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朧湛  作者: 東瑠璃
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厄介な先約


 誰一人として課題内容の出し遅れや出し忘れは無かったようだ。全員が提出するのを見届けた後、三峰教授は両手でレポートのタイトルを一瞥しながら教室内を一周してそれぞれに賛辞の言葉をかけた。

「皆さん、大変よくできました。貴方たち5期生は今までで一番優秀かもしれません。提出期限日に出し忘れがないなんて。素晴らしい。」

提出期限に漏れた人がいなかったというだけなのに、ここまで褒められるのは妙な話である。過去のゼミ生はいったいどれだけ怠惰と堕落に親炙していたのか。緩ゼミの淵は果てしない。

「課題レポートを出しただけで単位が来るなら安いものです。」

薄毛の白井が言った。官僚になるために敢えて緩ゼミに入った男の言うことは違う。

「一昨年もレポート課題を出したんだけど、期限内に提出したのは一人だったからねえ。レポート課題が発表されたことも知らなかったゼミ生も結構いたわよ。それでも可哀想だったから全員に可をつけちゃったんだけどね。」

三峰教授の良心が荒まない限りは、緩ゼミの風評も失せやしまい。その昔、教授の研究業績に惹かれて指導を乞いたいと入ってきた学生は一年足らずでゼミを辞め、教授の個人研究室専属のスタッフになったらしい。私とて宵、もとい水島篝が居なければどうなっていたことか。

「えー、春期のゼミはこれで最後です。お疲れさまでした!それと今年のゼミ合宿についてなんですが、これも数人には既に伝えておいたのですが、正式にゼミで言ったことは無かったと思うので改めて報告します。今年のゼミ合宿は、、ツェールスーデン湖です!詳細は後でホームページに挙げておきますので。乞うご期待。」

そう言い捨てて、教授は一早く教室の扉から出ていった。講義終了の鐘が鳴ったのはそれから5分経った後だった。

「今年のゼミ合宿は盛り上がりそうだな。」

隣に座っていた福原が喜色満面の笑みを浮かべて此方に話しかけてきた。

「今年も何も、俺らは一年目だ。去年は赤の他人同士。」

「ゼミ合宿、来てくれるよな?」

「例え行ったとしても、お前と同じ部屋で寝るのなんて御免だね。もう大学生なんだし、夜になったら腰巾着と休憩してくればいいじゃないか。リゾート地だからそういうの山程あるし。」

「居ないと寂しい。俺独りぼっち。」

「馬鹿にしてるのか。」

「遊園地もなければ目抜き通りもない。あるのは湖と温泉街だけ、それじゃ彼女たちは着いてきてくれないんだ。完全に詰んだ。」

「人徳が無いにもほどがあるな。秘宝館にでも連れていって差し上げろ。」

「頼むよ。一生のお願い。」

「お前の一生は連続でなくて断続的に進んでるみたいだな。まあ、部屋くらいなら無問題だが自由行動の時は絶対憑いてくるなよ。」

「あざっす!」

余計なくっつき虫が一匹付き纏うことになって少し高揚感が薄れた。が、それにしても思わぬ朗報だった。ツェールスーデン湖は都心から南に向かって伸びている電車の終着駅であるため、比較的アクセスが容易なこともあってか、都会の喧騒に疲れた人々の慰安場所として人気がある。私としても、西端の岬や島に目ぼしをつけて盛大に空回りした第一回調査の反省として、夏が終わる前までに南端に寄って何かしらの手掛かりを拾っておきたいと思っていたのだが、こんな形で好機が目の前に現れるとは想像だにしなかった。壁際で延々と手を動かしていた彼女もその一報を聞くと迅にして面を擡げていたのを見ると、彼女の方でもこの前の不漁を気にかけていたに違いない。今後の計画を考えようという意思だけでも示すことができればよかったのだが、私が厭々福原の相手をして居る間にすっかり教室から姿を消してしまったようだ。

「でさ、来週の期末試験の山張り一緒にしてくれん?」

「己福原めが。」

つい内に閉じ込めた独り言が隙間から漏れてしまった。

「奉公先の親玉を暗殺された時くらいしかそんな台詞出ないけど、俺そんな酷いことしたっけ?」

「存在自体が悪なんだよ。お前何回講義休んだ?」

「3回」

「優等生じゃないか、俺は4回だ。お互いのノートを照らし合わせて空白を埋めよう、話はそれからだ。それとお前んところの色情サークルで過去問貰ってきてないのか?」

「大学準公認だしヤリサーじゃないよ、皆爛れてた生活を送ってるけどね。過去問は2つ手に入ってるよ。」

「それを貰ったら山張りをしてやってもいい。」

「そんな居丈高に振舞われるなんて。やっぱり自由行動の時も着いてっていいと許可してくれたら過去問を配ることにしようかな。」

「虎の威を借りる狐の位置に安住して胡坐をかいているお前になぜ女が絶えないのかよくわからん。」

「そりゃ顔だよ。あとヒモの流儀を抑えているからかな。母性本能を上手くくすぐるのさ。」

「俺はお前のなよっとした顔がそんなに好きじゃないから、髪型で詐欺しているようにしか思えないが。まあいい、今から一階のプリンターでお互いのノートのコピーを取って補完するから。その時に過去問も貰うぞ。」


 下に降りてプリンターで印刷を行っていると、幻像機に通知が届いた。私は福原が暇を持て余して虚ろげに掲示板を眺めているのを確認すると、急いで通知されたメッセージを開いた。メッセージの送り主は水島篝で、その内容を掻い摘んで纏めると「新たに得た知識や情報をお互いに共有する機会を設けたい。電子上でも不可能ではないが文字列だけでは齟齬が生じるかもしれない。」ということであった。おそらくゼミ合宿の自由時間を使ってどの辺りを調査するか目途を立てたいのであろう。

 返信の内容を考えあぐねている内にプリントの印刷が終わり、掲示板を見ていた福原が終了音に釣られてのこのこやってきた。彼に過去問の原本と欠席回のプリントを渡すと、彼は一枚一枚四つ折りに畳んでフォルダーの中に忍ばせた。

「手間はかかるけどやっぱり紙媒体がいいね。幻像機のホログラムに浮かばせて勉強する人も多いけど、なんだか記憶に残らないんだよね。」

「何時まで経っても図書館が電子媒体に移行しないのも、同じような意見を持つ人が多いからだろうな。」

「不思議だね。」

「随分前に多数派の地位を退いた割に、まだ改悪の魔の手は届いてないみたいで助かる。」

「ラッキー。」

「まったくだ。」

帰りの電車の中で優先席の前のつり革に片手を預けて、もう片方の手で凝った肩を揉んでいると、優先席に座っていた身なりの良い老人が鞄から新書を取り出して読み始めたので、負けじと私もカバンの底から借りてきた、鈍器としても役に立つであろう分厚い本を取り出したが、これがためにせっかく治りかけていた肩痛が再発しかけたのだから、最近はやりの本読みのプロトコルは守らぬが吉である。











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