第一幕 死皇帝ゲーテ Ⅱ
やはり、捕捉できなかった。
私は昔から索敵が苦手だ。
分かっていた事だが、悔しい。
噂を聞いた時まさかとは思ったが、この状況は非常にまずい。この世界の名前は選者の聖域。強大な力を持った選ばれし妖魔のみが具現化出来る世界。
元々あった物に結界を張り外界を拒絶する領域を作り出していた私の居城とは違い、選者の聖域は世界自体を具現化させる。この空間の支配者は少なくとも私と同等かそれ以上の実力の持ち主だ。
この空間の主に向かって抑えていた妖気を放出して威嚇する。
突然、クレスの右腕の腕輪、隠遁華が激しく光りだした。
これは隠遁華の能力の一つ。敵意を持っている気配に反応する。光の強さは、敵意を放つものの強さに比例し、使用者より弱いものの殺意では反応しない。
「……やれやれね、気をつけなさい。」
私はその激しい光を見つめながら、怒りを噛み殺し口を開く。
深い霧があたりに立ち込めていて、見通しがかなり悪い。
逃げ出すのは至難の技だろう。私の居城を覆う結界は、外界を拒絶するためのものだったが、この世界は人間を誘い込み、逃がさないための物だろう。
そう蜘蛛の巣のような物だ。
出来れば戦わずにこの場を去りたいが、相手はこんな大掛かりな世界を作り出せる存在だ。そんなには甘くないだろう。
考えると、余計にイライラする。
「……ここは?」
クレスは慎重に歩を進めている。
私は黙って辺りを見回しながら、クレスの後についていく。
歩を進める私達の視界に立ち尽くす一人の老人が映る。
その老人に駆け寄るクレス。
霧の中で俯いているため、老人の素顔を見ることは出来ない。
老人から強大な妖気を感じ、クレスに駆け寄る。
奇声を上げながら、こちらを見つめる老人。彼の顔は生きた人間の物ではなかった。瞳が抉り取られたようになく、ただ黒い空洞がそこにはあった。
老人の手がクレスに向かう。
「離れて。」
老人の手がクレスに触れる前に私はクレスの腕を強引に引っ張り、彼の身体を自分の後方に引っ張り込んだ。
「あああ、惜しいな、あと少しだったのにな。」
瞳のない老人の顔に不気味な笑みが浮かぶ。
「貴方、人間ではないわね。何者なの?私のものにこんなことして只で済むと思っているのかしら。」
私の苛立ちを含んだ声が当たりに響く。
老人はにやりとおぞましい笑顔を浮かべる。
次の瞬間、辺りに肉を引き裂くようなおぞましい音を立てながら、老人の腹を割いて、二本の腕が出てくる。
肉を割くような音が鳴り止むと、そこには老人より一回り大きい黒い山高帽と古びた燕尾服に身を包んでいる男が立っており、地面には、先ほどまで老人の形をしていたものが肉の塊となって、横たわっていた。
クレスはそのおぞましい光景に衝撃を受けたのか、微動だにしない。
「おや、おや、君は、深紅の姫、久しぶりとでも言えば良いのカネ?」
肌が黒い燕尾服の男は、残忍な笑みを浮かべる。
骸骨のような顔、底が無いようなどこまでも漆黒な瞳に悪寒が全身に走る。
見た事がある姿。
今まで感じていた妖気とは比べ物にならない禍々しい程強大な妖気。
……死皇帝。
まずい。
私より高位の妖魔。
私達妖魔の世界には階級が存在する。妖魔には高位妖魔と呼ばれるもの達がおり、実質妖魔の世界はこの高位妖魔によって支配されているといっても過言ではない。
高位妖魔には上位から順番に七の帝と二十四の王、三十六の公と七十二の爵が存在する。こいつの階級は帝、つまり妖魔の中でも最上位の存在であり王である私より高位にあたる。
選者の聖域を使用できる時点で、王以上の存在である事は分かっていたが、よりにもよって七帝の一人なんて。
万全な状態の私でも勝算はおよそ十パーセントにも満たない。今の私では間違いなく殺される。
深呼吸をして、目を細めながら目の前の敵を見る。
「ゲーデ、これはどういうつもりかしら?……まぁ、今ならまだ許してあげるわ、早くこのふざけた世界から私達を出しなさい。」
私は、精一杯の虚勢を張りクレスを守るように立ち位置を変える。少し落ち着きを取り戻した彼が、刀の掴に手をかけるのが分かる。




