を見る。
今まで食べた事がないようなものが並んでいる。
まったく味が想像できない料理の数々だったが、空腹な現状と何よりシーリスの機嫌を損ねないためには食べるしか道はないようだ。
「起き上がれるかしら?」
「ああ、大丈夫。」
そう答えると、痛みに耐えながら身体を起こし、テーブルの方に体を向ける。
未知との遭遇に少々の戸惑いと、緊張を覚えながら、フォークとナイフを探す。しかし、フォークとナイフどころか、それらしき物も見当たらない。改めて料理を見てみるが、手で食べる物ではないように思える。
「……どうしたの?わざわざ近くの街まで買い出しに行ったのだから、食べなさいよね。」
シーリスはなかなか料理に手をつけない俺に痺れをきらしたようだ。
「……何を使って食べれば良いんだ?……まさか手掴みとか?」
「……貴方、まさか箸を知らないの?」
「箸?」
「そこに木の棒が2本あるでしょう?それが箸よ。何で刀を持っているのに、箸を知らないのよ。箸と刀は同じ東方の国の物でしょう?」
「ああ、これは預かり物だから。細かい由来は分からないんだ。」
「……そういう事ね。」
シーリスは壁に立てかけてある刀に目をやる。
「まぁ、良いわ。それよりその箸を使って食べなさい。」
そう言いながら、俺に箸の使い方を教えるシーリス。しかし、扱いが難しく中々箸で物を掴めない。
「……もう、貸しなさい。」
シーリスは俺から箸を奪うと、器用に箸を使ってオレンジ色の垂れのようなものに包まれた白い塊を掴み、俺の方に差し出す。
「今日だけ、食べさせてあげるわ。さっきの借りもあるしね。まぁ、せいぜい感謝しなさいよね。」
照れているのを隠すようにシーリスは、俺から少しだけ視線をずらす。その仕草だけを見ていると可愛らしい少女だ。先ほどまで殺気ともいえる威圧感を纏っていた人物と同一人物だとは思えない。
俺はシーリスの変わりように思わず見惚れながら、口を開け未知の物体を口に放り込む。
もっちりとした歯ごたえに、コクと旨みがある垂れがちょうど良く調和し、今まで味わったことが無い旨みが口の中に広がる。
「……うまい。」
思わず感想を口にする。
「良かったわ。人間の料理なんて、正直あまり自信が無かったのよね。私には味なんてもの理解できないのだから。」
シーリスは満足そうな笑みを浮かべている。
「……君は血以外のものを口にすることが出来ないのか?」
「そうね、だいたいの物は不味くて口にする気になれないわ。どうして、そんな事聞くのかしら?」
「いや、凄いなと思ってさ。味が分からないのに料理が出来るというのは。」
素直に感想を述べる。
「たいした事ではないわ。味覚が機能していなくても、嗅覚は機能しているしその物の形状、色から味くらい想像できるものよ。」
シーリスはなんでもない事のように淡々答える。そんな彼女を見ながら、彼女には自分の価値観、常識が全く通用しない事を改めて思い知らされる。
「そんな事はどうでも良いわ。それより早く食べなさいよ。」
シーリスは料理を箸で器用に掴み、それを俺の口元に運びそれを俺が食べる。
そんな事が数回続いてから俺は口を開く。
「いつまでも食べさせてもらうのも悪いだろう?フォークかナイフ、それに近い物で良いから何かないか?どうもこの箸という物は使えそうにないし。」
「フォークやナイフなんて物がこの城にあるはずがないでしょう。……諦めなさい。」
「どういう事だ?」
不思議そうに問いかける。
シーリスは突然箸を置いて大きな溜息を吐いた。
「……クレス、貴方は私の事を何も知らないのね。」
シーリスの不機嫌そうな声が当たりに響く。
急に不機嫌になったシーリスの真意が分からない。
「……用事を思い出したわ。残りはどうにかして食べなさい。」
シーリスは何故かとても悲しそうな表情をして、俺に背を向け歩き始める。
俺にはシーリスが急に不機嫌になった理由が理解できず、只彼女の背中を見つめる事しか出来なかった。




