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朧湛  作者: 東瑠璃
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水無月の境涯

  風塵戯抄 第二百三十三段 天譲

 

 湖北に座します伊素の安須羽、湖南に座します紀亥の蘆分。

 久世を挟みて睨みたり。紫峰日神、雲居降り立ち相宥めり。


 

 刻下午後九時四十分、帰宅の途、タコ部屋のように人の詰まった車両の中でただ一人継ぎ目を独占していた私は、体力不足に由来する疲労と重力に耐えるに夢想を供とした。継ぎ目特有の強烈な揺れを養分として、夢想は血沸き肉躍った。2回生にもかかわらず大学には週に二回しか通ってはいなかったため、朝も夜も満員電車に乗るわけだが、私にとっては週に四日通うよりははるかにましな選択だった。履修登録票を見る限り、どう見ても通学は週に三日と書かれているがそれは何かの誤りであろう。そして案の定今宵も週に二回の約4000秒の夢想の旅を始める。しかしながら旅とはいうものの、ここ最近は同じ内容ばかりで新天地を開拓をするような愉快なものではなくなった。というのも先月ごろに見たのがかつてないほどに酷く郷愁的で、その懐かしさに私はすっかり篭絡されてしまったのだ。それ以来地図は不要となった。

 さして、そのけったいな夢想は以下のとおりである。十二年前に突如として行方不明になった祖父が幼年の私を背負って、銀の風の満ちた農道を歩きながら聞きなれぬ歌を口ずさんでいる…風景自体もエキセントリックであるが、とりわけ厄介なのはこの歌である。やたらにリアリティがあり、夢想の中でも祖父の呼吸、そして音を発するときに鼻を抜けていく空気まで伝わってくる。これは十中八九祖父の口ずさむ歌のせいである。しかもこいつと来たら、継ぎ目の雨よけを通り抜ける冷風と頗る相性が良いので、実際には聴覚だけとは言わずほとんど五感が機能している状態になる。そして一番不思議なのは、この歌は明らかに当世代のものでないにもかかわらず、私自身その夢想をする以前からその詩を鮮明に覚えているということである。甚だ奇妙な話である。おそらくこの夢想はかつてあった消え入りそうな事実を要所であることないこと補いながら再構成したものであろう。というわけで私は夢想が途絶えてからも、この歌を諳んずることができた。

 更けぬる夜道、電柱で立ち小便をしている飲んだくれを尻目に、家まで続く帳を走り抜けて引き戸を足払いし、玄関の収納台にあったメモに書きなぐった。正確な漢字は知り得なかったし知りようもなかった。私はひらがなに支配された間抜けな字面を改めて凝視した。


「こほくにざしますいぞのあずばね、こなみにざしますきいのあしわけ。くぜをはさみてにらみたり。しほうにっしん、くもいおりたちあいなだめり。」


 私は己の学の無さに辟易した。五言だか七言だかは知らぬが絶句した。一浪の後、この国唯一の国立大学で精鋭の集うグラッティンデンヴォルケン大学(通称GIW)の法学部に入学できたという輝かしい事実にこの一年浸りきりで最早溺れるにも等しいほどであったから、このメモが与える精神的ダメージは計りがたきものとなった。思えば私は文化資本に恵まれていただけなのかもしれない。私は生まれてこの方本に困らなかった。本の虫である父は自らの生息領域に本を置きたがるためか、我が家には本の葛がしばしば大量発生した。私の足の小指が鋼のような強度を持っている理由を述べる必要はあるまい。そして、一年に二度実家に帰省するたびに、その悪癖が遺伝性のものであることに気が付いた。祖父の家にしどけなく転がっていた本は、その大半が隣国の地誌であったと記憶している。なぜかは分からなかった。本家、実家で暗がりに潜っていた本で小指をぶつけるたびに私の代で終われと思った。

 かくして、ハードカバーと息抜きに読むであろう新書が入り乱れる家庭に育ったおかげで小さい頃のあだ名はカオル博士であった。カオルというのは何を隠そう私の名である。漢字では薫と書くのだが、名に反して私の体臭、特に頭臭はなかなかに強烈で魚の油のような臭いを放っている。これ以上に見事な名前負けは聞いたことがない。これは遺伝ではなかったようだ。

 私は光暦1989年に生まれ、2008年にGIW法学部行政科に入学した。ちなみにこの国が光暦を採用したのは敗戦後の1959年であり、今日は光暦2009年の5月23日である。父の出た理工学部でもなければ、現在最も勢いのあるバイオ学部でもない、今日では哲学部よりも人気の無い法学部を目指したのは祖父の影響が大きい。父から聞いた話を思い出す…

 祖父は光暦1928年に生まれた。戦前はこの国、ラゾーンネ共和国(旧名山都)の古代史の修士生だったようだが、敗戦後に敵国であったパルシア第三帝政国家の指導の下で学会解散命令が出され、以降この国の古代史研究はタブー事項となった。古代史研究をしていたということが彼らにバレたら最後、死ぬまで追手が着くという話であった。祖父は恩師の尊い犠牲のおかげでなんとかブラックリスト入りを免れ、身をやつして公務員として第二の人生を歩んだ。これが私が法学部の行政科を目指す契機となった。ちなみに、彼らは解散命令ついでにこの国の戦前の史料、資料を悉く焚書したり黒線で塗りつぶしたので、後の時代を生きる者にとって戦前とはもはや神話と同じくらい信憑性に欠けた昔話となっていた。その甲斐あってか、ご熱心な活動家の中にはそもそもこの国に戦争など存在しなかったと言い出す阿保まで現れたのであった。先ほど神話と同じくらいと言ったが語弊がある。この国には昔話はあっても神話は無い。だが、私は確かにここに神話があったと信じている。なぜかって、それはこの事実の生き証人を身内に有していたからである。


推敲一回(7/21)

 










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