チョコレートを君に
今日は二月十四日。いわゆるバレンタイン・デーというやつだ。
スーパーの仕事が終わり、店の外でマルボロを吸っていると店長がやってきた。少し髪の毛の薄くなった肥満気味の店長は気さくで、人がいい。
「なあ、デビィ。お前さんもここへ勤めてからずいぶん経つな。いつも助かってるよ」
「どうしたんですか、店長。給料でも上げてくれるんですか?」
「ああ、いや」
「なんだ、違うんですか」
「それは一応、考えておくよ。もう少し景気が良くなったらな。それはそうと今日はバレンタイン・デーだろう? 私はこれから妻に花束を買って帰ろうと思ってるんだが、お前さんはどうするんだ」
「え? どうするって」
店長は赤ら顔でニヤニヤしながら俺を見ている。
「お前さんの金髪美形の同居人だよ。たまには何か買っていってやったらどうだ」
彼は俺がレイと同居してることを知っているが、当然、俺達がゲイ・カップルだと誤解してる。それについて言い訳するのもいい加減くたびれてきた。
「いや、いいですよ。俺と彼は別にそういう関係じゃないし」
「別に私はゲイに偏見など持ってないから隠さなくてもいいんだよ」
申し訳ないが、その気遣いは不要だよ、店長。
「すみません、店長~!」
店の中で女の子が呼んでる。よし、チャンスだ。
「それじゃ、店長。俺、帰りますので」
「ああ、いい物買ってってやるんだぞ!」
余計なお世話だ。だいたい今日は男が女にプレゼントを贈ったり、レストランを予約してディナーに行ったりする日じゃないか。いくらレイがそこらの女性よりよっぽど美しいからって……まあ、いい。
だいたい、まだレイは「シルバー・ローズ」で仕事中だ。今日はいつも以上に忙しいだろうから帰ってくるのも遅いはず。まあ……夕食を食い終わったら冷やかしに行ってみるか。
「お帰り、デビィ」
部屋に帰ってみると、バーテンダーの服装のままのレイに出迎えられた。
「どうしたんだ、レイ。バーのほうはいいのか?」
「いや、実は店でチキンを焼いたんだけど、ちょっと量が多すぎてね。余りそうなんで先に持ってきた」
本当だ。美味そうなチキンの匂いで部屋が満たされている。
テーブルの上にはきちんと皿に盛られたチキンとフランスパン。そして赤ワイン。
「お前も一緒に食うのか?」
「いや、俺は店に戻らないと。バーバラとクリスだけじゃ客を捌ききれないしね」
クリスはバーバラの息子だ。最近は店をよく手伝っている。生意気だがしっかりしたいい子だ。
「そうだな」
「なんか不満そうだな。そんなに腹が減ってるのか」
「あのなあ、俺は食ってれば機嫌がいいってわけじゃねえんだぞ」
レイはしばらく黙って俺の顔を見ていたが、やがて軽く微笑んだ。
「そういうことか。後で店に来ればいいさ。去年だって来たじゃないか」
「言われなくてもそうするつもりだったよ」
「そうだと思った。じゃ、俺は店に戻るから。ああ、そういえば渡したいものがあるんだよ、はい、これ」
レイが差し出したものを見て、俺は絶句した。
ピンクのハート型に赤いリボンの物体は明らかにチョコレートだ。
「な、なんだこれ」
「ああ、これか。この間、ミーナに聞いたんだよ。日本では友人同士がこのハート型のチョコを送りあうんだって。だから買ってみたんだ。たまには日本式もいいかなと思って」
いやいや。これは明らかに陰謀だ。ミーナの奴、レイが意外に天然な奴なのを知っててやってやがる。
俺が前に聞いた話じゃ、日本ではこういうチョコは片思いの女の子が男の子に贈るものだ。でも、何だかいつにも増して嬉しそうに目を輝かせているレイにそんな野暮なことを言っても仕方ない。
「そうか~、なるほど。ありがとう。凄く嬉しいよ」
「よかった。実はそれミーナに頼んで取り寄せてもらったんだ。中にカードが入ってるらしいから後で読んでおいて」
「なんて書いてあるんだ?」
「え?」
「カードだよ」
「ああ、いつもありがとうとか、そんなことだよ」
それじゃまた店で、と呟いて長い金髪を靡かせながら出て行ったレイを見送ると、俺は渡されたチョコの包み紙を破いた。
あった。カードだ。
そこにはこう書かれていた。
『Be My Valentine』(私の愛する人になってください)
ううう、やっぱりなあ。まったくミーナは俺達をどうしたいんだよ。
まあ、とにかくこのカードをレイに見せるのはよしておこう。誤解は誤解のままにしておく。それでいい。
テレビをつけ、チョコを割って口に入れる。ふわりと溶けるような甘さが心の中まで染みこんでくる。まあ、悪くはないな。こんなプレゼントも。
こんど何かお返しをしなくちゃな。
さて、今日はちょっと早めに店に行ってみるとするか。俺は夕食のチキンに手を伸ばした。
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