青の中で
意識が戻った時、目の前には深い青が広がっていた。
空とも海とも違う不思議な青だった。
身体に力を入れてみたけれど、どんなにがんばっても腕を上げるどころか、指一本動かすことさえ出来ない。
瞳の奥がずきずきと痛んで、目の前の青が、ゆらりと揺れる。
「約束通り、お前さんはもう人じゃない」
朦朧とした意識の中、聞き覚えのあるしわがれた男の声が聞こえてくる。
耳元で囁かれている様でもあるし、遠くから呼びかけられている様でもある、奇妙な声だった。
目の前の青の中に、語り手は見えない。
「青が、見えるじゃろう?」
声の主が、笑っているのがわかった。
「今ははっきりと見えるはず。その青は次第にお前さんの目の前から消えるじゃろう。そして、お前さんの色となる」
ゆっくりと、小さな子どもをあやすみたいな口調で、声は続ける。
「お前さんが望んだ事だ。約束通り、確かに叶えたぞ。その青が、お前さんが藍方石である証となる……ああ」
そうじゃった、とたった今、思い出したという様に声は続けた。
「お前さんに与えた魔力に面白いもんを付け加えておいた。……まぁ、それでこれから先は頑張って生きておくれ」
記憶を辿ろうとして、はっとする。
意識を失う前の事をようやく思い出したのだ。
最後に見た光景がまざまざと脳裏に蘇る。
ああ、そうだ。
この声の主は、自分をうっかりで死なせた自称“神様”だ。
「…………………………………」
声だけでもと思うのに、全く声帯が動かない。
どうして身体が動かないのか、それだけでも言っていけ。
一言の文句すら、今の私は言えないのか。
ーーーー情けない。
そう、唯一自由になる頭の中で、嘆いた時。
「……?」
目の前に、今度は青い炎が見えた。
ゆらりと揺れながら燃える炎は、揺れる度にその青の濃淡を変える。
青い炎は、ゆっくりと、こちらに向かって伸びてくる。
青い炎は、あっという間に私を呑み込んだ。
不思議と、恐怖は感じなかった。
燃え盛る炎に全身を包まれているというのに、全く熱さを感じない。
逆に、青い炎はとてもあたたかくて、その中にいると安心した。
ーーーーこれは、私だ。
直感的に、そう確信した。
青い炎が身体の隅々まで広がる。
炎を抱き締める様に、自分に両腕を回していた。
さっきまで指一本動かなかった身体が、いつの間にか動いている。
だが、私にとってはそんな事は些末な事だった。
ーーーーパリン。
耳の奥に澄んだ音が響く。
硝子の様な、そんな繊細なモノが割れる音だ。
そして、ふわりと身体が浮く様な浮遊感……そして、“落ちた”。
「……いた、……い」
声が擦れる。
ずっと動かなかった声帯が、固まってしまっていたのだろう。
「……っ」
胸から腹部にかけて感じる冷たさから、自分がうつ伏せに倒れているのがわかる。
起き上がろうと両腕を動かすが、うまく力が入らず失敗した。
「大丈夫ですか?」
「!」
落ち着いた高めの声が、すぐ頭上から降ってきた。
まるでギシギシと音がなる様な、凝り固まった首を何とか動かし頭を持ち上げる。
こちらを気遣わしげに覗き込んでいる大きな青緑色の瞳と目が合った。
思わず訝しげに眉根を寄せる私に、青緑色の瞳の持ち主はああ、と微笑んだ。
「申し遅れました。私は、アッシュ・シーウェルと申します」
よろしくお願いします、と柔和に微笑む。
アッシュ・シーウェルと名乗った“彼”は、まだ幼さの残る少年だった。
短く切り揃えられた癖のない灰色の髪に、優しく細められた青緑色の大きな瞳に整った顔立ち。
12~13歳位で、その年頃の男の子にしてはとても小柄で華奢だ。
実は女の子だと言われても、信じるだろう。
実際、彼を少年と判断したのは、紺を基調にした長袖の上着に同色の半ズボン。
細い足を包む、膝下までの黒い靴下に黒革のショートブーツという格好からだ。
「?」
彼は何処からか取り出した白い大きな布を、私に掛けた。
そして、小さな手を差し出してきた。
「さぁ、行きましょう。ーーーーアウィン」
「…………“アウィン”?」
聞き慣れた、自分の一番大好きな石の別称だ。
何故、この少年は私をその名で呼ぶのだろう?
首を傾げると、彼ーーアッシューーは、すぐにこちらの疑問を察した様で、今度は満面の笑みを浮かべた。
「貴女の“名前”ですよ。アウイナイトの化身だから、“アウィン”」
ーーーーアウイナイトの……“化身”?
周囲を見回す。肘だけで身体を起こしている自分の周囲には、透き通った鮮やかなコバルトブルーの大小異なる結晶が散らばっていた。
それらは、紛れもなく“アウイナイト”の結晶だった。
あの石を、自分が見間違える訳がない。
「これ、は……?」
「貴女が生まれた跡ですよ。……ああ、記憶が曖昧なんですね。仕方ありませんよ、貴女は“覚醒したばかり”なんですから」
覚醒?
…………ああ、そうだ。
だんだんと頭の中の霧が晴れていく。
ーーーー私は、生まれ変わったんだ。
大好きな、あの青い石に。
鏡はまだ見ていないが、どうやら人の姿をしているらしい。
それは正直、予想外だった。
“神様”と名乗ったあのオッサン、ちゃんと願いは叶えたと言ったクセに。
“石”に転生させてくれと言ったのに。
人の姿をしているなんて、詐欺だ。
「……っ!」
突然の浮遊感。視界いっぱいに暗い石の天井が広がった。
抱き上げられたのだ。ーーーー小さな子どもに。
「さぁ、行きましょう。ブリジット達も待ちくたびれてーーーーああ、貴女の仲間達ですよ。私の傍には二人、貴女と同じ“煌珠”が居るんです」
「……こう、じゅ?」
「貴女達を差す種族名です。まぁ、詳しい事は此処から出てからにしましょう」
此処は暗いですしね、とアッシュはまた笑顔を向けてきた。
彼は無駄によく笑うと思った。
思うのに、邪険に出来ない。
そんな、不思議な子どもだった。
ーーーーそれが、後に私が仕える事になるアッシュ・シーウェルとの出会いだった。