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第4章6

「なんでこの話を俺に?」

「なんとなく、かな」

 しかし、克安(クーアン)は一呼吸おいた後、首を横に振って、自分の言葉を否定した。

「いや、違うな。誰かに知っておいてもらいたかったんだろう。私という人間の生き様を」

「――勝手なやつだな」

「まったくだ」

 克安は、はははと笑ったが、直に真面目な顔へと戻った。

「心の痛みから逃げようとしている私は、やはり弱いのだろうか」

「――俺さ、ここに来る前の記憶ないんだわ」

 克安の問いには答えず、あっけらかんと告げた学然(シュエラン)に、克安は目を見開いた。

「すぽーっとな、抜け落ちまってんの」

 だから、学然は自分の過去を知らない。

 ここに来た理由も、まったく覚えていない。

 気がつくと、雲隠(ユンイン)が目の前にいた。

 彼はただ笑みを浮かべて、ここにいてもいいといってくれた。だから学然はここにいる。

 行くべき場所も何もないのだから。

 だから――……。

 でも、ここに来た、ということはおそらく叶えてもらいたい何かがあったはずだ。

 それはきっと、今までここにやってきた者たちのように、強い願いだったに違いない。今、横にいる克安が持っている願いのように。

 自分では叶えることが困難だけれど、その願いは決して諦められないものだったはずなのに。

「ずいぶんと……」

 言葉を途中で呑み込んだ克安を見て、学然が続ける。

「あっけらかんとしている?」

 クッと思わず克安は笑う。つられて学然も笑う。

「だって仕方ないだろ? 忘れちまってんのはどうしようもないし。それに俺、そこまで過去にこだわってないの」

「学然は私とは違って、強いのだな」

「――そんなことねえよ。俺はただ…覚えていないだけだ。覚えてねえもんにこだわったって不毛だろ?」

「本当に面白いな、学然は」

「あんたほどじゃないよ」

 克安は自嘲気味に笑った。

「私のことを軽蔑するか」

「いや」

 学然はふうと息をついた。

「人間ってのはさ、どうしたって過去から解き放たれることはできねーんだろうな。俺みたいにきれいさっぱり忘れちまわない限り」

 そんな学然でも、生きていれば昨日のことは過去になっていく。いつかはやがてその過去に捕われ、歩むことができなくなる日が来ることもあるかもしれない。

 だから、自分に克安を責めることはできない。

「俺はそこまであんたのことを知っているわけじゃない。あんたが何を抱えているのかをしらずに文句言う資格なんて、本当はねえよな」

「おかしなことを言う」

「そうか?」

 克安は小さく笑った。

「学然も雲隠も本当に変わっている」

「――あんたに言われたくないんだけど」

 そうだな、と克安は空を仰ぐ。学然もつられて仰ぐ。

 竹の葉の間から降り注ぐ日の光はとても優しい。まるで己の心を癒してくれるかのようだ。雲隠がここに好んでくる理由が、なんとなくわかった気がした。

 克安にもこのような場所がそばにあればいいのに。

 そうすれば、彼はあのような願いを抱かずともすんだかもしれない。

 妙に切なくなり、学然は目を細めた。

 せめて、今この瞬間だけでも、彼にとってここが癒しの場とならんことを祈った――。

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