第4章1
今から遡ること10年前。
克安が住む喃国と、隣国桂との間は最悪の状態で、戦は泥沼化していた。
お互いが一歩も譲らず、利権を争い、多くの民の血が流れていた。
克安は物心ついたときには、王宮の一角にある「施設」で育てられていた。そこには戦で両親を失い、一人で生きていくことが難しい少年たちが収容されていた。
彼らはここで立派な兵士になるために育てられていたのだ。
その中でも特に精神的、身体的に優れたものは特別要員として教育を受ける。
「特別要員」――将来的には刺客となるために。
克安もその要員として選ばれていた。戦の表で戦う兵士ではなく、裏で人の命を奪う刺客。気づけば、わずか16歳にして、「施設」では最も腕が立つ刺客になっていた。
感情を押し殺す術を叩き込まれていたせいもあってか、克安はあまり喜怒哀楽を表に出すことはなかった。
そんな克安が心を許すことができたのが、同じ集団に所属している蓮狼という少年だった。
克安より2つ3つ年下だった彼は、刺客として今後生きていくことがとても不似合いなほど、人懐こい性格だった。一人孤立することが多かった克安にまとわりつき、あれやこれやと話しかけてくる。
初めはそれを鬱陶しいと感じていた克安も、蓮狼の性格にやがて心を開くようになっていた。
彼には「施設」の外に、双子の姉がいた。彼女が唯一の肉親なのだと、彼女を守るために自分は「施設」に来たのだと蓮狼はよく言っていた。
姉思いの彼は、外出の許可が出ると必ずといっていいほど彼女に会いに行っていた。
克安も誘われて、彼と共によく彼女のもとを訪れていた。
蓮狼はやんちゃなところもあり、どちらかというと騒ぐのが大好きにぎやかな性格だったのに対して、姉の翠蓮はとても物静かで穏やかな性格をしており、いつ会ってもにこにこと笑っていた。
それまでは、克安の能力の高さもあってか、周りの者たちから一歩退かれた場所から接せられていた克安は、人懐こいこの二人の姉弟を、いつしかとても愛しく思うようになっていた。
(この二人がいると、心が穏やかになる)
自分の手はすでに、多くの者たちの血で染まっていた。
ともすれば、どす黒い感情に支配されてしまいそうになる克安の心を、この二人がかろうじて、通常の世界につなぎとめてくれているかのようだった。
(何があっても、二人は自分が守る)
克安は心に強く誓った。
すべての脅威から、自分がこの二人を守ってみせる。この温かな気持ちをくれたこの二人を。
しかし、幸福な日は長くは続かなかった。
日増しに戦火の色が濃くなり、桂国が都へ迫ってきているという噂までもが流れ始めた。
はじめの内はただの噂だと笑っていた者たちも、一月後には青ざめ、これから先どうしたらよいものかと真面目に考え始めていた。
そうしてさらに数ヵ月後、噂は現実のものとなる。
その日、克安は上官から命じられて、敵方の指揮官の一人を暗殺するため、都を離れていた。
指令を無事、成し終えて都に戻ったとき、克安の目の前に広がっていた光景は――敵味方両陣営により破壊し尽くされた街だった。
かつては東の花と言われたこともあるほどの、華やかな街だったはずなのに。なのに、このあまりにもの変わりようは……。
しばし呆然と立ち尽くしていた克安だったが、ガラリ、と崩れる瓦礫の音に我に返った。
施設へと走っていく。
だが、街と同様に、やはり施設ももとの姿をすっかり失ってしまっていた。
「蓮狼!」
叫び、施設内を探したが、彼の姿は見当たらなかった。そしてまた、仲間の姿もまったく見当たらない。
「まさか……」
不安を抱えたまま、克安は翠蓮が住む地区へと足を向ける。
彼女が住んでいたはずの家は跡形もなくなくなっていた。
その代わりに、そこにいたのは一人の少年。
「蓮狼……」
うずくまっている蓮狼近づき、肩を叩こうとした克安の手が空で止まる。
蓮狼の腕の中にいるのは一人の少女――息絶えた彼の姉だった。
蓮狼は静かに肩を震わせて泣いていた。
克安は堪らず、背後からぎゅっと蓮狼を抱きしめる。
「すまない、守ってやれなくて、すまない」
克安は幾度も繰り返した。
守ってやると約束した。
幼い大切な姉弟を。
それなのに、自分は守ることができなかった。
本当に小さな小さな幸せだったのに。
(なぜ……)
なぜ、こんなことになった?
なぜ、と繰り返す。決して返ってこない答えを求めて――。
翌日、蓮狼は姿を消した。
克安には何も言わずに、一人――。