お母さんは、
買い物の帰り、迷子を見付けた。
市内でも有名なオシャレスポット、慌ただしく暮れ始めた休日の通り。往き交う人々の足は、少し気忙しく、心なしか浮つき、そして決して少なくはない。街路樹にも、カフェや雑貨屋の軒先にも、クリスマスイルミネーションが、華やかに輝いている。
其処から一本入っただけの、薄暗い路地裏だった。
十歳くらいの少女が、両手で顔を覆って蹲っていたのは。
心配になって近寄ると、少女の小さな肩は微かに震えていた。服も手足も汚れ、おかっぱの黒髪もグシャグシャになってしまっている。
なにがあったのだろう。私は驚いたが、怖がらせてはいけないと思い、努めて足音を殺すと、できるだけ優しげな声音を作って訊ねた。
「どうしたの? 迷子?」
少女は顔を覆ったまま、こくり頷く。
「お、おかあさん、さがしてる……の……」
そして消え入りそうに呟いて、嗚咽の続きを始めた。
私は溜息を吐く。おおかた、母親とショッピングにでも来てはぐれたのだろう。
それにしても、と振り返った。これだけ人がいて、誰もこの子に気付かないなんて。いや、もしかしたら気付いているのか。面倒に関わりたくなくて、無視しているだけかもしれない。世も末だ。
とまれ、迷子なら、保護しなくてはならない。
私は少女の頭を撫で、大丈夫よ、と微笑んだ。
「じゃあ、今からおまわりさんのとこ行こっか。お母さんが来てるかもよ!」
しかし少女は、黙りこくったまま、顔を上げようともしなかった。
ただ、嗚咽はピタリと止んだ。
「……どうしたの? 怖くないよ。おまわりさんは優しいよ」
「…………」
「もしかして、お母さんと喧嘩した? 大丈夫、もう怒ってないってば」
「…………」
「ねぇ、お母さん心配してるよ? 此処、寒いでしょ? 行こう?」
「……の」
「うん?」
「……もう、いいの」
少女は頭を振り、顔を覆う掌を、ゆっくりと左右に開いた。
まるで“いないいいないばあ”をするようだったが、俯いているため、髪の毛に隠れて表情は窺えない。
もういいって、どういうこと?
拗ねているのだろうか。
私は、ちょっと困った。結婚したこともないし、小さな子に接する機会も多い方ではない。普通の女子大生なのだ。こうしたことには慣れていなかった。
けど、それにしたって、放っておくわけにはいかないだろう。
「ね、行こうよ。お母さんに会いたいでしょ?」
私は、少女の腕を取ろうとした。
そのときだ。
逆に少女の方が、私の腕を掴んだ。
「え、ちょ、ちょっ……、痛いっ!?」
それが、とんでもない力だった。こんな小さな身体の何処に、そんな筋力が蓄えられているというのか。慌てて振り解こうとしても、ビクともしない。細く短い指が私の皮膚に食い込み、骨を締め上げ、かつて感じたことない激痛が身体中を駆け抜けた。
抱えていた紙袋を取り落とし、中身が散らばる。
「……や、め、て」
叫んだつもりだが、それは弱々しい懇願にしかならなかった。
なに!?
この子……なんなの!?
私は、空いている方の手で、少女を引き剥がそうとした。手加減は忘れていたと思う。それでも、体重の軽いはずの少女は微動だにせず、腕を掴む力は益々その凶悪さを増してゆく。
「どう、して……」
その瞬間。少女が、初めて顔を上げた。
少女だと思っていたそれは、それには、両眼がなかった。
眼があるはずの場所は、幾重にも堆積した肉が皮膚を弛ませ、まるでみっともない肥満体の様相を呈していた。眼の部分だけではない。額、頬、顎。顔全体に肥大化した肉が折り重なっている。首から下は、こんなに細い身体をしていながら。
代わりに、口が、耳の辺りまで割けて広がっていた。
「……だってね」
鮫のように鋭い歯が、びっしり数えきれないほど並ぶ、
「わたしの」
その口元が嬉しそうに動いて、
「おかあさんはね」
表の喧騒を吸い込んだ。
同時に、私を包むすべての音は、凍て付いて、止まる。
どうして。
どうして、私がこんな目に。
無慈悲な後悔と、理不尽への困惑と、限界を超えた恐怖が、私の現実を押し潰していった。いったい、なにがどうなって、私がこんな目に遭わなければならないのだろう。
滲んだ視界で睨む表通りは、既に遠く、別世界のように煌めいていた。
「おかあさんは」
思えばこのとき、私は、もう知っていたのだろう。
彼処には、二度と、戻ることはできないんだな……。
「おまえにきめたから」
グルグルと回る視界、白濁してゆく意識の隅。
崩れ落ちる刹那に聞いたのは、妙に甲高く―――
それでいて、ザラザラに嗄れた、禍々しい声だった。
了