亡者の鬼哭
それは、まだ肌寒い季節だった。
どんよりとした曇り空を眺めているとふいに風が吹き、随分と長く伸びた彼女の髪を靡かせる。ネックウォーマーのボタンを外して足元へ置き、ローファーを脱ぐ。そしておもむろにポケットから携帯を取り出し、誰かに連絡をする。
私は、彼女のすぐ後ろにいた。
なのに、彼女はそれに気づかないまま柵を越えて一息、魂まで抜けてしまうのではないかと思うほどの溜息を零す。その瞳はいま、何をうつしているのだろうか。その頭はいま、何を考えているのだろうか。彼女がしようとしていることが分かってしまい、止めようと身体を動かそうとするも身体が言うことを聞いてくれない。頼む。頼むから動いてくれ。彼女を助けたい。止めたいんだ。
「…やめて」
先程まで声も出なかったが、ようやくそう呟くことができ、彼女が振り返ってくれることを願った。
「誰?」
振り返って…くれた。
「誰?誰かいるの?」
私は段々と身体の自由が戻ってきていることに気付き、今度は手を滅茶苦茶に振り回した。それでも彼女は辺りを見回すだけで私の方を見ない。
しかし次の瞬間、彼女の瞳を覗き驚愕する。
––––私が、いない
その瞳には、写っていなかったのだ。
どういうことだ?
私は此処にいる、筈だ。
「私は此処だよ!待って!行かないで!置いて逝かないでよ!亜墨ぃ!」
彼女の名前を叫んだ。喉が痛くなるほどに声を張り上げて叫んだ。
しかし彼女、亜墨には聞こえていないようで、辺りを見回すのをやめ、「気の所為か」と呟き、再び私に背を向ける。
嗚呼、待って。まだ言わなきゃならないことがあるんだ。
亜墨に向かって手を伸ばした。
その瞬間。
辺りが急激に暗くなり、亜墨と柵越しであったがいつのまにか柵が消えていた。そして、ゆっくりと亜墨が振り向く。
「助けてくれなかったのに、どの口が『待って』なんて言ってんの。馬ぁ鹿。」
「…え」