第二幕 異なる存在 Ⅱ
「悪いのだけれど、宿を探す前に一度、酒場に行こう。」
俺は足を止める。
「酒場、……ああ、あんな所に行ってどうするつもり?お酒でも飲みたいの?」
日が沈んだのを見計らって、頭部のローブを外したシーリスのあどけない少女のような横顔が俺の瞳に映る。どうやら同じ光でも月の光は問題ないらしい。
「いや、情報が欲しいだけさ。酒場では街道の安全性や周りの街の情報などがある程度手に入る。少しだけ外で待っていてくれるだけで良いよ。情報を買ってくるだけだから。」
「嫌よ、外で待っているなんて性に合わないわ。それにせっかく行くのなら、お酒も飲みたいし。」
「えーと、……君は酒なんて飲めるのか?」
予想外のシーリスの反応に思わず驚く。
「一応飲めるわよ。人間の食べ物も食べられないわけではないわ。只、殆どは不味くて嫌なのよ。でも、お酒は好きよ。連れていくだけ連れて行って、何もせずに待っておけっていうのはひどいんじゃないのかしら?」
シーリスは期待に満ちた表情を隠しもせずに俺を見上げている。
「ああ、分かったよ。この状況じゃ断れないだろうし。……というか、君の場合、たぶんそれもすべて理解した上で言っているとしか思えないが。」
情報のみを買いに行こうと思っていた俺は、根を上げる。
「さぁ、それはどうかしらね?行くなら早く行くわよ。時間が勿体ないわ。」
シーリスが軽い足取りで酒場が軒を連ねている方へと向かっていくのを目で追いかけながら、溜息交じりに歩を進める。
酒場の前で、突然シーリスが立ち止まる。
「どうした?」
シーリスは俺の問いかけを無視するように、右手を翳す。
シーリスの右手が淡い紅の光に包まれる。
「ふぅ……終わったわ。私達吸血鬼は、本来初めて訪問する家にはその家人の招きが無いと入れないのよ。まぁ、その制約も低級な吸血鬼にしか適用されないのだけれど。」
「……君は、その制約を破れるのか?」
「言ったでしょう、制約は低級な吸血鬼にしか適用されないと、私はこう見えても吸血鬼の王なのよ。こんな制約で私を縛る事なんて出来るわけないわ。そんな事より、早く行くわよ。」
シーリスが歩き出す。
吸血鬼の王、シーリスは確かにそう言った。俺はもしかしたらとんでもないものに目を付けられたのかもしれない。
俺達が酒場に入ると、それまで聞こえていた喧騒が急に止み、多くの視線が俺達に注がれる。
俺はその多くの視線がシーリスに向けられている事に気が付いていた。彼女の作られたかのような美しさに初めて出逢った時の自分と同じ様に捉われているのだろうと、簡単に理解できたからだ。
実は、これが酒場にシーリスを連れてきたくなかった理由の一つだ。ただ見とれるだけなら一向に構わないが、それだけでは済まないものも中にはいるだろう。争い事は極力避けたい、それが俺の考えだからだ。
俺達はカウンターの端の席に座る。
「こりゃ、また偉い別嬪さんだねぇ。こんな別嬪さんを連れているなんてお客さんうらやましいなぁ。」
酒場の主人らしき中年の男は愛想笑いを浮かべながら、粗末なメニューらしき紙切れを俺に渡す。その紙切れをシーリスに渡し、男に話しかける。
「もちろん注文はするけれど、情報も欲しいんだ。」
すると、その男は片手で料理を作りながら口を開く。
「お客さん、身なりから見て南のほうから来なさったね?どこに向かっているんです?」
「とりあえず街道を暫く北に行くつもりだけれど。」
シーリスが行き先を明確に教えてくれない為、漠然とした答え方しかできない。
すると、男は急に手を止め真剣な表情を浮かべながら前のめりになり、俺の耳元で囁く。
「お客さん、今、北に行くのだけはやめておいた方が良いですよ。」
「どうしてだい?」
その男の態度に疑問を持ち、聞き返す。
「いやね、ここ数日おかしな事が起きていましてね。北の街道を旅していた人間が何人も行方不明になっているんですよ。」
「盗賊か何かに襲われたんじゃないのかい?」
「いや、私もね、最初はそう思ったんですけれどね、どうもそうじゃないらしいんですよ。たまたま運良く無事に帰ってこられた行商人がいましてね。そいつの話だと、急に辺りに霧が立ち込めて来て、少し前を歩いていた仲間が突然跡形もなく消えてしまったそうなんですよ。」
無言でシーリスに視線を送る。
この不思議なうわさ話にはシーリスのような妖魔と呼ばれる存在が関わっているのではないか、という疑問がわいたからだ。
しかし、すぐにその行動は無駄なものだと思い知らされる。
なぜなら、シーリスは目を輝かせ食い入るようにメニューの紙切れを見ていたからだ。
「とりあえず、目ぼしい情報はそれだけかな?」
苦笑をかみ殺しながら問いかける。
「いまのところはそれだけですな。後は商品取引の情報がありますが、見たところお客さん商人ではないでしょう?」
黙って頷く。
「それじゃ、必要ないですね。ところで、注文聞いても良いですかね。」
男が愛想笑いを浮べる。
「ああ、悪かったね。とりあえず、エールと適当につまみになるものをくれるかな。君は何が良い。」
「私はこれが良いわ。」
シーリスは、子供のような無邪気な笑顔を浮べながら、リストの下の方に書いてある酒の名前を指差す。
「お嬢さん、それはお酒なんですけれど、大丈夫なんですかね?」
男は俺の方を向く。仕方ない事なのかもしれない。シーリスの年齢を俺もつい最近まで十代後半ぐらいかと思っていたのだから。
俺は男の方を見て、黙って頷く。
男はそれを確認して愛想笑いを浮かべる。
「分かりました。それでは、少々お待ちくださいな。」
シーリスは、葡萄酒を選んでいた。




