第五話
人間関係とは複雑怪奇である。思いもよらぬ失言が思いもよらぬ結果を招き、しかし本人は適切と考えた気遣いが余計なお世話だったりもする。
ユートがカズノリにした助言は全く大きなお世話だった。きっとトーカは三日はカズノリと顔を合わせられないだろう、と彼は考えたが、結局二時間もしないうちにトーカは自分から戻ってきて、カズノリに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「いや、こっちも悪かったよ。その、いろいろと」
こうして、二人の仲直りはあっけなく終了した。
ユートとしては甚だ不服である。カズノリは何がトーカを泣かせたのかまだちゃんと理解できていない。雨降って地固まるとは言うけども、このままでは結局大して固まらず、なあなあで解決して曖昧な状態に元通り。
それでいいのか。
「いいんじゃないの、あんなところで。本人たちが納得してるならね。それについさっきあったばっかのアタシらが介入してどうなるっての?」
ユイはユートの考えていることを大まかに察して、先んじて彼を諭してきた。
「……まぁ、そうか」
ユートはため息をついた。
彼女の言う通り。本人たちが納得してるのに、互いに名前を知ってる程度の関係でしかない自分たちが口を出せることではない。
トーカはカズノリへの謝罪を済ませると、兄妹に向けてもう一度頭を下げる。
「お二人にも、お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
「俺たちはそもそも気にしてないよ」
「うんうん。人間だれしもあることだからね」
顔を上げたトーカは、少しほっとしているようだった。
「えーっと、それじゃあ、私はこれで」
そして、トーカはシステムウィンドウを操作し、速やかにログアウトしようとする。
しかしユートは彼女を呼び止めた。
惹かれた、というわけではないのだが、なんとなく、彼女が気になったのだ。
「せっかくだし、訓練付き合ってよ。カズノリさん頭身が違いすぎて参考にならないんだ。けどトーカさんなら体格近いし」
「……まぁ、そういうことでしたら」
「マジで?」
カズノリはショックを受けたようだった。
「そうね、それがいいわ」
「お手柔らかにねー。その人根性ないから」
「ねぇ、マジで参考になんなかった?」
カズノリはまるで無視されていた。
「銃はもうちょっと前に向けて良いですよ。その分銃床は内側に、左手はもっと前」
トーカはユートの隣に立って、彼の構えをあちこち眺めながら、細かく指導をしていた。
指導を頼んだのはユートの方なのだけども、いざ教えられると、彼はとても困ったことになっていた。
何しろトーカ、距離が非常に近いのだ。触れないながらも文字通り手取り足取りユートを指導する彼女は、しばしば現実なら体温を感じられたであろう距離に張り付いている。
しかも彼女、先ほどログアウトした時から服を着替えていない。つまり好意を寄せる異性に見せるための、チューブトップにホットパンツ。
体のラインを浮き上がらせ、胸元と太ももを晒す装いのせいが、小柄ながらもしっかりと存在する曲線を強調して色香を生み出している。これが愛らしい童顔と合わさると最早背徳的ですらあった。
落ち着け。照準だ、今は照準に集中するのだ。そうすればトーカは見えない。
ユートは照星を凝視してトーカの肢体を視界から追い出し、狙撃に意識を戻すことに成功した。
トーカの指示通りに構えを修正して見せる。
「……こう?」
「はい。そんな感じです」
「……ブレが止まんないけど」
「止まらなくていいです。息を吐いたら照準の揺れが小さくなるでしょう。その時の揺れ幅の端に、狙いたいところが来るようにしてください。そこに重なる瞬間に発射されるように、慎重にトリガーを絞ります。トリガーに指を駆けたら、必ず最初のタイミングで撃つようにしてください」
「リズムゲーみたいだね」
「実際そんなもんです」
ユートは言われた通りにやってみた。無理やり銃口を真ん中に持って行こうとせず、息を吐いて、銃が揺れるのに任せて、重なったタイミングで――
外れ弾の時にはならなかった、バン、という気持ちいい音がした。
手元のモニターを見ると、同心円の真ん中から一つ外側に、着弾点が表示されている。
「「「「おー」」」」
ユート含む四人の嘆声がシンクロした。
頭身の違いというのは適当にでっち上げた理由だったのだが、実際小さくない影響を与えていたらしい。カズノリの指導が無意味だったわけではないけども、トーカの指導はそれよりずっとユートの感覚に適合していて、小一時間で射撃精度はどんどん上がっていった。
「お上手ですね、ユートさん」
トーカは初めてユートに笑顔を見せた。
とても小さく控えめな、微笑にも届かない笑みだが、ギャップというのは恐ろしいもの。平常時の仏頂面がしみついている分笑顔がものすごく可愛く見える。
ユートはまたしてもトーカに見惚れる羽目になり、心拍数が上昇を始めた。
「い、いや、トーカさんの教え方が上手いんだよ」
次弾が大きく外れたことは言うまでもない。
「カズノリさんってすごい人なんですね」
何故こんな色っぽい女の子が隣にいて平然としていられたんだ彼は、という意味で言ったのだが、
「当然です。カズノリさんの狙撃は間違いなくBBO最高レベルですからね! それだけじゃなくどんな銃を使ってもカズノリさんはトップクラスですよ! しかもただ銃が上手いだけではなく、状況判断と予測能力が他のプレイヤーとは段違いです!」
カズノリの銃の腕を褒めたと勘違いしたらしいトーカは、満面の笑みで彼を褒めまくった。カズノリはまんざらでもなさそうに笑っている。
「……本当にすごい人だ、全く」
ユートはわずかに湧いた嫉妬心を、ため息に乗せて吐き出した。
「ねぇねぇ、アタシにも何かアドバイスない?」
兄の窮地を知ってか知らずか、ユイもトーカに助言を頼む。ユートは自然な形でトーカから距離を取ることが可能になり、どうにか平常心を取り戻す。
「弓はあまり使ったことが無いもので……すみません。あ、でもいい方法がありますよ。模範動作MODというのがあるんですけど――」
「トーカ、それは違法MODではなくて?」
模範動作MOD、とやらを紹介しようとしたトーカの言葉を、フィリシアが遮った。
「あー、えっと、まぁ、そうですけど」
「一応私がNPCで、つまり管理者側だというのは分かっているかしら? 私が告げ口したら一発でアカウント凍結よ」
「そ、それだけは!」
「だったら合法的なプレイを心掛けなさい。どのみち再来月の大型アップデートでそういうプレイヤーは一掃されてしまう予定だから」
「了解です」
そう返事しながらも、トーカは気付かれないようにユイからの目くばせに応えていて、きっとフィリシアはそれに気づかないふりをしていた。
ユートは『管理者側を自称しておきながらどうなんだ』と突っ込みたかったけれども、空気を読んで堪えた。
と、そんなところで、
「あっ……」
トーカが突然目を覆った。
「どうしたの?」
「えっと、バイタル警告が出て……」
「バイタル警告?」
「バーチャリアが心拍とか呼吸とかモニタリングしているのよ。それに異常があったという警告。体が危険な状態なのに気付かずゲームをやり続けて死んだら困るでしょう?」
「それってかなりヤバいんじゃないですか?」
兄妹はてっきりトーカが不味い持病でも抱えていたんじゃないかと心配したが、
「大したことはないですよ。ほら」
苦笑するトーカは、彼女のウィンドウを可視化してこちらにも見せてくれる。
真っ赤に点滅してやたらと危機感を煽ってくるそのウィンドウに表示されていたのは、『血糖値低下C』という文字。
「……どういうこと?」
「ただの空腹。大体二食くらい抜いたら出てくるわ」
「そういえば今日朝から何も食べてなかった……警告されたらこっちでまでお腹が空いた気が……」
「おいおい飯抜きは体に悪いぞ。何か食ってこい」
「そうですね。お暇します」
トーカがウィンドウの可視化を解いてログアウトの操作をし始める。
「アタシらもそろそろ落ちた方がよくない? かれこれ五時間ぐらいだし」
「それもそうだ。俺たちもこれで失礼します」
兄妹が頭を下げると、カズノリが、
「それじゃあ最後に全員でフレンド登録しておかないか?」
と提案する。全員それに乗っかって、それぞれIDを教え合った。
「時間が合ったら今度はフィールドで鍛えてやるよ」
「えっと、お手柔らかにお願いします」
「私は当然いつでもいるから、好きな時に呼びなさい」
「はーい。またよろしくね」
四人が別れの挨拶を交わす中で、トーカだけが何故か言葉を失っていた。
「あ、ああ、あああ……」
よほど驚くことがあったらしい。
「どうしたのトーカさん?」
ユートが聞いてみると、
「……ユートさんって、お、お、男、だったんですか?」
どうやらユートの公開プロフィールを見て初めてユートの性別を知ったらしい。
「……もしかして、気付いてなかった?」
「全っ然わかりませんでしたよ。てっきり女の子かと……ってか、男の、人……」
みるみるうちにトーカの顔が真っ赤になって、口をパクパクと動かし始める。
やけに距離が近いなと思ったら、なるほど、ユートを異性だと理解していなかったのだ。
そして幸か不幸か、トーカは今そのことに気づいてしまい、そして後から羞恥心が湧いてきている状態。
金魚のようになったトーカは、その後どうにか酸素を摂取したのち、こういった。
「こ、この、変態!」
そして速やかにログアウト。
「……えーっと」
ユートは判決を求める。
「ま、間違えても仕方ないよねそれは」
「悪気はなかったとは思うが、誤解の原因はお前にあると思うぞ」
「もう少し配慮をするべきだったわね」
判決:有罪