第十二話:通り魔と組織
約1ヶ月ぶりの更新…。
俺が眼を覚ましたとき、一番に眼に入ったのは不安に押し潰されそうな顔をしたお袋だった。
「あ、お袋だ…」
「な、何があ、お袋だ、よっ!!」
鼻を遠慮会釈なく摘ままれ、俺は眉をしかめた。
「痛い…」
「痛い、じゃないわよ馬鹿!どれだけ心配したと思ってるの!!」
あとは言葉にならなかったらしく、お袋はわんわん泣き出してしまった。しかも俺の腹に突っ伏して泣くものだから、圧迫感に俺は唸った。取り敢えず落ち着いてもらうべく、背中を撫で擦ってみる。
「悪かったよ、お袋…。だから泣くなって」
泣いているお袋は本当に久しぶりで、どう慰めたら良いのか皆目検討がつかない。ついでに言えば今が何月何日何時何分なのかも皆目検討がつかなかったが。
…そういや俺、どうして病院で寝てるんだ?と疑問が湧いた。やばい、何かとてつもなく大事なことを忘れているような気がする。何だ?思い出せよ、俺…っ!気ばかりが焦って、思考が空転する。
「お袋、俺、どうして病院で寝てるんだ?一体何があったんだよ」
お袋はようやく体を起こすと、真っ赤に充血した眼で繁々と俺を見つめた。
「な、何だよ」
「…ショックで覚えてないのね。あんた、通り魔に刺されたのよ」
その言葉に、俺はぽかんと大口を開けてしまった。通り魔?と胡乱な口調でおうむ返しをする。
「犯人も捕まったけど、あんたが通り魔に刺されて重傷って警察から電話があったときには、本当にびっくりしたんだから!」またお袋は泣き出してしまい、俺は途方に暮れる。通り魔、という単語が脳裏をぐるぐると回り俺を混乱させる。見知らぬ誰かに刺された、と言われても現実感なんて早々に湧くものじゃない。それに……、誰かが泣いていたような気がする。とても大事な人が、泣いていた。久しぶりに会えたのに、哀しい再会だった。
「でも良かったわ、ちゃんと起きてくれて」
お袋の言葉に、俺はうやむやに頷くしかできなかった。
「良かったのか、此の村。浅葱空良を解放して」
“組織”本社二階ロビー。医療室から退室した此の村紫を一人の男が出迎えていた。二十代後半くらいの、痩身の男だ。眼の具合が悪いのか、左眼に眼帯を施している。此の村は無表情で答える。
「……あれは弱り過ぎていた。勝負にならん。それより漣、眼の調子はどうだ」
「明らかに話題を逸らしたな…。……眼は順調だ。痛みも随分和らいだ」
「そう。良かった」
「お前の口調は平坦だから、あまり嬉しそうには聞こえないな」
漣が口元を緩めて発した言葉を、此の村は鼻を鳴らして黙殺する。
「…………」
「はぁ。…まぁ良いけどさ」
呆れたような同僚のため息も、此の村紫という少女には何の感慨も与えない。
「無駄話は終わりか?三田村局長補佐に呼ばれているんだ」
「無駄話……か。良いよ、行けば?」
彼がそう言い切る前に、既に此の村紫は歩き出していた。怪我など何のその、つかつかと何の迷いもない確たる足取りで。漣秋夜は、憂いため息をついて彼女の小さくなる背中を見送った。
“組織”。具体的な呼称のないその機関は、しかし日本国内閣首相直属である。内閣府は通さない、完全に首相が采配を振るう機関。その存在を知る者はごく微少で、官僚ですら知らない者は多い。創立の詳細はいまだ不明なことが多く、戦後のどさくさに紛れて…という説が強いが、GHQの支配下に置かれていた当時の日本国にそれが可能だったか疑問視する声もある。
構成のトップは当然内閣総理大臣。その下に首相を補佐する審理及び補佐局が置かれ、あとは実行部や処理部、監査局などが配置されそれぞれの役目を担っている。官僚は勿論日本国民、諸外国にも隠し通すべき存在のため、構成員は少なく厳選されたメンバーのみのため役柄を兼任している者も多い。
「失礼します」
実行部強行課の構成員、此の村紫は同時に監査局の調査員の肩書きも持っている。その此の村は、“組織”本社七階、審理及び補佐局の局長補佐室の前にいた。ドアの向こうから、入れという低く重厚な声が此の村を招き、入室する。
「此の村紫、ただいま参りました」
「怪我の具合はどうだ」
監査局局長補佐の三田村寛治が、重厚なマホガニー製のデスクに座って書類仕事をしている。顔を上げようともしない。だが此の村は構わない。
「処置は終わりました。問題ありません」
「そうか。・・・・・浅葱空良を逃がしたそうだな」
返事にかぶせるように三田村が言う。此の村は応えようとするが、第三者の息遣いを感じて口を閉ざした。顔を上げないながらも気配で察したらしく、三田村が素っ気無く言う。
「心配するな。愚息だ」
「成る程・・・・・・」
父親の足元、高校生くらいの私服姿の少年が蹲っていた。
「私に会いに来たが、生来の喘息が出てね。医者に診せるのも面倒だから放っておいている。機密を漏らす心配もない。だから無視していろ」
「う、げほ、げほっ・・・・!!」
喘息?と此の村は内心で怪訝に思う。喘息の苦しみ方とは違うように見えるのは自分の気のせいなのだろうか。どちらかといえば腹やどこかを殴られるか蹴られるかして痛みに咳き込んでいるように見えるのだが。
「私を疑っているのか?」
平淡な口調。此の村も平淡に答える。
「いえ。補佐が良いならそれで結構です」
「うむ」
ようやく三田村が顔を上げる。肉付きのいい、壮年の男が細めた眼で此の村を睥睨する。
「いいザマだな」
「ですね」
「・・・・・・・・・浅葱空良を逃がしたのは何故だ」
微かに漂う苛立ちの調子。だが此の村は涼しい顔だ。
「楽しくなかったからです。あの時の浅葱空良は弱すぎた。弱者を甚振るのも一興ですけど、どうも興が削がれまして」
「・・・・・期限付きと言ったはずだがな」
「まだ期限ではないでしょう」
「この日本国に、一体どれくらいの“罪人”がいると思う」「数えたことがないので分かりません」
「だが日本国のために“罪人”は早く処理せねばならんことは分かるだろう」
募る苛立ち。此の村の涼しい表情に変化はない。
「はい、承知しております」
「ならば!!」
大きくごつごつとした手が、机の上を叩く。踞った息子がひぃっ、とか細い悲鳴を上げたのを此の村の耳は捉えた。
「何故浅葱空良を処理しなかったんだっ!!弱っていたのなら殺すことだって可能だったはずだ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
「………だから申し上げています。詰まらないからと」
「貴様はっ…」
「お話はそれだけですか?それだけならば退室させていただきたいのですが」
此の村はハッキリとした口調でそう言い、返事すら聞かずに身を翻した。三田村は射殺さんばかりの眼で彼女の背中を睨んでいたが、引き留めるようなことはしなかった。
「くそが…!」
そんな呻きにもにた声を背に、此の村はドアを閉めた。
久しぶりにこの作品を投稿しました。さてさて、浅葱空良君はあれからどうなったのでしょう??