冬の葬列
時節は6月。長雨の砌、蛙鳴の響きが稲田の水面を揺らす折柄。梅雨の湿気を肴として肥大化した鬱憤を晴らすため一人曙光の見えぬ庭に出た。少しすると、遠くで彼誰時を知らせる鶏鳴が響いた。霧が深い。そのあまりの幻想的な状況を前に、豈図らんや異郷の地に紛れ込んだような気分になった。すっかり目が醒めてしまったので家に戻って眠るわけにもいくまい、そう考えた私は特にありがたくもない平日のご来光を待つことにした。その間、徒に自転車に跨って空漕ぎをしたり、茎にぶら下がる朝露を蹴っていまだ抜けきれない冷やかな春の面影を感じたりして時間を潰していたが、東に昇ったはずの太陽は厚い雲に阻まれ、結局待ちぼうけを食らう羽目になった。天気さながら、どんよりとした心持で庭のホースで足を洗って家に入った。
次に起きた時、時刻は8時手前になっていた。一限の講義は9時半であるから、どう転んでも遅刻は免れない。が、無論こうなった際の保険は取ってある。というのは、講義の開始時刻が9時であることを知っているのはこの家族の中では私だけであり、母にはあらかじめ10時と知らせておいてあったため、通学に一時間近くかかるにもかかわらず呑気に8時半過ぎに家を出ても誰も私を責める者はいなかった。一限の出席率は私の気分次第で左右し、半学期のうちに発動した良心の呵責の回数と義理堅い比例関係を結んでいる。が、完全に私の手中に収まっているわけではなく、学費や深夜の電気代、または就職した旧友の労働事情などが母に知れた時は非難の避難先として早々に学校に出、それが結果的に一限の出席に繋がることもかつて二度三度あった。こういう時に限り一人暮らしが羨ましくなる。今日も今日とて出発時間を遅らせて雨の勢いの弱まるころ合いを見計らって家を出、傘片手にペダルを踏みながら駅へ向かった。
改札を抜け階段を下りしなに目に入ったプラットホームの電光掲示板には、異音発生とその点検で電車が遅れ大変申し訳ないという旨のメッセージが表示されてあり、下り列車が停車する度に嘆息や怒号が響いた。しかし10分ほどして遅れてきた電車の額に、特快の二文字がぴったり貼り付いているのが分かると瞬く間にプラットホームから雑音が絶えた。行きも帰りも相変わらずの満員電車であるが、不快の度合いは天と地の差である。最寄りは中継の始点駅から近い位置にあり、よほどのことがない限り席には座れる。私のお気に入りは11両目にある四人組のボックス席の窓側で、頬杖をつきながら窓越しの景色を眺めたり、窓に反射した車内の人々を観察するのを日課としている。今日もまたいつものように窓の外に目をやると、線路沿いに立ち並ぶ楓が冬の荒れ狂う海を前にした海松のごとく揺れていた。しばしの間、その楓達の撓り具合に感心していたが次第に飽きが来て視点を遠くから近くに戻した。すると、窓越しに針のような雨が何かを訴えかけるように集まってきた。私はこの気分屋で冷徹そうな雨風に覚えがないわけではなかった。彼らとは間違いなくいつかの冬の葬儀で出くわしている。
冬の葬儀は凍風とみぞれの中静かに執り行われた。空の棺桶の前で焼香をたく奇妙な葬儀であったが、行方の知れぬ故人の生前を偲ぼうと参列者が多く集まった。彼らが為した、葬儀場を縦に貫く長い参列はさながら黒い蛇が鎌首を垂れているようであった。なお、この時初めて私はあのミステリアスな祖父、平澤騏一郎の顔の広さを知る機会を得たのであった。
やがて葬儀が終わって参列者一同お斎の場に向かっている間、私はふと小便がしたくなって山道沿いにあった長距離トラック用の休憩場に車を止めてもらった。車内の暖房で温めた体を極力冷やさぬよう小走りでトイレに向かい、用を足し終えて車に戻ろうとした時、腰かけベンチの横にあった自販機の釣銭蓋が不自然に動いていることに気づいた。小走りを止めてその場に静止し、自販機の方向へ歩みを進めようとした途端、一陣の風が吹いて後ろの竹林を揺すぶった。竹林はカサカサと奇妙な音を立て、忙しなくけたたましい鳥声を連れてきた。体に突き刺さって体温を奪っていくようなみぞれも相まって、辺りは神妙な雰囲気に包まれた。私は恍惚に囚われながらも、なんとか風の姿を追って竹林の上部に目をやった、すると樹頭付近に大きな巣のいくつもあるのに気づいた。鳶かノスリの巣であったろう。突風に吹かれた竹が元の屹立に戻ろうと小刻みに震えるたびに、親鳥は両翼を羽ばたかせて巣の護衛にあたった。慌てふためく親鳥の必死さを見るうちに車で待たせている両親のことを思い出し、はっと我に返ると、みぞれは雨になっていて、凍風はとうに去って跡形一つ見当たらなかった。自販機の揺れも、あれほどけたたましく空にこだましていた鳥声も疾く失せて、竹林は山道の中のありふれた景色の一部になっていた。
窓に吹きつけていた烈風は止んでいて、昔日に誘うような無情の雨もいつしか可憐な雨に変わっていた。車内は乗車時よりも混雑してい、通勤通学その他諸々の乗客でごった返していた。私は終点までの残り何十分かを、人生を終わらすまいと両腕を高い位置に上げている初老男性の気の使いようや発車するたびに無理に押し込まれる太った乗客などを見て楽しんでいたが、終点のゲシーストワール駅に着く間際になって急に腹の隅の良心の呵責が息を吹き返し、余裕を腹中から追い出した。それからは、乗客のドラマに目をくれる心のゆとりなどは最早無きに等しく、責め立てられるようにボックス席を出ると改札階段の前に停まる隣両まで車内を縫うようにして歩いた。