プロローグ
「私、死んだんですね」
自分でも驚く程に淡々とした声色だったーーーーと、思う。
あれは、少しばかり前の事。
私は、普通ならあり得ない事を経験した。
ーーーー死んだのだ、私は。
「ああ、そうだ。すまなかった。うっかり起こしてしまった地震で、まだ死ぬべきではない者が死んでしまうとはなぁ」
すまない、と謝りながら頭を掻く目の前の初老の男からは、申し訳ないという感情は全く感じなかった。
目の前の初老の男は、自分のことを“神様”と名乗った。
バカバカしい、と取り合わなくとも良いところだが、あいにくと私が死んだのは紛れもない事実なのだ。
それは人ーーーーいや、“神様”かーーーーに言われずとも、自分自身、自覚があるからだ。
あるのだ。自分が死んだ時の、記憶が。
「私、これからどうなるんですか?……えっと、“神様”」
「……しかしお前さん、ずいぶんと落ち着いとるのぅ。普通なら、こう、もっと取り乱しても仕方ないと思うんじゃがな」
「誰かの手違いだろうとなかろうと、私が死んだ事は変わりませんから」
「達観しとるというか、……なんというか」
ずずっと目の前のお茶を啜った自称“神様”。
物珍しいモノを見る目で、私を見ている。
すまなかったと言いながらも、結局はこの自称“神様”にとって、自分の“死”はのんびりとお茶を飲みながら話せる程度の事なのだ。
まぁ、そこがどこであろうとお偉いさんというのはこんなものだろう。
「ーーーーさて、先程のお前さんの質問に答えよう。まず、君にはすぐに生き返ってもらう」
「………………………………は?」
「いや、生き返るというよりは、生まれ変わるというのが正しいな。今とは全く違う別人になるからのぅ」
魂だけは同じだが、と再びお茶を啜った自称“神様”。
今更だが、何かムカついてきたな。このおっさん。
「別人に、と言うと?」
「言葉通りだ。今とは全く違う姿で、違う“世界”で生きてもらう」
「……はあ」
気のない返事を返す私の事は全く気にせず、世間話をするように話を続ける自称“神様”。
「本来なら、元の世界に生き返ってもらうのが筋じゃろうが……そうもいかんのが困った所での」
「構いませんよ」
「納得いかないのはわかるがーーーーへ?」
私の、自分でもかなりあっさりした了承に、己を“神様”と宣う面の皮が厚いおっさんも、すぐには反応出来なかった様だ。
「……本当にいいのか?」
「はい、良いですよ。別に」
私も出されたお茶を啜りながら、淡泊に答えた。
「うっかり死んだ側として、こちらの提示する条件をのんで頂けるのであれば」
「ーーーーほぅ。条件とな。で、それは何じゃ?わしが出来る事ならいいんじゃがの」
私はもう一度、ゆっくりとお茶を啜った。
とても美味しいお茶だ。
きっと、良いものなんだろう。
何と言っても、“神様”が飲むお茶だ。
「生まれ変われと仰るのであれば」
「言うのであれば?」
「私をーーーー“人間以外”のモノにして下さい」
「…………………………………は?」
さっきの私と同じことを言った“神様”は、小さい目をぱちくりと数回、瞬かせた。
「別人になれと仰るなら、“人間”は嫌です」
「何故?」
「人間が“大嫌い”だからですよ。嫌い以外に、拒否する一番の理由にはなりませんか?」
「いや、確かにそうだが……」
さすがの自称“神様”も、驚いている様だ。
人間である者が、同じ人間が“嫌い”などと言うのだから、変に思われても仕方がない。
私は、他者に一切の期待をしていない。
“男”いう生き物には、特に。
「同じ人間に転生させてくれと請われた事はあるが、お前さんの様な事を言ったもんはおらんかったのぅ……」
豊かな顎髭を撫でながら、困惑している自称“神様”。
「転生するものは、人間でないと駄目ですか?」
「いや、そんな事はない。希望があれば、その種族に転生させてやれるよ」
わしの落ち度じゃからな、と頭を掻いてから着物の懐から和紙と筆を出した。
「希望を聞かせてくれんかの。どんな種族になりたい?」
「石に」
私は即答した。
「…………………………………石?」
自称“神様”は再び目を瞬かせ、首を傾げた。
私はそれに、深く頷く。
「出来るなら、青い石に。……アウイナイトという、青い石にして頂けますか?」
「アウイナイト?……ああ、藍方石の事か」
横文字はどうも苦手でなぁ、と手元の紙にさらさらと筆を走らせる。
私は知らず知らず、とくん、と胸が高鳴った。
「……出来る、んですか?」
音を立てて、唾を飲み込んだ。
「ああ、問題ない。この位の事、造作ない……よし、出来たぞ」
書き終えた和紙を見て、“神様”はひとつ頷く。
私は更に胸が高鳴った。
頭の中は、ネットの画像で見た“アウイナイト”の美しい青でいっぱいになっていた。
イタリアの青の洞窟と同じ、神秘の青。
目の覚めるような、鮮やかで深みのある、それでいて透明感のある美しいコバルトブルー。
私の一番好きな青い石だ。
私は宝石などの鉱物が好きで、図鑑を読んだり石の逸話や石言葉を調べたりした。
図鑑に載っていない稀少石などは、ネットで検索した。
その一つが、アウイナイト。
アウイン、アウィンとも呼ばれる稀少石だ。
和名を藍方石または藍宝石という。
ーーーーその石に、なれる。
それを想像するだけで、頬が紅潮する。
「人間は嫌だ。石になりたい、なぞとまた面白いことを言う娘さんじゃなぁ」
「いけませんか?」
「いや、それがお前さんの望みなら、叶えよう。これからお前さんが生まれ変われる世界には、魔力が存在するでの。色々とそっちで不自由ない生となる様にしとこう」
“神様”は和紙にふっと息を吹きかけ、私にかざした。
自然に、瞼を閉じる。
瞼の裏は、アウイナイトの神秘的なコバルトブルー一色だった。
ーーーーそこで、私の意識は途切れた。