第二話:止まない雪の中の転校生
淡雪が舞う。
「行ってらっしゃい、上総君」
「うん、行って来ます」
「おはよう、上総ちゃん」
「上総、気を付けて歩きなよ」
「分かってるよ」
方々からかけられる声に、俺は返事を返す。ご近所さん受けは何故か良くて、良好な関係を築けている。
「上総さん、おはよう」
「あれ、珍しいな。こんな時間に会うなんて」
俺より一つ下で同じ高校に通う五条真由理とばったり出会った。小柄ながら体力とスポーツの才には眼を見張るものがあり、幾つかの運動部を掛け持ちし、所属していない部活からでもヘルプの要請があれば飛んでいく、という豪傑少女なのである。
「今日は寝坊しちゃいました」
この時間に登校して寝坊になるのか、と俺は苦笑する。
「雪、止まないですね」
「真由理ちゃんは、雪は嫌い?」
真由理ちゃんは、何の手も加えていない眉を下げ、
「嫌いではないですが、不便ではありますね」
ごもっとも。俺は軽く肩を竦める。
「上総さんは好きですか?」
「俺?俺はそうだな〜、まぁ嫌いではないな」
「また出た。上総さんの誤魔化し」
「何だよ、それは」
真由理ちゃんはたまによく分からないことを言う、と俺は思う。
「上総さんて、下級生に人気があるんですよ。知ってました?」
かなりの初耳だ。俺はきょとん、と横を歩く少女を見下ろす。真由理ちゃんは鈍感、と呆れたかのようなため息をついたあと訥々と話してくれた。
「あるんです。私の友人でかなり物好きな女の子がいるんですけど、一二年生の女の子から見た上総さんの印象をランキングしたんだそうです」
「そりゃあ物好きな。一体何が楽しいんだ?」
「私に言われても困りますけど……。第一位は、何と“ミステリアスなところ”だそうですよ」
俺ははあ?と変な声を上げていた。ミステリアス?この俺が?
「つまりは何考えてるか分からないってことか?」
「……そうかも知れませんね」
否定しろよ、と突っ込もうとしたところで俺は違和感を感じた。誰かに見られているような気がしたのだ。立ち止まって、背後を見るが俺に注目しているような人間はいない。人があまり居ないし、俺を気にする余裕もないだろう。
「上総さん?」
真由理ちゃんの怪訝そうな声が聞こえる。俺はハッと我に返る。
「顔色悪いですよ?どうかしました?」
「何でもない。行こう」
「?」
不思議そうな顔をしたものの、素直に従ってくれる。触れてはいけない、とでも思ったのか。俺は真由理ちゃんとの会話に集中し、視線のことを意識の外に追い遣る。雪はまだ止みそうにない。
教室に入ったのは、八時十三分くらいだった。真由理ちゃんと会話しながらゆっくり歩いたからな、と思う。
「蘇芳、おはようさん」
「ちす、川下」
川下春樹は、風邪を引いて欠席するであろう三田村の幼馴染みであり、俺が三田村と仲良くなる際にこちらとも仲良くなったわけだ。銀縁眼鏡と真面目そうな外見だが、授業をよくサボっていたりする。俺はサボらないけどさ。
「聞いたか?今日転校生が来るらしいぜ」
嬉しそうなのはそのせいか、と俺はため息をはく。川下は女好きだ。
「しかもちょっとわけありでさ、両親と離れて婆さんの家に居候してるらしい」
どこでそんな情報を仕入れて来るのかと、俺は呆れる。情報収集力をもっと別の局面で使えよな。言ったって聞かないだろうから言わないけどさ。
「何だよ、変な顔して」
「もともとこんな顔だ。悪かったな」
「またそんな憎まれ口叩く。…そういえば雪、なかなか止まないな」
雪は積もる性質の雪ではないため、窪みのあるとこに溜まるくらいで大した邪魔にはなっていないが、今降っている雪は三日前の昼から降り続いているものだ。北国ではどうか知らないが、簗瀬町では滅多にない。
「俺、生まれた時から簗瀬だけど三日雪が降り続いたことないぜ」
「…ふぅん」
三田村にも今度訊いてみようか、と思ったとき担任が入って来た。岩佐という、四十代の中堅女教師。お洒落とは無縁、と本人が自分で言っていた通りダサい格好がお気に入りのようだった。
「ちょっと早いけど、大事なお知らせがあるからね。ー入って」
岩佐の号令に、着席した生徒たちはみな彼女の視線の先を凝視した。俺一人、窓の外を見ている。窓際は現実逃避出来て良い、と心ここにあらず状態でいると、川下につつかれた。
「何だよ、」
「こっち来る、」
「は?」
川下が何を言いたいか理解する前に、俺の横に一人の女子が寄って来た。見上げた俺は、眼を見張る。雪のように白く、小さな顔。長い睫。今時珍しく二つ結びにされた髪は真っ黒で、肌との対比が綺麗だ。そして何より俺が驚いた理由は…、
「あ…さぎ?」
顔が似ている、というんじゃない。なんというか、雰囲気、とでも言うのか。力のない、虚ろな瞳。それでいて対象の何をかもを見透かしてしまいそうな瞳。それが、出会った頃の奴にそっくりなのだ。だから思わず奴の名を呟いていた。すると、その女子は俺を見下ろし色素の薄い唇を開きこう訊いてきた。
「浅葱空良はどこ」
と。