第五話:理不尽
「おい、蘇芳〜。帰らないの?」
「うっ、え?」
「うっ、え?じゃねぇよ。何回話し掛けたと思ってるんだよ」
俺は気まずくなって、取り敢えず謝る。
「わ、悪い。ちょっと、……考え事してて、」
川下はふうん、と胡乱な目付きで俺をじろじろと見詰めてくる。
「な、何だよ」
「何か元気がないように見えるのは俺の気のせいか?」
ギクッ、と川下の鋭さにたじろぐ。
「そ、そんなことねぇよ。気のせいだ」
納得はしたようにないが、川下は
「ふうん」と言って追及を諦めてくれたようだ。今の内にさっさと退散しようと、鞄を手に取る。
「俺、帰るわ」
「え、三田村の見舞いに行くって言ってたじゃねえか」
「悪い、用事思い出したんだ!じゃな!」
「え、おいっ」
正直三田村の見舞いに行っている場合じゃない。だからと言って特に用があるわけでもない。俺はさっさととんずらした。川下は、まぁ当たり前だが追いかけてくるようなことはなかった。
「あれ、真由理ちゃん」
「上総さん。今日はよく会いますね」
真由理ちゃんは校門に立ち、誰かを待っているようだった。
「今日部活は?」
「一応体育館でバドミントン部の日なんですが、あまり体調がよくなくて。お休み貰っちゃいました」
「風邪?」
「…かもしれないです」
朝は元気そうだったのに。しかし言われてみれば顔が少し赤いような気がする。俺は腕を伸ばし、真由理ちゃんの狭い額に触れた。
「かっ、上総さん?」
「う〜ん、少し熱いな」
「……」
真由理ちゃんの顔が何故か更に赤くなる。
「あ、また赤くなった。本当に風邪かもね」
何気無く言った俺の言葉に、真由理ちゃんは何とも言えない複雑そうな表情になった。俺が怪訝そうな顔をすると、
「上総さんって、結構鈍感ですよね」
と低い声で言われた。怒ってる?
「怒ってる?」
「…怒ってません」
真由理ちゃんはスッと俺から顔をそらし、素っ気なく言い捨てる。どうやらご機嫌斜めのようだ。
「誰か待ってるの?こんなとこ突っ立ってたら更に悪くなるよ」
「友達です。私は大丈夫なので、上総さんはどうぞお先に」
「あ、うん」
さっさといなくなれ、と言われたのかと俺は少し寂しい気持ちになる。真由理ちゃんはそれに気づいたのか、慌てて言葉を発する。
「あ、あの別に上総さんのこと邪魔って言ってるわけじゃなくて、ただ上総さんも風邪引くかも、っていうか」
珍しくしどろもどろになるのが可愛らしく、俺は苦笑とともに彼女の頭を撫でた。艶々した黒髪の手触りがすごく良い。
「か、上総さんっ」
「分かったよ。気ぃ使ってくれてありがとうな」
俺は苦笑しながら言う。
「真由理ちゃんも風邪ひどくならないように気をつけて。じゃあね」
「はい。さよなら」
俺はまだ止まない雪の下、歩き出した。
私は上総さんの背中を複雑な想いで見送った。少し寂しげな眼が頭から離れない。上総さんは、いつも何処を見てるんだろう。私と話していても、眼は何処か虚ろ。最近の上総さんは、何を考えているのかよく分からない。前はこんなことなかったのに。それには、私を呼び出した人が関係しているのだろうか。上総さんの前では“友達”と呼んだけれど、私は今から会う人のことを全く知らない。でも、上総さんのことで話があると言われたら是が非でも会わねばなるまいと思った。
「ご、ごめんなさい。お待たせしました…っ」
上総さんがいなくなってから五分ほど経った頃、その人は現れた。私はまずその人の格好に驚いた。時は二月。季節は冬。誰もが白い息をはき、身を屈めたくなるこの時期に、その人は薄手のシャツとジーンズという格好で現れたのだ。見た目華奢で、肌は今も降り続ける雪のように白くきめ細かい。身長は私より三センチ程高いくらい。
「え、えっとあなたが」
「はい。真由理です」
その人は、私より幼く見えたが年齢なんて外見通りではないことはよく知っている。
「あなたが真由理さん。すみません、こんな寒い中、」
「前置きはいりません。早く上総さんの話をしてください」
我知らず強い声が出て、私は自分で自分に驚く。イラついているらしい。
「は、はい」
私は上総さんについて何の話を聞くことになるのか、不安で胸が一杯だった。
「…いつまで付いてくる気だ?」
俺は思わず苛立った声を上げ、振り返った。此の村紫が、やはり無表情で立っていた。平坦な口調で俺の問いに答える。
「お前が浅葱空良と接触するまでだ」
「だから、俺は浅葱が何処にいるかも知らないし、向こうだって会いにくるとは…」
「ないとは言い切れないだろう」
あっさり反問され、俺は大人げなく舌打ちをする。構ってられるか、と投げ槍な気持ちになってまた歩き出す。やはり此の村は付いてくる。俺は苛立ちを紛らす意味も込めて、空を見上げた。雪はまだ止むことなく、ハラハラと地上に落ちてくる。掌で受け止めると、すぅっと溶けて消えた。その儚さが何故か浅葱にかぶって、俺は苦笑する。
「……?」
不意に、また姿勢を感じて俺は立ち止まった。当然、此の村も立ち止まる。
「…浅葱?」
思わず親友の名を呼んだのを、此の村が聞き咎める。ガッ、と腕を取られる。
「なにす、」
俺は息を呑む。いつの間にか此の村がポケットナイフを取りだし、俺の首筋に突き付けていたからだ。うまい具合に人通りがないから良かったものの、下手をすれば警察ものである。
「浅葱空良、居るか」
此の村が言う。凛とした声で。
「貴様の大事な親友は此処だ。お前が出て来ないなら、こいつの首をかっ斬るぞ」
「ぐっ」
此の村のナイフを持っていない方の腕が、首に回ってきた。細腕からは想像できないくらいの力に息が詰まる。何で俺はこんな目に逢っているのかと思う。此の村は油断なく周囲を見回してきたが、何の反応もないのを見てとると、俺を解放した。
「げほっ、い、いきなり何しやがる!」
此の村に鞄を叩きつけ、俺は怒鳴った。喉元がひりひりする。
「囮に使っただけだ…お前が浅葱の名を言うからだろうが」
「だからって…」
俺は呆れて項垂れる。そして何処かにいるであろう浅葱に、お前はどんな奴と知り合いになってるんだと叫びたい気分になった。