4 天使との逢瀬
それから私とノアは、5日に1度、私がお使いで隣町に向かう際に、雑木林の木陰で会うようになった。
木陰に2人で座り、他愛のない話をするだけだったが、それはとても幸せな時間だった。
ノアは、見たことのない美味しい食べ物をいつも持って来てくれた。
それだけでなく、ノアは、銀色に輝く小さなリング型のブローチを私にくれた。同じものがノアの真っ白な服の胸に飾られていた。私は嬉しくて嬉しくて、ノアに何度もお礼を言った。
一方の私は、単なる奴隷。何も持ち合わせていない。必死に考えた私は、道すがら集めた花をプレゼントするのが精一杯だった。
「美しい花だね。本物の花……ありがとう!」
ノアはとても喜んでくれた。単なる花だ。気を遣ってくれたのだろうが、それでも私は嬉しかった。
ノアには様々な話をした。幼い頃に両親を失い、親戚に奴隷として売られたこと。酷い思いをたくさんしたこと。領主の館で働くことになったこと……ノアは、真摯に私の話を聞いてくれた。
ノアから様々な話を聞いた。ノアも幼い頃に両親を失い、苦労して「天使」になったこと。この世界に降りてきたのは、実は予期せぬ事態だったこと。当初向かう予定だった別の世界へ向かう準備をしているということ……
「もうすぐ準備が整うみたいなんだ」
そう言ったノアは、何か言おうとしたが、口をつぐんだ。
しばしの沈黙。そよ風が草花を揺らし、小鳥のさえずりが聞こえた。
「この世界は美しい。そして、君も……僕は失いたくない」
ノアが私の顔を見つめた。整った美しい顔立ちに、真剣な表情。
ノアが無言で顔を私に近づけた。私は高鳴る鼓動を感じながら目を閉じる。
ノアの優しく、柔らかく、そして温かい唇がそっと私の唇に触れた。
「今夜、この町は海に沈む。高台へ逃げるんだ」
口づけの後、ノアは真剣な表情で私にそう言うと、天使の翼を広げて舞い上がり、飛んで行ってしまった。
私は急いで領主の館に戻り、皆にその話を伝えた。
しかし、奴隷の私の言葉を誰も信じてくれなかった。馬鹿にされ、笑い者にされ、挙げ句の果てには、領主の館の牢屋に放り込まれてしまった。
† † †
夜、私はなかなか寝つけなかった。牢屋の小さな窓から夜空を見上げる。
美しい星空に浮かぶ大きな月。風ひとつない静かな夜だった。
私は、服の中に隠していたノアに貰った銀色に輝く小さなリング型のブローチを取り出し、手に握り締めた。
ノアの言葉を思い起こす。
『今夜、この町は海に沈む。高台へ逃げるんだ』
……ごめんなさい、ノア。私は誰も助けられなかった。
私の心は悲しみでいっぱいだった。しかし、その奥底に、温かい気持ちが残っていた。
この気持ちは何だろう。そう思った私は、ふいにノアの唇の感触を思い出した。
そうだ。私はノアと口づけをしたんだ。この単なる奴隷である私が……
罪悪感と後ろめたさ。しかし、それを上回る幸福感。
私は今晩命を落とすのだろう。皆を助けられなかったのは残念だけど、でも、最後に大好きな彼と触れ合うことが出来て良かった。
神様。私は幸せです……
私は牢屋の窓から夜空の月を見上げ、神に祈った。
その時、夜空の月を小さな黒い影が横切った。
不思議に思い、目を凝らしていると、その影が夜空で輝く流れ星のようになり、こちらへ近づいてきた。
「ノア!」
私は思わず声を上げた。美しく輝く大きな翼を広げた天使が、ノアが牢屋の窓のすぐ近くにまでやって来た。
ノアが白い兜を被ったまま叫んだ。
「後ろへ下がって!」
ノアの表情は切迫していた。私は大きく頷くと、急いで牢屋の中で後退りをした。