第1話 チャンス
その日の朝、敬太はいつものように高校へと向かっていた。憂鬱な一日の始まりである。
もちろんこの登校の時間に、『あっおはよう!』と、敬太に話かけてくる人なんていなかった。
それは、自分のクラスの部屋に着いた時も同様だった。
周りで聞こえてくる『おはよう!』の声が、疎ましく聞こえた。
”大体、君達は知っているのかね?おはようの由来を。
おはようというのは、『お早う【おはよう】〜ですね』から来ていて、一番初めに合った人に対して言ってたから、
朝の挨拶として使われるようになったんだぞ!!”
「……どうだ。」
敬太は一人、誰かに怒りをぶつける様につぶやいた。
「どうだって何が?」
後ろからいきなり声がして、敬太は驚いて尻餅を付いた。
そこに立っていたのは、淳司だった。
「なんだよ。驚かすなよ。」
敬太は立ち上がりながら言った。
「いや、だって敬ちゃんが一人で何かボソボソと言ってるから。」
敬ちゃんというのは、敬太のあだ名である。
昔から淳司は、敬太の事を敬ちゃんと呼んでいた。
「いや、僕は今日もうんちくをだなぁ。……考えていたんだ。」
「え?!考えてたの?!それかなり凄い事だよ?!」
「いや……。その考えるじゃなくて、頭の中で唱えてたんだ。」
「呪文みたいなものなんだね。うんちくって。」
「そうなんだ。」
断じて違う。
「今日は数学のテストだね。頑張ろうな敬ちゃん。」
「あ、忘れてた。まぁでも、数学のテストなんて、人生においてそんなに大事なものじゃないな。」
「あはは。さすが敬ちゃんだなー。成績の8割に響くって言われても、全然動じないんだなー。」
笑顔だった敬太から、サーっと笑顔が消えた。
「ななななななななんですとーーーーーーーーーーーー!!!人生においてそんなに大事ではないものが、
人生においての最大のピンチに逆転ホームランじゃないか!!!!!」
敬太は、バットをフルスイングする真似をしながら言った。
「あれ?聞いてなかったの?先生、授業の始めに、ボソっと言ってたよ?」
「いや!!そういう大事なことは、大声で大題的に言うべきだろ!!って言うか、何で8割も響くんだよ!!」
「あはは。困るよねー。」
「おいおいおいおい!!もっと困れよ!!全力で困れよ!!」
「こおまったなあああああああああああああああああーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「あぁ!!!!こおまったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーー!!!!!!!」
2人は、肩で息をしながら会話を続けた。
「ハァ……ハァ……今日は……とりあえず……ハァ……全力で頑張ろう……。」
「ハァ……ハァ……そうだな……。」
敬太は淳司とならこのように、普通に話せた。
そう、普通に。
しかし、いざ他のクラスメイトとなると、全く話せなくなる。
極度のシャイだった。
いざ、テストの時が来た。
”なぬ……なぬ……なぬーーーーーーー!!!!!””
敬太は、そのテストの内容に驚かされた。
”足し算、引き算、掛け算、割り算……小学校のテストなのですかい?!”
そう、テストは小学生でも解けるような簡単なものだったのだ。
”いけるぞ……いけるぞ……いけるぞーーーーーーーー!!!!”
敬太は、心に大きな確信を持ち、テストに挑み始めた。
そして数分後、敬太はそのテストを全て埋め、自信満々な顔をした。
”どうだ。このスピードは、数神と呼ばれてもおかしくはないのではないか!!
と、思えるほどのスピード!!一般人などでは、誰も我に敵うはずがあるまい!!”
そして、敬太は自信満々にチラっと周りを見渡した。
”なんですとおおおおおおーーーーーーーーー!!!!!!皆様そろって終わってらっしゃる……。”
自称・数神が一般人に敗れた瞬間だった。
敬太は顔面蒼白で、そのままチリとなった。
テストも無事終わり、淳司が近寄ってきた。
そして、チリになった敬太に話しかけた。
「やぁチリ……じゃなくて、敬ちゃん。テスト全然余裕だったね!!これなら、凄い点数取れるよ!!」
「……そうだね。チリチリ。……本当、こんなテストでよかったチリ。」
その時敬太の頭の中に、1つの考えがよぎった。
”点数で、一般人に勝てばいいじゃないか!!そう考える我は、やはり数神!!!!”
その思いつきで、チリは人間……いや、自称・数神へと舞い戻った。
「渡辺くん!!」
敬太と、淳司の後ろから、甘くとろけるような女性の声がした。
「あぁ。安藤さん。」
淳司は、その声の主に答えた。
敬太は、”安藤”という名前に、耳がピクリと反応した。
「今日のテスト簡単でよかったね!!」
そこに立っていたのは、
”愛しの……我が愛しの安藤美由紀さんではないですか!!”
敬太は、高校入学当時から、美由紀に惚れていた。
一目惚れというやつである。
約1年間、見るだけの生活をしてきた。
2年生になった今、やっと会話のチャンスがめぐって来たのだった。
「うん。そうだね。あのテストで8割だったら、余裕だね。ね?敬ちゃん?」
淳司が気を利かせて、敬太に話を振った。
親友の2人だ。淳司は、もちろん美由紀に一目惚れした話を、1年の頃から聞かされていた。
敬太に電流に似た感覚のものが、体中を走った。
そして、精一杯の答えを淳司に返した。
「…………そーおっす。」
”何じゃそりゃ。”と、淳司は、苦笑をした。
「そうだよね。じゃあまたね。」
そう言って、美由紀は去って行った。
「あっくんよ……。」
あっくんというのは、淳司の昔からのあだ名である。
「何?」
「今僕…………話したよな??」
「……ん?それはもしかして……」
淳司のその言葉を遮る様に、
「話したぞーーーーーーーーー!!!!」
と、目頭を熱くさせた敬太が、両手を上に上げた。
「あー。凄いやー。あははははー。」
と、淳司は棒読みで、言葉を返した。
「だよな!!だよな!!聞いたか?!じゃあまたねって!!大好きよって!!」
敬太は、身振り手振りで表現しながら、嬉しそうに言った。
「いや…大好きの、『だ』の字も聞こえなかったけど……。」
「いいや!!僕には聞こえた!!なんせ僕は数神だからさ!!」
淳司は、頭に【?】を浮かべた。
「すう……しん??」
「ああ……今日はなんていい日なんだ!!帰ったら、かに玉食べなきゃ!!」
「ああ……それちょっと古い習慣ではないかな……。むしろ、習慣ではないと思われるよ……。」
淳司のそんな声は届かなかった。
その日を終え、敬太は下校していた。
そして、一人ある事を思っていた。
”今日の数学の後の、接触は……会話じゃない。もっと言いたい事はあったんだ。
もっと、僕に勇気があれば……。もっと僕がクールならば……。”
そう、考えながら顔はにやけていた。
自称数神の歩く所は、自然と道が開けて行っていた。
言い方を変えよう。
歩く人皆が、そのにやけた顔を怖がって、道を開けてくれていた。
そして、家に帰り、就寝の時間を迎えた。
”神様。もし、願いが6つだけ叶うなら……。”
敬太は、良く考えた。良く考えた結果、
”嘘っす。いや本当に。ごめんな。”
”もし、願いが1つ叶うなら……僕を、スーパーマンに変えてください。”
そして、思い出した様に付け加えた。
”あっ。空は飛べなくていいっす。それと、ぴちぴちの全身タイツもいらないっす。”
”よし。寝るか。”
そうして、敬太は眠りに付いた。
深い深い眠りへと。
「筋肉も、そこまでいらないですよ。参考までに。」
寝言だった。
−次の朝−
”ピピピピピピピピ”という、目覚ましの合図で目を覚ました。
むくっと、状態を起こし、
「ふぁぁぁああぁ。」
と、大きなあくびをした。
あくびの為に、口に当てた手をベットへと戻した。
『プニっと。』そう。『プニっと。』
「ん??プニっと??」
そっと、プニっと感じた手の方へ目線をやった。
「ぷ……プ……PU……プニっとおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
思わず、敬太は大声を出してしまった。
プニっとの正体は、『僕』だった。
『僕』が、隣で寝ていたのだ。
敬太は、慌てて部屋の隅に掛けてある鏡を覗き込んだ。
顔をあらゆる場所、体のあらゆる所を調べ、確認の終えた敬太は、
「僕は、僕だ……。」
と、つぶやいた。
そしてもう一度、ベットへと目を送った。
「そして、あいつも……『僕』なんだよ。これが。また。」
そして意を決して、敬太は『僕』に近づいてみた。
「どっからどう見ても……『僕』なんですよね。」
更に、敬太は『僕』を触ってみる事にした。
『僕』の顔に人差し指を近づけて行った。
”プニ……プニ……。”
「プニっと来たわ……。これ。」
「すると、『プニ僕』は、目を覚ました。」
「なんてねえ。」
敬太は、額に手の平を、”ぺチン”と当てた。
その時、『僕』は本当に目を覚ました。
「現実化ーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
敬太はそう叫び、尻餅を付いた。
「朝っぱらから、そうぞうしい野郎だな……。」
記念すべき、第二の『僕』の第一声は、クールに決められた。
「あっ。すいません。」
思わず、敬太は”ペコっと”謝った。
「って、ちょっと待てーーーーー!!!!」
思わず、敬太はノリ突込みをしてしまった。
「……んだよ。五月蝿いな。お前誰だよ。」
寝起きで、機嫌がかなり悪そうな『僕』が、敬太に問いかけてきた。
「いや……、あの……。堤敬太と申します。」
『僕』は、睨み付けるような目で、敬太をチラッと見て、
「……お前、俺じゃん。」
と、あまり驚いた様子はなく答えた。
「はい……。その様で。あなたはどこからいらっしゃったのでしょうか??」
『僕』は状態を起こしながら言った。
「しらねぇよ。起きたらここにいたんだよ。つか、どこから来たかも分からん。」
「は……、はあ……。」
その時、廊下を”トットットットッ”と、駆け足で走ってくる足音が聞こえた。
「敬太ーーー????」
女性の声だった。
「お母さんだ!!」
敬太は、焦りの表情を浮かべて驚いた。
そして急いで、ドアを押さえた。
”ドンッドンッ”という、ドアをノックする音と共に、ドア越しに母の声が聞こえて来た。
「敬太??大丈夫??何か大きな声が聞こえたわよ??」
敬太はドアを必死に押さえながら答えた。
「オーイエス!!ワタシ、ダイジョウブネ!!」
「いつからあなたは、……って。それ何人よ。そんなことより、何だったの??さっきの叫びは。」
「いやあれは、あの……ほら!!たまにあったじゃない!!大声を出してしまう発作!!プ……プニプニ症候群って言うんだ!!」
敬太は、汗をかきながらとっさの思いつきで答えた。
「はあ??何言ってるの??本当に大丈夫なのね??」
「うん!!大丈夫どころか、プニプニも大乱闘中だよ!!」
「乱闘してるの?!」
「いやいやいやいや!!言葉のあやだよ!!全然大丈夫!!」
「そう。ならいいわ。ご飯の用意できたわよ。早く着替えて、食べなさいよ。」
「わかった!!ありがとう!!」
そう言って、母は台所へ戻って行った。
母が去って行く足跡を聞きながら、敬太は地面へと崩れ落ちた。
「危ない所だったよ。もし、『僕』が二人いるなんて、お母さんが知ったら……。」
「今のが、お前の母か??」
今まで、静かにしていた『僕』が話しかけてきた。
「そうだよ。堤美津子って言うんだ。」
「美津子か。綺麗な声だったな。」
「いきなり呼び捨てかよ!!ってか、何言ってるんだい!!」
「思った事を言っただけだ。それより着替えて、さっさと朝飯を食ってこい。」
「あ……。そうだね。行ってくるよ。」
そう言って敬太は、ササっと制服に着替えて、朝ご飯を食べに居間へ向かった。
居間のテーブルには、食パンが2枚焼かれていた。
1枚を目に見えぬ速さで食べて、一枚を美津子にばれない様に部屋に持ち帰った。
そして、敬太は『僕』に食パンを渡しながら言った。
「これ、朝ごはんだよ。」
「お、いいのか。すまないな。」
そういうと、『僕』も物凄い勢いで、食パンをたいらげた。
『僕』が食パンを食べ終わるのを見て、敬太が話しかけた。
「一応、家族構成を話しておくね。」
「おう。」
「お母さんの美津子と、お父さんの武雄。それと僕の3人。お父さんは、単身赴任で今はこの家に住んでないんだ。」
「わかった。」
「それと、お母さんはもうすぐしたら、仕事で家を出るから、それまでは静かにこの部屋にいてくれないか??」
「わかった。」
「じゃあ僕は、とりあえず学校へ行ってくるね。くれぐれもばれないようにね。」
「わかった。」
「じゃあね。」
そう言って、敬太は学校へと向かった。
−こうして、僕と『僕』の不思議な同居生活が始まった。−