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朧湛  作者: 東瑠璃
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siempre Fuiste la razon


「ラゾーンネの極西、ウイトゲステッケンド岬まであと31㎞だって。」

周縁の街までの距離が書かれてある青看板を見ていよいよ昂揚の情を隠しきれなくなったのか、水島篝は会話用のインカム越しに目的地までの距離を伝えてきた。いささか上擦った声であった。これまで寡言を貫いてきたために、彼女の喉が感嘆の表現方法を忘れたのだろう。無理もない。しかし、せっかく大学近くの電気屋まで赴いて二人分のインカムを買ってきたのだから、もう少し会話に勤しんでもらいたかったというのが私の感想であった。

「楽しそうだな、篝さんよ。俺は今回の遠出がその身体的疲労にそぐわず坊主に終わることが心配でならないよ。あの本にだって、地名由来と特産品、子供でさえ分かるような改称の候補くらいしか書かれてなかったし。文献にも裏打ちされてないただの勘一つを当てにして果たして釣果が出る方が奇跡だな。岬に行ったとて見えるのはブイ、手元にはフイ。なんちって。」

「あなたの皮と肉は高値で売れそうね。死期が近くなったら教えて頂戴、剥ぎ取りに行くから。」

「にしても、まさかこの二週間で原付改種の免許を取ってくるとは思いもしなかったよ。」

「……。」

何の反応も帰ってこなかった。風切り音が再び大きくなった。あの作戦会議から昨日までの二週間、お互いに一言も交わさなかったので、私はあの出来事が夢物語なのではないかと内心睨んでいたのであったが、昨晩のゼミ終わりに彼女が投げてよこした紙飛機のメッセージを読んでこの夢が現とわかった。

 私はふと空を見上げた。少し白んできたようだ。夜を帳になぞらえて喩えることがあるが、薄明の東空を見るに改めて秀逸な表現と気づかされた。この日の日の出時刻は午前4時16分、現在3時40分を過ぎたばかりなので岬で日の出を拝することはできそうだ。彼女は深夜出発の理由について、都心での渋滞に巻き込まれないことや、免許取り立てで運転に自信が無いことなどを上げていたが、その本心は専ら西端の岬の燈台で日の出を拝することにあるだろう。東端でないのが惜しいとは蓋し彼女も思うところ。

「この橋を渡ったら、岬のあるアムヴェステン県。結構長いし強風が吹くことで評判。ご安全に。」

久しぶりにインカムから彼女の声がした。壊れていなかったのか。

「下調べご苦労様。ご安全に。」

先導する初心者マークのオートバイがスピードを下げたので、此方も幾分か速度を落としたが、わずかの合間に風の方向を読むと、アクセルを回して併走した。正面を向いていたヘルメットが90度近くその向きを変えて此方をじっと見つめた。私も全力の笑顔でもって彼女の方を向き、片手を振って煽った。その瞬間、強い海風が吹きかけてきたので私は思わずバランスを崩しそうになった。流れる冷や汗もそのままに、なんとか体勢を立て直し終えて彼女の方を見るとヘルメットはすでに前を向いていた。僅かの間であったが、彼女越しに曙が遮る雲を紫に染めている空模様や、海上を走る漁火がもうじき役目を終える寂寥が窺えた。風景が与える明媚に耽溺しながら逆側を見ると、まだ帳は下りたままらしく、汀に寄する黒波が埠頭に打ち付けては砕けた。私にはこの橋が境になっているのだと思われてならなかった。県境に近づいたとき、そう遠くないところで、臨海工業地帯の煙突が群れを成して緑の蛍光を放っているのが見えた。今しがた見てきた、人を御伽噺へと誘い込むような色あせた街の灯とは対照的である。図らずも産業構造の高度化を目の当たりにしてしまい、咄嗟に視線をスピードメーターに戻した。もう夜明けは近い。

 橋を越えてからしばらく経った。長時間の運転のためか首が全く動かない。国道の両側の畑や植物、ガードレールの色も地元とはかなり異なっているようで、これらがまたなんとも旅情を誘うのだが、眼球を動かすだけで精一杯であったし、払暁の計らいで夜影の驕傲を咎めなかったから、私にはその風土的特徴をつぶさに見ることができなかったのだ。市街地に近づくにつれて道はどんどん広くなっていき、漁港から出てきたと思しきトラックの往来が目立ってきた。

「もうすぐだ。思ったより早く着いたなあ。」

「寄り道一つしないとは思わなかった。」

「合流時に一店寄って腹ごしらえしたでしょう。鮭むすび」

「今ちょうどあの鮭むすびの味を懐かしく思ってたところだ。おや、上顎と前歯の隙間に鮭のカスが挟まってた。僥倖々々。」

「……。」

アスファルトをへこませていくトラックを気にもかけず、横道へ曲がると車は途絶えた。松並木に沿って進む、そしてその先には展望台が刺さったような島が見えた。

「あれ、岬の隣の島の展望台。」

「天気予報の時いつも見てる。」

「あそこも一応見て回る予定だから。」

「へえ。」

朝の四時台に日の出を拝んで、それからどうするのだろうと思っていたところだから、その一言を聞いて何となく靄が晴れた気分になった。それにしても、二台の原付が勢いよく明朝の松並木を駆けていく姿は甚だ奇異であったに違いない。地方特有の私鉄の踏切を越えて道なりに進むとまもなく岬の駐車場に着いた。先客はいないらしい。むしろそんな酔狂な天邪鬼がいられては困る。西に無辺に広がる海からご来光を臨めるはずもないということは言わずもがな、水平線を歪ませて生まれる太陽が見たければ東端に行けばよい。

「さあ着いた。空ももう蒼穹を待つばかりといったところね。」

「西から昇る陽を見せてくれるのか。」

「無理な注文ね。」

「なんだ。」

「調べたところ、この燈台には階段があって頂上から日の出が見えるみたい。もちろん東方向から。」

「しょうがない。階段でも上るか。」

「期待に応えられなかったのは申し訳なく思ってる。ただ日の出が見たいという漠然とした理由のために朝の1時半からつき合わせたのだから気分を害したって当然よ。」

「それは別に良いんだが。」

岬とあって強い風が吹いている。かつて遥か西からこの地を目指して遠路はるばる船を向けた人々もあったことだろう。しかしこの厳しい潮の流れを見る限り、海底は死屍累々に違いない。今では髪の毛一本さえ残していないだろうが。と、どこからともなくやってきた綿胞子が目前を飛んでいく。お前も水底の骸になるのか。灯台の入り口まで来たところで急に彼女の足が止まった。そして手で持っていた小柄の懐中電灯を渡してきた。

「ふん。」

「いいだろう。」

私にはその意図がよくわからなかったが、今までの道中ずっと後塵をなめてばかりだった上に、潰れてばかりの面子を今度こそ守らなければならないという負い目もあってか進んで引き受けた。灯台の入り口扉を開けると、なかなか雰囲気のある暗闇が出迎えた。部屋に一つだけの窓からこぼれる朝焼けの光がいわゆるいわくつきの空間を演出している。が、私は根っからの唯物論者で幽霊の類は全く信じていないため、物怖じ一つしないで部屋の中央にあるらせん階段を上り始めた。幽霊などパルシアの監視部隊に比べれば恐るるに足らない。しばらくして、眼下に開閉口上部の緑に光った人型マークが見えるまで登ったころ、ふと二弾先にあった雑誌の破片が気になって立ち止まった。すると、間髪入れずに背後から頭突きが飛んできた。私は二三度せきばらいをした後に後ろに振り返って

「ちょっと」と言うと

「急に立ち止まらないで」とだけ返ってきた。

「適正な歩間距離を保たないからこのような事態になったのだ。以降気を付けて。」

「歩間なんて熟語果たしてあるのかしら。」

「さあ。」

「頭突きをかましたのは私が悪かったわ。もう、いいから早く歩いてよ。」

「わかった。」

それからも後ろを歩く彼女の歩調が緩やかになることはなかった。灯台の入り口を抜けてからまだ五分も経っていなかったが、いつの間にか頂上から漏れる光は手に取れるほど近くなっていて、外へと続く分厚い扉からはさざ波の音が微かに聞こえてきた。

「頂上だ」

頂上部は8畳も無かった。やたら広々としていた一階とは天と地の差でありとても窮屈に感じられた。私は床に整然と置かれている埃だらけの機械に気を取られながらも波の聞こえる方に進んで力任せに扉を開けたると、すさまじい強風が入り込んできておびただしい埃を躍らせた。その時になって私はようやく、やけに扉の重たかったのは強烈な海風の仕業であったと理解した。

「強烈だった。」

「開閉するときだけよ。外に出ればもう少し穏やかになるわ。」

「本当だ」

「それとこの風は西風だから東側に回ればきっと灯台が壁になってくれる。」

「それまでの辛抱だ。」

扉は西に面していて頂上外部に出てから東側にたどり着くまでの距離にして僅か数mの間、我々は強風に晒され続けた。が、灯台の東側に近づくにつれ風は弱まり、灯台の周りを覆うようにして括りつけられていたロープを使わずとも立てるほどになった。凪いだノイズにはっとして空を見渡すと、明けの明星が愛別離苦の置き土産に自身の下方にある小高い丘へと火を落とした。東方に聳える霊峰の山の端が揃って紫に映える。それからまもなくして、その丘から太陽が姿を現した。

「出始めは意外と肉眼でも見られるのね」

「そうみたいだ。」

「あの卵のような橙の球体によって全生命が生かされているのよね」

「いかにも」

「その割に毎日毎日昇っては沈んでいくのよね」

「げに」

「一日単位で生死を繰り返しているみたい。」

急に現代詩のような台詞を吐かれて、私は少したじろいだ。隣の彼女は風に靡いた髪を掻き上げて、これを好機とばかりに長時間の運転で萎びかけた髪の弾力を戻そうとしている。うっすら見える泣きボクロが朝日で一層妖艶に照り映えたせいか、私の心はあくがれそうになった。

「なるほど。じゃあ白夜が起こる国は沈まぬ太陽を不死と解釈するのかね。」

「そう解釈しても突飛だとは思わないわ。にしても、私のように太陽の運行から生死を連想するのって普遍的な考えだと思うのよ。そうでなくとも太陽を何かのモチーフにしたりすること自体。」

「世界単位で?」

「もちろん。こんなに象徴的なものはめったに無いわ。」

「たしかパルシア王の祖の母親は太陽を見て孕んだんだっけか。子供の二つ名は太陽王だし。」

「私も知らない話ね。その知識どの本で得たの。」

「いや、本じゃない。ゲンズブール教授がよく口を滑らせまくってくれるだろう、あれを逐一ノートの端に書き残してるんだ。」

「じゃあ、この前の知識共有会では見せてくれなかったわけね。」

「そっちの方でもメモくらい取ってるのかと思って。」

「嘘ね。それ以外にもパルシア語専攻かっていうくらいパルシア語に詳しかったり、一体誰に教えてもらったの、いや、どこで学んだの。」

「そりゃ、コダ,,,」

「コダ?」

「誇大妄想を良くする知り合いが居て、ボケる前は碩学の人で博覧強記で知れ渡ってたんだけど。」

この段階で祖父のことを打ち明けるのは時期尚早以外の何物でもない。彼女の言動や行動を見るに、信頼できるところは多々あるも、まだ知り合って一か月も経っていない。私の本当の目的はまだ隠しておくべきであろう。古代史を専攻していた祖父を身内にもったおかげ、などとは到底言えまい。

「そ。まあいいけど。ところで、この国で太陽に関する伝承は何かあったかしら。」

「言われてみれば無いな。」

「今まで自分の国に太陽にまつわる伝承が無いことなんて気にもしてなかったけど、太陽伝承がどのような形であれ一つもないのは変だわ。」

「確かに。北斗七星や月には言い伝えがある。太陽が無いのはなんでだろうな。もしかして、敗戦時にパルシアが国の王祖に気を使って敗戦国から太陽伝承を取り上げたとか。だとしたら盛り上がるんだけどなあ。」

「この国自体、世界で最東だという事実を踏まえると、その妄想全開のシナリオもあながちハズレではないのかもね。」

「まじか。」

「さてご来光も拝めたことだし駐車場に戻りましょう。いや、戻るぞ、戻ります、戻るわよ。」

「何活用?」

「あなたに……あなたという二人称もなるべく使いたくないのよ。あなたに対しては。それはともかく、私の性格上、わとかよとか言う柄じゃないのよ。腹を割って話せないときは仕方がないとあきらめてはいるけど、語尾にそれらを付けるたびに笑いがこみあげてくるの。」

「そちらの好きなように話せばいい。二人称に関しては別に、貴殿でも汝でも。」

「考えとく。」

帰りも行きと同様に強烈な西風を浴びて、それから螺旋階段を下った。もっとも灯台の内部はあけもどろの光のおかげで仄かに明るくなっており、ものものしい雰囲気は無くなっていた。


















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