第一幕 深紅の令嬢 Ⅱ
目を覚ます。見慣れない天井がぼんやりと視界に入ってくる。
見知らぬベッドの上で横たわっている。
暗がりの部屋の中、カンテラの淡い明かりのみが辺りを照らしている。
ここは、……何処だろう。
朦朧とする意識の中で考え込む。
次第に意識が鮮明になっていき、軽い錯乱状況に追い込まれる。
記憶の糸がほどかれていく、確か得体の知れない化け物に襲われ、美しい少女に助けられたのだ。
そして、今のこの状況。
「……死んだ、のか?」
空に疑問を投げかける。
「死んでなんかいないわ。」
返答がある事を期待していなかったので思わず声のした方に首を向ける。
すると、先ほどの少女が椅子に腰掛けながらこちらを見ていた。
気配をまったく感じさせない少女、いったいいつからそこにいるのかさえ分からない。
「……さっきの……、とりあえず、助けてくれてありがとう。」
身体を起こそうとするが、思うように動かない。
「別に構わないわ。見返りは頂くから。」
「見返り?」
相変わらず身体が思うように動かず、ただ顔を少女の方に向ける。
「……私が欲しいのは貴方。私が助けた命だもの、私がどのように使っても文句はないわよね。……とは、言ってもその身体じゃ暫くは動けないでしょうけど。」
少女の言葉に多少反感を持つが、身体が思うように動かず彼女の次の言葉を待つ。
「まぁ、安心しなさい。悪いようにはしないわ。」
少女は妖艶な笑みを浮かべる。
「助けてもらったのは感謝しているが、俺にはしなければならない事がある。だから、ここにいるわけにはいかない。」
右半身の激痛に耐えながら身体を起こす。苦痛で顔がゆがむ。
「ほら、その身体で動くのは無理だと言ったでしょう。私は言葉を理解しない愚か者は嫌いよ。」
少女は明らかに不快な表情を浮かべる。
「それでも、やらなければならない事がある。」
激痛に顔を歪めながらベッドから降り立ち上がる。
「そこまでして、やりたい貴方の願いとは何なのかしら?」
少女は、不思議そうに問いかける。
「……幻想華を見つける事。」
少女の紫の大きな目が見開く。
「幻想……、いいえ、幻想華……。久しぶりに聞く名前ね。残念だけれど、貴方に見つけることは出来な……。」
少女の言葉が終わる前に、俺は彼女の両肩を掴む。驚いたのか彼女の身体が一瞬小さく震える。
「幻、幻想華の事を知っているのか?」
少女の言葉を遮り、興奮しながら問いかける。
「ええ、知っているわ。教えてあげても良いのだけれど、まずはこの手をどけてくれるかしら?」
少女の言葉で我に返ると、慌てて両手を離す。
「わるかった。つい興奮してしまった。」
「ふふふ。まぁ、良いわ。なぜ、貴方は幻想華なんてものを探しているのかしら?」
「理由を言えば、幻想華の情報をくれるのか?」
「……さぁ、どうかしらね。」
少女は、小さな笑みを浮かべる。
その表情はまるで何かを試しているかのように見える。
一瞬の沈黙。
「……助けたい。故郷の皆を助けたい。それが幻想華を探す理由だ。」
沈黙を破るように口を開く。
視線がぶつかる。
「……切実な願いのようね。でも残念だけれど、貴方には幻想華を見つける事は出来ないわ、そう、貴方一人ではね。」
「どういうことだ?俺に、……俺に何か問題があるのか?」
必死に問いかける。
「貴方自身に問題があるわけではないわ。あえて言うなら、貴方が人間なのがいけないのよ。」
「どういう事だ?一体何を言っている?」
「言葉通りの意味よ。人間である貴方には、たどり着けない場所に幻想華はあるわ。」
「お前は、いったい何者だ?さっきの化け物の事といい、何故そんな事を知っている?」
暫くの沈黙。
その沈黙を打ち破るように少女のあどけない顔に妖艶としか言いようのない艶っぽい笑みが浮かぶ。
「それは、私が人にあらざるもの、……妖魔、だからよ。」
少女は笑みを浮かべながら聞き慣れない言葉を口にする。
妖魔、……無意識に少女を警戒する。
「やめておきなさい。私と戦おうとはしない事ね。私と戦えば、貴方死ぬわよ。……まだ死にたくはないでしょう?」
少女は悠然と俺を見つめている。
「確かに、まだ死にたくはないが、……お前は信用できそうにない。」
横目で刀を探す。
視界に壁にたてかけられた刀を見つける。
一瞬だけ少女から視線を外す。
距離にして、4、5歩。
どうやってあそこまで移動するか、考えながら再び少女に視線を戻す。
……その後の出来事はあまりの一瞬の事で、何が起きたのかすぐには理解する事が出来なかった。
気が付くと、少女は自分より身体の大きい俺を圧倒的な力で楽々とベッドに押し倒し、俺に馬乗りになっていた。
椅子に座っていたあの体勢からいつの間に距離を詰められたのかさえ分からない。
恐ろしい程の圧倒的な力。微動だにできない。
恐怖感から思わず全身に力が入る。
少女は、見下すような冷たい目で俺を見つめている。
「これで分かったでしょう?貴方ごときが私に歯向かうなんて、どれだけ無謀な事なのか。それとも……本当に死にたいのかしら?」
背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
俺は只黙って、少女を見る事しかできない。身体が無意識に震える。
「少しは自分の立場が分かったようね。そう、それでいいのよ。所詮人間なんて私の玩具でしかないのだから。」
少女は、満足そうな表情を浮かべると、言葉を続ける。
「話を戻そうかしら、どうしても幻想華が手に入れたいのならば、私が力を貸してあげても良いわ。」
「お前が力を貸してくれれば、幻想華は見つかるのか?」
「おそらく、としか言えないわ。」
「見返りは?」
「あら、察しが良いのね。」
「貴方……私のものになりなさい。そうすれば、協力してあげるわ。」
「どういう事だ?」
「こういう事よ。」
少女はそう言うと、口元から見えるおよそ人間のものとは思えない白い牙を俺の首元に突きたてる。
少女はゆっくりと俺の血を喉を鳴らしながら啜っている。
その異様な光景を目の当たりにしても何故か抵抗する気になれない。
「あら、どうしたの?さっき吸われたばかりでしょうから、ほんのわずかにしか吸ってはいないはずだけれど。」
少女は俺の首筋に突き立てていた白い牙を抜き、舌なめずりをする。
「……お前は……いったい?」
非現実的な光景に思考がついていけない。
「あら、聞いていなかったの?先ほども言ったでしょう?私は貴方達人間とは異なる存在。そうね、吸血鬼とでも言ったら分かってくれるのかしら?」
呆然としている俺を気にも留めずに少女は言葉を続ける。
「私の名前はシーリス・エリザベート。……貴方達が吸血鬼と呼んでいる存在よ。」
「……吸血鬼?」
ようやく我に返る。
「あら、この世界は貴方達人間だけのものだとでも思っていたのかしら?ずいぶん傲慢なのね。」
「……そんなことは思ってないが、簡単に信じられるわけないだろう。」
そう答えると、シーリスは大きな溜息を吐く。
「まぁ、そんなものでしょうね。ある程度の知性があるという事は、即ち常識という枠組みに囚われるという事。自分が作り出した常識から逸脱する事象に関しては、それが真実だとしても、認める事ができなくなる。……けれどね、よく覚えておきなさい。その価値観を捨てない限り貴方は、幻想華を手に入れる事はできないわ。」
シーリスはそれだけ言うと俺から飛び降り、カンテラを右手に持つと背中を向け歩きだす。
シーリスから解放され身体を起こすが、彼女の雰囲気に飲まれ、ただその背中を黙って見送る。
「そういえば、貴方の名前は?」
シーリスは、部屋の扉のところまで歩くと背中越しに問いかけてくる。
「……クレス、クレス・ハーゼル。」
シーリスの背中を見つめ自分の名前を口にする。
「そう、……クレスね、……クレス、良く考える事ね。結局、貴方に選択肢はないのでしょうけど、悩む時間くらいはあげるわ。どちらにせよその身体では、幻想華がある場所には辿り着けないでしょうしね。暫くは大人しくしていなさい。」
シーリスはこちらを振り返ると静かに微笑む。
「それでは、良い夜を。」
シーリスは妖艶な笑みを浮かべると、部屋から出て行く。
明かりが無くなり、暗くなった部屋。
ベッドに倒れ込む。
身体が悲鳴を上げているのが良く分かる。
確かにシーリスの言う通り、暫くはまともな活動は無理だろう。
ベッドに仰向けに転がり、漆黒の天井を見上げながら、シーリスが突き付けてきた条件の事を考える。
……断れるわけがない。
この一年近く幻想華の情報を漁るように探し続けた。しかし、有力どころか、ちょっとした情報すら手に入れる事ができなかった。それがいきなり有力な情報を得ることができるかもしれないのだ。この機を逃すと、もう二度とチャンスは訪れないかもしれない。俺の思考は、答えを導き出している。
問題なのはシーリスが突き付けてきた条件だ。彼女の「私のものになりなさい。」というのは、おそらく自分の食料になれと言うことだろう。
しかも、相手は吸血鬼だ。
最悪、命を落とすかもしれない。
それでも、故郷の皆を見捨てる事はどうしても出来そうにない。
「選択肢はない、確かにその通りだ。」
そう呟くと目を閉じる。
思考が渦巻く。
時間が長く長く感じられる。
その晩は、中々寝付く事が出来なかった。
※
暗がりの廊下に響く足音。
私は足を止め窓から見える月を見上げる。
あれからどれくらいの時が経ったのだろう。
あの日と全く同じように空に輝く月。
あの方の最期の時も、同じように私は月を見上げていた。
私の顔にかすかな笑みが浮かぶ。
「お姉様……ようやく見つけました。」
音一つ聞こえない静寂の世界に、私の静かな声のみが聞こえる。
私の結界の中に侵入した人間を見つけた時にもしやと思ったが、間違いなかった。私が作り出す結界の中に侵入するには、私以上の力で結界を破るか、結界そのものを無効化するしかない。
結界を無効化できるのは神気という気配をもつ神人と呼ばれる存在だけだ。
クレスに触れた際、感じたのは確かに神気だった。
人間には間気、妖魔には妖気といったそれぞれの気配が存在する。
私達妖魔と特別な力を持った一部の人間達は、この気配を使って特定の人物の捜索や索敵を行う事が出来る。無論、能力の強さに応じて捜索出来る範囲や精度には制限があるのだが。
そして、この世界に間気でもなく妖気でもない特別な気配神気と呼ばれる気配を持つものが二人だけ存在する。
その特別な神気を持つクレス、間違いない。……彼は神人だ。
私が気配を追えない事や、この世界にばら撒いている私の化身達に見つけられないのも無理がない。
クレスの右腕の腕輪、あれは隠遁華。
持ち主の気配を完全に無にする力を持つ神の欠片。
私も実際に触れるまで、クレスの正体を掴む事は出来なかった。
しかし何故、あんな物を持っているのか?
思考を働かせるが、すぐにそれを放棄する。
……今は、考えても仕方無い事。
それにしても考えてみれば、長い時間だった。
永遠に訪れないのではないか、何度もそう思いながらそれでも諦める事が出来ず、只ひたすら待ち続けた。
……待っていて良かった。
今度こそ全てを手に入れてみせる。
そのために、この永遠とも思える時の牢獄を生きてきたのだから。
失敗するはずが無い。
この世界がどうなろうと、私は目的を達成できればそれで良いのだから。
「……それにしてもクレスは私達妖魔の事を知らなかった。あの態度、とても演技だとは思えない。という事は、自分の存在にも気付いていない可能性が高い。幻想華を幻想華と呼んでいるのが、決定的な証拠だ。おそらく幻想華がどういう物かも理解していないのだろう。本当に良いタイミングで捕まえる事ができた。ふふふ。」
静かな笑みを浮かべながら私は歩き出した。




