第四話
筋肉疲労が存在しないVR空間であっても、銃をまっすぐ保持するというのはなかなか難しい。
射撃というのは、1度のブレが100m先では1.7mのズレになる世界である。ある程度の弾力を持って衝撃を吸収し、様々な能力を発揮する人体は、しかしながら、こういった精密作業に向いているとは言い難い。
全身の筋肉を正しく力み、或いは緩め、道具を正しく固定し、正しく照準する、これは一種の職人技であり、素人が一朝一夕で成しうるものではない。
……ゆえに、まともに銃を扱おうとすると、まずは銃弾を装填すらせずにひたすら構えを仕込まれるわけだけども、これが実に楽しくない。
ユートはさっきから、弾倉も差し込んでいないライフルを空撃ちしては、カズノリにあちこちダメ出しをされていた。
「ほら力を抜けって。顔を傾けるな。でもって足がだな……」
「……あの、撃たせてもらえません?」
「いきなり撃てると思ってんのか?」
「いや、でもゲームだし」
「だからこそだ。今後の快適なプレイングのために、今かっちり練習しなきゃならん」
ユートはため息をつき、引き金を絞る。
しかしながら訓練の必要性はユートにも理解できていた。
今ユートが使っているのは、『ビームトレーニングモード』とかいう訓練専用の射撃モード。引き金を引くと、銃口から銃弾が発射されないまま、銃口がその時指向していた位置が的に記録され、近くのモニターに表示される。
銃がダメージ無しのレーザー銃に変わるようなものと考えればわかりやすいか。
レーザーであるから、銃弾と違って弾道は完全な直線である。風によるブレなどは一切発生せず、ユートが正しく的に銃を向ければ間違いなく真ん中に当たるはずなのに、これがなかなか当たってくれない。
銃を持ち上げ、的に向け、狙い、引き金を絞る、あらゆる段階でわずかでも気を抜けば、銃口は発射以前にどこか別の方向へ向いてしまう。
「こんなに集中したこと人生でそうそうないですよ」
「集中してるようじゃまだまだ。このぐらいの距離は晩飯のことを考えながら当てられるようになれ」
「……妥協ゼロですね」
「教えるならガチで教えるさ」
「ありがたいことで」
ユートはちょっと泣きそうだった。
一方、ユイの方はというと、
「えーっと、ここをこうして、ここがもうちょっと……こんなものかしら」
これまた事細かに指導を受けているが、カズノリよりは大分優しいようだった。まず手が出てないし。
「こら、よそ見すんな」
気が散っていたら早速叱られてしまった。
するとフィリシアが怖い目をして、
「カズノリ、あんまり厳しくすると逃げられるわよ」
とカズノリを窘めた。
「ここはブートキャンプではないのだから、もっと楽しく指導してはどう?」
「当たるようになるまで楽しくないのは当たり前だ。ここを乗り切れないやつに狙撃銃は使えん」
「そんなだからこの前も新人に逃げられたんでしょうが」
「仕方ないだろう。人それぞれのプレイスタイルってもんがある。あいつは狙撃手にまではなりたくなかった。だがユートは違う。こいつには狙撃手の素質と、それを目指す意志がある。だから俺は、コイツをビシバシしごいて一流にしてやる義務がある」
カズノリは随分とユートに期待しているらしい。
もう少しハードルを下げてほしい、というのが正直なところであるユートは、カズノリの方を振り向いて、
「えーっと、俺としてはほどほどでいいかなーと思うんですけど」
と言ってみるのだが、
「なりたいだろ、狙撃手」
「……なりたいです」
カズノリの満面の笑みは有無を言わせてくれず、ユートは大人しく視界をスコープに戻す。
するとユイの方も何やら触発されたらしく、
「ねぇフィリシア、もうちょい厳しくても良いよ」
指導の強化を要望され、フィリシアはため息をつく。
「上客になりそうね」
時間をさかのぼって、トーカがログアウトした直後のこと。
篠崎灯香は自室のベッドで目を覚ました。
灯香はバーチャリアを外して180度回転し、枕に顔をうずめた。
やっちゃったやっちゃったまたやっちゃった! 何が「もういいです!」だよ何が「カズノリさんのばか!」だよ彼女面かよバカはボクだよバカ!
と灯香は絶叫したが、枕はちゃんと仕事を果たし、彼女の叫び声をリスニング不要なレベルに暗号化し、近所迷惑にならない程度に消音した。
すると灯香は残酷なことに、真っ当な仕事をした枕を壁に叩きつける。いわれのない暴力にさらされた枕は、むなしく壁を滑って地面でくしゃくしゃになった。
灯香は今度は布団に顔を押し付けてまたひとしきり叫んでから、ベッドから立ち上がりカッターナイフを探し始めた。
落ち着くには手首を切るに限る。平静を取り戻すにはまず痛みと出血が必要だ。ナイフナイフ……
と危険な思考に陥っていた灯香だが、先日父親の手により灯香の部屋から鋭利な物体が一掃されたことを思い出し、パニックに陥った。
何でもいい。とにかく何か、速やかに激痛と大量出血を生み出せるものはないか。そうだガラスを割ればいい。
灯香は椅子を持ち上げ、窓に向かって振りかぶった。
……ところで、電話が鳴った。
ずるずると崩れ落ちるように膝をついた灯香は、とにかくほっとして深くため息をついた。
着信は母親からだった。
「もしもしお母さん? ぼ――わたしだけど」
『ボク、でいいわよ。その方が楽なんでしょう?』
母親は電話の向こう側でくすくすと笑っていた。
「……で、今日はどうしたの?」
『あら、随分長く会えてない娘に電話するのに、いちいち理由が必要なの?』
「そういうわけじゃないけど……まぁ、助かったよ。ナイスタイミング」
『助かったって?』
「ゲームをやめるきっかけが欲しかったの」
灯香は適当なことを言って誤魔化した。灯香のゲーマーは知ってのことなので、母親はすんなり信じたようで、
『一日一時間なんて言わないけど、ほどほどにしなさいよ。勉強大変なんでしょ?』
「学校行ってた頃よりずっと調子いいよ。もう二年生の問題集やってるし」
『さすが私の子ね』
「……褒め言葉?」
『まぁひどい。お母さんは結構メンタル弱いのよ』
「知ってる。そこもそっくりだし」
母娘は二人して苦笑する。
「そうだ、お母さん」
『何?』
「えっと、恥ずかしながらまた癇癪を起してしまいまして……それでその……事後対応の方針がね。どうしたものかなって」
『お相手は?』
「前話したでしょ」
『ああ、片想いの』
「……まぁ、そうだけどさ」
『だったらさっさと謝っちゃえばいいでしょう。貴方の話通りの人なら、すぐに許してくれるんじゃない?』
「あと初対面の人が二人一緒にいたの」
『どういう状況だったのよ』
灯香はざっくりと事のあらましを説明した。
『女心が分かってないのね』
「でしょう?」
『でも戻っちゃだめよ。そこはちゃんと、そのお二人にも笑顔で対応して良い女をアピールするところ』
「これは手厳しい」
『恋愛で油断はだめ。特にあなた、かなり年齢差あるんでしょ? チャンスを活かすだけじゃだめよ。自分からチャンスを作っていかないと』
「……難しいなぁ」
『あなた経験そこそこあるんじゃなかったの?』
「こっちから片想いしたのは初めてだよ。今までは向こうからお願いされてたから」
『まぁ羨ましい。私も一度ぐらい告白されてみたかったわ』
「嫉妬も凄いけどね」
『それはいやね』
「でしょう?」
二人はまた笑う。
女性同士の話というのはいつまでも際限なく続くものであるし、それが長らく顔を合わせていない母娘となれば猶更だ。
しかしながら時間というのは無限ではなく、特に母親の方には仕事もあるわけだ。30分ほど話し込んだところで、
『ごめんなさい、そろそろ戻らなきゃ。それじゃあまた。早めに謝っときなさいよ』
「うん。またね」
そうして、親子の会話は終了する。
画面が暗転した電話を机の上に乗せてから、
「……さてと」
灯香は深呼吸をした。カズノリから習った、戦地に赴く直前にお勧めの戦術的呼吸法。
心拍数が程よい領域に落ち着いたところで、バーチャリアを被って電源を入れ、ベッドに仰向けになる。
「ダイブ、スタート」
2017 7/15 書き変え。正しくない描写を修正。
2017 9/25 全然修正で着てなかったので今度こそ修正。