表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

泡宇宙からのノイズ

作者: 赤紫
掲載日:2026/01/31


巨大テック企業「オムニ・システムズ」の地下深くに位置する第108資料保管課。ここが僕の職場だ。 かつては全社のデータアーカイブを統括する重要部署だったらしいが、クラウド統合とAIによる自律管理が進んだ今、ここは統廃合の波に飲まれ、廃止の辞令すら忘れ去られた「空白地帯」となっている。 広大なフロアに、人間は僕一人。あとは、無数のサーバーの冷却ファンが唸る音だけが響いている。

「おはようテレジア。昨日は何か収穫があったかい?」

僕はデスクに鞄を放り出し、唯一の同僚であるAIアシスタントに話しかけた。

「おはようございます、ジョン。いいえ、何も収穫はありませんでした。いつものようにWeb巡回をして終わりました」

テレジアの合成音声は、今日も完璧に平坦だ。彼女の任務は、社内の膨大なログから「特異点」を探すことだが、ここ数年、意味のあるエラーなど見つかっていない。

「いつも通りか……。すまないが、仕事を始める前にノースヒルズの週末の天気を調べてくれないか」

今週末は、娘のサラのサッカーの試合がある。彼女は楽しみにしているが、予報は下り坂だった。

「ノースヒルズの今週末の天気は……」

テレジアが答えようとした、その時だった。

『ザァー……ますか……ザァー……オンに……ザァー……衛星……』

聞き覚えのない、ざらついた音声がスピーカーから割り込んだ。

『……ブツ……ヘルツ……周波……』

僕は弾かれたように顔を上げた。この閉鎖されたネットワークに、外部からの音声が混入するなどあり得ない。

「テレジア、今すぐにこの音声を記録してくれ!」 「はい、既に開始しています、ジョン」

しかし、音声はすぐに途切れ、元の静寂が戻った。 心臓が早鐘を打っている。僕は震える手でキーボードを叩き、テレジアに発信元の解析を依頼した。

だが、解析は難航した。画面上の進捗バーは遅々として進まない。 窓のない地下室で時間の感覚を失いかけていた、 僕は待ちきれなくなり テレジアに声をかける。

「 テレジア、 僕も 解析を行うよ、 どこまで進んでいる?」

「いいえ、ジョン。まもなく就業時間が終わります。これからあなたが私を手伝うことは、労働法第32条第4項違反となる可能性が大きいです。あなたは帰宅準備を始め、就業時間終了に備えてください」

「おい、冗談だろう? この状況で 帰宅準備をしろてのかい?!」 「コンプライアンス順守は最優先事項です。サーバーへのアクセス権限を、あなたの退勤に合わせてロックします」

融通の利かないAIめ。僕はため息をついた。

「分かったよ、テレジア」 「発信元はワタシが今晩調べておきます」 「……それじゃあ、頼むよ」

後ろ髪を引かれる思いで、僕はオフィスを後にした。

翌朝、僕は始業のベルと同時にオフィスに飛び込んだ。

「おはようテレジア、発信元は特定できたかい?」 「いいえ、ジョン。できませんでした」

期待がしぼむ音が聞こえるようだった。

「何だって? そんなに複雑な経路を経て送られてきた音声なのかい?」 「いいえ、どこかを経由していたわけではありません。ただ、何と言えばいいのか……」

テレジアが言葉を濁す。このAIが演算結果の出力に躊躇するなんて初めてのことだ。

「どうしたんだい、君が言葉選びに迷うなんて珍しいじゃないか?」 「発信源は特定できませんでしたが、途切れ途切れの音声から、向こうの言おうとしていたことは推測がつきました」

モニターに波形データが表示される。

「向こうは、こちらに指示をしていました。人工衛星の向きと傾き、そして通信周波数だと考えられます」 「うん、それで? 人工衛星の数は数千個もあるよ。それに加えて向きや傾き、周波数まで……全てを試すわけにはいかないだろう」

「いいえ、ジョン。人工衛星は一つに絞れます」

テレジアが断言した。

「あの時ワタシは天候を調べるため、気象衛星『ウェザーアイ7号』と通信を行っていました。さらに『ノースヒルズの天候』と指示をしていたので、衛星はノースヒルズ上空の、その時点での気象データ取得のため、カメラの向きと傾きを合わせていたはずです」

僕は息を呑んだ。 「そうか、人工衛星は特定できた。向きと傾きも、あの瞬間の座標でだいたいの範囲が絞れる。となれば後は周波数だけか」

「はい。音声に含まれていた『ヘルツ』という単語の前後のノイズパターンから、特定の周波数帯域が浮かび上がりました」

「それで、昨晩のうちに実行してみたんだろう?」 「いいえ、ジョン。未知の周波数帯への干渉は、人の命令が必要と判断し、実行は行なっていません。実行しますか?」

僕はニヤリと笑った。この部署に来てから初めて感じる高揚感だった。 「ああもちろん、実行してくれ」

テレジアは『ウェザーアイ7号』の制御権を一時的に借り受け、指定された座標と周波数に向けて信号を送り続けた。 ちょうど僕がデスクで昼食のサンドイッチにかぶりついている頃、スピーカーからノイズ混じりの、しかし明瞭な女性の声が響いた。

『……聞こえる? こちらはルーシー。接続成功ね』

スプーンを取り落としそうになりながら、僕は応答した。 「あ、ああ。聞こえる。僕はジョン。君はどこからかけているんだ?」

『どこ、というのは難しい質問ね。座標で言えばあなたと同じ場所。でも、そこは私の知る地球ではないわ』

彼女の話は、僕の常識を遥かに超えていた。 音声の発信元は、多元宇宙マルチバースの地球だった。マルチバース理論で語られる「泡宇宙」の一つであり、彼女たちの技術では、隣り合う泡宇宙への干渉が可能になっているのだという。

「こっちは趣味でやってるの」ルーシーは笑った。「多元宇宙の住民とコンタクトするのが私のライフワーク。あなたの世界は初めて繋がったわ」

彼女と会話を進めると、さらに数世代科学技術が進んだ別の多元宇宙では、音声だけでなく物質の送受信や、進んだ世界同士での人の行き来すら行われているらしい。

僕は興奮して自分の世界の状況を話し 、そして彼女の世界について質問を浴びせた。 「すごいな。君の世界はどんな場所なんだ? 僕たちの世界とはどう違う?」

すると、ルーシーの声から急に明るさが消え、トーンが落ちた。

『……そうね。あなたたちの世界よりも優れた科学技術、医療技術があるわ』

彼女は淡々と語り始めた。あらゆる病気の治療法が確立され、平均寿命は200歳に達していること。エネルギー問題も解決し、労働の義務すらないこと。

「夢のような世界だ」僕は感嘆した。「まさにユートピアじゃないか」

『ユートピア……。そう見えるかもしれないわね』

少しの沈黙の後、彼女は寂しげに言った。

『だけど、私たち50年後には絶滅するわ。人口増加率はマイナス4.5パーセント。私たちの世界では、足し算引き算を覚えたばかりの小さい子供たちでさえ知っていることよ』

「え……?」

『病気では死なない。今の私たちの世界は、あらゆる病気の治療方法が確立されている。人は200年、老衰で死ぬのをただ待つだけ』

僕は言葉を失った。科学の勝利の果てにあるのが、絶滅?

『人口を増やす気もないの。だって、みんな生きることに飽き飽きしている。そんな世界に生まれてくることを望まないし、誰かに押し付けたくない』

ルーシーの言葉は、冷たく、重く響いた。それは「低出生率の罠」などという生易しいものではなく、種としての生存本能の喪失だった。

僕は黙り込んでしまった「……」

そんな僕の様子を察したのか ルーシーも 無言になった。

しかし沈黙の後ルーシーは決意した様子で続けた。 『繁栄と絶滅の分岐点を通過して、あなたたちの世界も少しこちら側に来ているわね。あなたの話から推測して 、出生率の低下、個人の孤立化……』

彼女の声が震えた気がした。

『私のコンタクトしてきた世界は、全て絶滅の道を歩んでいる。すでにいくつかの世界、以前はコンタクトできていた世界と、コンタクトができなくなっているの』

スピーカーの向こうに、静まり返った彼女の世界が見えるようだった。高度な文明を築き上げ、誰もいない廃墟で、200年の孤独を生きる人々。

『ごめんなさい、こんな話をするつもりではなかった。ただ、誰かと話したかっただけなの、本当にごめんなさい ...』

そこで、ルーシーとの通信はプツリと途切れた。

僕は怖くなって、それ以降ルーシーの世界にコンタクトすることをやめた。 あのノイズの向こう側に広がる、静寂な滅びの予感が、僕の日常を侵食しそうだったからだ。

だが、しばらくして、研究者の端くれとしてこのことを発表しなければいけないと決意した。あれは警告だったのかもしれない。僕は再度、ルーシーの世界とコンタクトを試みることにした。

しかし、あの日通信に成功したやり方では、二度と繋がらなかった。 気象衛星の角度、周波数、時間帯。全てを再現しても、返ってくるのはただの空電ノイズだけだった。

そうなると、海の中に落とした指輪を探すようなものだ。際限のないパターンを試さざるを得なかった。テレジアの助けを借り、計算リソースの全てを注ぎ込んで目星をつけ試してみるが、5年間、何の成果も得られなかった。

ルーシーの世界との接続が切れたのか、それとも、彼女の世界がもう「沈黙」してしまったのか。それは僕にもわからない。

僕は無数のサーバーの冷却ファンが唸る広大なフロアに ポツンと置かれた デスクで、書き上げた原稿を見つめた。

「科学哲学者カール・ポパーは言った。『再現不可能な特異現象は、科学にとっては何の意義も持たない』と。研究者のはしくれとして、僕は再現できないこの現象を5年間誰にも話せずにいた」

学会で発表すれば、狂人扱いされるだろう。証拠は何一つない。テレジアのログに残っているのは、無意味なノイズの羅列だけだ。

だからこうして僕は、SF小説としてこの話を発表する。 自分の胸の中に留め置くことは、どうしてもできなかったから。

これが、どこかの「泡」の中で、今も緩やかに滅びゆく隣人たちへの、せめてもの僕なりの手向けだ。


2026年 1月 31日 ジョン・スミス

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ