Ⅵ 中篇
白銀の魔法使いを継承していく必要から、ザヴィエン家に嫁ぐ魔女は血によって選ばれる。ホーエンツォレアン屋敷の庭で、シーナはメッサイアに訊いたそうだ。
「マキシムの奥方はもう決まっているのでしょうか」
「決まっている」
師匠の師匠メッサイアは頷いた。
「マキシムが人間界にいたせいで正式な婚儀の段取りはまだだが、あれはいい魔女だ。立派に領主夫人を務めてくれるだろう。久方ぶりに奥方を迎えることになれば、シャテル・シャリオンも往時のようにまた華やぐだろう。何故そんなことを知りたいのかな、アルフォンシーナ」
師匠の師匠にシーナは伝えた。
「マキシムに倖せになってもらいたいのです」
シーナは澄んだ眸で云った。
「マキシムがわたしとテオを倖せにしてくれたように、マキシムにも倖せになってもらいたいのです」
ああ、それならば、とメッサイアは請け合った。もうとっくの昔にマキシムは倖せになっている。
「どの魔女も、最初は悲壮感たっぷりにザヴィエン家に嫁いでくる。白銀の子どもさえ産めばよいのでしょうとばかりに女たちは暗い顔をしてシャテル・シャリオンにやって来るのだ」
そんな魔女たちは自嘲してわが身のことを『悪魔の花嫁』と呼ぶ。
「大貴族の結婚は家と家が決めることだ。多くの魔女は最初から承知の上で嫁いでくる。しかしながら、ザヴィエン家に関しては産まれる子まで、特殊だからな」
「黒金か、白銀か、偉大な魔法使いか」
「そう。黒金ならば最悪だ。かといって偉大な魔法使い、これも困る。『偉大な魔法使い』は独立独歩の御し難い変人と決まっていて、ふいと出て行ったまま戻らないことも多いのだ。白銀に生まれたマキシムなど、あれで上等な部類だ」
メッサイアは昔話を始めた。
箒と魔法の教師として城に雇われたメッサイアが最初に観た時から、マキシムは尋常ではない飛ばし方をしていたそうだ。少年は天性の飛ばし屋だった。
「呪われた血をもっているせいか幼くして既に厭世家で、自死に向かっているような走りぶりだった。トリスメギストス、パラケルススら偉大な先祖たちの名など、口にしたくもないほど家系を厭うていた」
速く、もっと速く。
「身に流れる呪いの血を振り絞り、振り切るような飛ばし方をしていた。この少年は死にたいのだ。だが違った。自滅しようとしているのではなかった。マキシムはいつか対峙するであろう黒金の魔法使いをその先に見据えて飛んでいたのだ」
怖ろしく飛ばしながら少年は精神力を培っていた。強大な敵を前にしても懼れることなく最期まで立ち向かえるように。マキシムが競技試合の中で速度の先に見ていたものは、常にその仇敵だけだった。だがそれは同時に、マキシムに敗北感を突き付けるものだった。
「白銀の魔法使いは所詮は白銀。黒金や偉大な魔法使いには、決して敵わぬのだよ」
メッサイアは残念そうに告げた。
若者は、やがて白銀の能力の上限を理解した。それでも彼は限界突破に挑み続けることを止めなかった。その挫折と敗北感は、箒の技巧が上達していくほど大きく膨らみ、無力感となってマキシム自身を蝕んでいった。
「特例枠で競技に出るなり、立て続けに弟子は重賞を獲った。『流星』『彗星』『流星群』の三冠に、『若鷲賞』『天馬杯』『カシニ間隙勲章』『十字金星』。数々の冠。そのどれもが、あの弟子にとっては勲章ではなかった。最年少で無敵を誇りながら、それは彼の誉れではなかった。七つの星冠もマキシムにとっては復讐への道標にしか過ぎなかった。優勝はただ弟子にこう告げるのだ。『こんな賞など、あの方の勇壮と高潔にはまるで値しない』とな」
「あの方」
「アルバトロスがその本性を剥き出しにして、マキシムの両親が殺された晩に、黒金の魔法使いに重傷を負わせた者がいるのだ。その者のことだ。その存在がマキシムの復讐への原動力でもあったのだろう。やったのは、おそらく魔女だ。『偉大な魔女』の血をひく魔女だ。その際の闘いで魔女は落命し、アルバトロスは生き延びた」
「メッサイアさん。メッサイアさんは危険な競技にのめりこんでいくマキシムを止めなかったのですか」
シーナの問いにメッサイアは「止めなかった」と応えた。
教師として着任したメッサイアだが、早々に相談役に退いた。箒競技においては特に教えることもなかったからだ。
「大事故か、死か。止まらぬものなどこの世にはない」
運命論者のような乱暴なことを云って、メッサイアは「あの頃の弟子の眼はまったくもって昏かった」と感慨深く回想してみせた。
「少しは若者らしく遊んで来いと魔都の学寮にも入れてみたのだがあまり変わらなかった。身心を擦り切れさせた弟子の内面には、呪われた血脈への嫌悪感と深い悔いが巣くっていた。自分を庇って魔女が死んだ。おそらくマキシムはそう想っていたのだろう」
メッサイアは、顎の下で手を組んだ。
「二人の棄子と出逢わなければ、マキシムの精神の方が先に壊れていただろう。強い意志を持っていたとしてもあのままでは廃人になっていただろう」
それはまったくの偶然にしか過ぎなかった。海辺にいた棄子の魔女。マキシムはその魔女を拾うことを選んだ。後には路上から男の子も拾った。
「それまでずっと殺伐としていたからな」
両親を殺された孤独な若者が二人の幼子をその翼に入れたことを知ったメッサイアは歓んだ。棄子を連れて人間界で暮らすことを選んだマキシムは親族から猛反対を受けたが、そのマキシムに代り、メッサイアは領主代行を引き受けた。
「いずれは呪われた家を継ぐことが避けられない男に、牧歌的な想い出があることは悪くない。そう想ったから領主代行を引き受けたのだ」
「辺境の邑での暮らしは、穏やかなものでした」
シーナは如雨露に入れた花束を見詰めながら云った。
「わたしたちを育てる為に、七剣聖は競技から引退したのではないかと、ずっとわたしは負い目に想っていました」
「そのとおり」
シーナの問いにメッサイアは即答した。
「だがそれは犠牲ではない。負い目に想う必要などまったくない。弟子に云ったからな。棄子に責任を取れるのか。お前にもし何かあれば、あの棄子たちはどうなるのだと。マキシムはマキシムで、『冠』の獲得には何の執着もなかった。七冠を得た男が若くして箒競技から忽然と引退した理由など、巷の人たちが考えているよりもずっと素朴で単純だ。彼はただ、他に大切なものを見つけただけなのだ」
メッサイアはシーナの手に手を重ねた。
「お嬢さんとあそこにいる元気な若者の為にマキシムは箒競技を辞めた。それはマキシムにとっては大変に良いことだったのだよ」
君たちの眼を通して、弟子は飛行の楽しさと空が青いことを、ようやく想い出したのだ。
見渡す限り何もない。氷原の上には極光が揺れている。血管に包まれた心臓のような巨大な繭を前に、俺は師匠に並んで立ち尽くしていた。
黒金の魔法使いの姿は見当たらない。繭の中にハンスエリを入れた後は、立ち去ったようだ。
上は。繭の上部はどうなっているんだ。
箒で飛んで空の上から様子をうかがってみると、卵型の揺りかごの上部分には茨の柵はなく、硝子の蓋が水平に嵌っている。月明りを映す蓋は凍った湖のように見えた。
「魔法では開かない」
既に試したのだろう。師匠は首を振った。
「中に赤子を入れた者にしか開けられないようになっている」
翼ある魔人の揺りかご。魔法をはねつける揺りかごにはさらに怖ろしい仕掛けがあった。繭を何重にも包んでいる網目状の茨。外皮にあたるその茨は、触れたものを焼き焦がす灼熱の熱線なのだそうだ。側面からの侵入を試みたとしても柵が障害となる上に、すぐに発火して、燃え上がってしまう。
「中にいるハンスエリは無事だ」
赤子をいれた舟は蔓の絡まる繭の中で静かに浮いている。外からは点くらいの大きさにしか見えない。
「養分をもらいながら眠っている。だが救出は急がなければならない。あの舟の中ではすでに黒金の子になるように、洗脳が始まっているからだ」
「なんだって」
「アルバトロスがハンスエリを魔人の揺りかごに入れたのはそれが目的だ。この繭の中では、赤子を中に入れた者の性質が、そのまま子どもの性質に反映される」
「白銀の魔法使いを呼んで来よう、マキシム」
俺は狼狽えて云った。
「二十二人いればいいんだろ。白銀の魔法使いを集めて、アルバトロスを斃せば、この繭も開くんだろう」
「それが分かっているから、アルバトロスはこの地には既にいない」
云い終えた師匠が空を仰いだ。俺は師匠から眼を逸らさないようにした。俺が来るまでの間、ありとあらゆる方法で繭を壊そうと試みた師匠は血だらけになっていた。
「師匠、その腕」
マキシムの手首は骨まで傷んでいるようだった。マキシムは黙って、無事な方の手で上から下に指先を動かした。魔法では開かない繭の硝子蓋を物理的に破壊しようとして、師匠は箒ごと繭の上蓋に体当たりを繰り返したのだ。
「ねえ師匠。もしこのままハンスエリが取り出せなくて黒金の魔法使いが二人になってしまっても、アロイスがやっつけてくれるんじゃないかな」
生唾を呑み込んで俺は云ってみたが、口に出してから後悔した。ハンスエリが黒金の魔法使いになったら、ルクレツィアさんがどれほど哀しむか。
さらにはそのアロイスも、全面的には頼みにはならないのだと師匠は云った。ザヴィエン家の人間だけあって師匠は事情に明るかった。
「偉大な魔法使いはやること為すこと、理解を超えている。皇帝の命令もまるで通じない」
魔法使いと巨人族が戦争になったはるか昔。助太刀を頼んで偉大な魔法使いを戦場に連れて来たはいいものの、偉大な魔法使いは気が進まないと云い捨てて、戦場から回れ右をして帰ってしまったそうだ。
「なにその役立たず」俺は呻いた。
肝心な時に力を使わずして何が偉大な魔法使いなんだよ。
「彼らは魔力の行使について熟考し、億年単位ではるか先のことまで読んで行動するために、その行動は常人の理解の及ぶところではない。ハンスエリが黒金の魔法使いになってしまえば、ハンスエリを護る目的でアロイスが黒金の魔法使いの側に与する可能性も十分に考えられる」
俺は頭を抱えた。
「でも、いないよりはましだろ。今ブラシウスが探してる。見つかり次第、ブラシウスがアロイスをここに連れて来てくれるはずだ」
俺は師匠を手近な岩に休ませた。
この氷原と外の時間の流れは違うとメッサイアは云っていた。僅かばかりだがずれているそうだ。こうしている間にもあの繭の中では、アルバトロスの影響でハンスエリの黒金化が進んでいるのかもしれない。
夜空には月とは別に、銀色の丸が浮いている。鋼鉄の回廊の空間の出口だ。扉は城門ほどの大きさがあったのに、出口はずっと小さい。
その回廊に誰かがいる。その気配がある。ブラシウスだろうか。
俺が振り仰ぐよりも早く、師匠が動いていた。師匠は傷ついた身体で空に舞い、片手で箒を操って鋼鉄の扉に飛び込むと、しばらくしてシーナを連れて戻ってきた。扉の開閉速度はこちらから抜け出る側が最も速いのだが、師匠には何の障りにもならないようだ。
「シーナ」
急いで俺は師匠の箒からシーナを受け取った。シーナは自分の箒を抱えて二人乗りをしていた師匠の箒から降りて来た。
「マキシムが傷ついて怪我を負っている気がしたの」
危機を予感した魔女のシーナは居ても立ってもいられずに魔都に飛んで、運河を頼りに巨人像に辿り着き、楯の鏡から回廊に入ってみたのだが、奥に進むにつれて扉の閉まる速度があまりにも速くなり、通路の途中で躊躇して立ち竦んでいたのだ。
「テオは大丈夫」
「俺は平気」
俺が知り得たことを話している間、シーナはマキシムのクラヴァットを借り受け、地面に落ちていた木片を添え木の代わりにして師匠の手首を固定した。
「ハンスエリはあそこね」
マキシムの手当を終えたシーナは立ち上がり、揺りかごに向き合った。魔女の眼線は繭の全体を捉えていた。閉じ込められたハンスエリは中央に浮いている。シーナは地面に置いていた箒を手に取った。巨大な繭玉を魔女は睨んでいた。
「わたしなら入れるわ」
止める間もなかった。魔女の箒が浮き上がり、揺りかごを包む網目に向かって小鳥のようにシーナは飛んでいった。
魔女は迷わなかった。網目状の茨の中にシーナの箒が入っていく。シーナの箒の先がすぐに火花を上げた。焔が噴き上がる。
シーナ!
「駄目だテオ。救けに入っても死ぬだけだ」
球体の中に入ったシーナはもう引き返すことも出来ない。戻ろうとしても方向を変えるだけの空間がないのだ。触れたものを全て焼き焦がす茨の繁みの中を、神経を削りながら、箒を操って前に進むしかない。
魔女は身を低くして繭玉の中を箒と共に進んで行った。『針山を抜ける銀の糸』その技巧で、魔線の林を抜け、潰した銅線の塊のような迷路をすり抜けていく。
青白い火花が散るたびに俺は髪の毛を逆立てて叫んでいた。幾ら男よりも小柄で箒も小さいとはいえ、細心の注意を払ってもどこかには触れてしまう。シーナの脚先が熱線に触れ、髪の毛が触れ、箒に火がついた。痛みでシーナの箒が揺れ動く。箒が傾いた先で接触を起こし、連続してばちばちと発火した。溶鉱炉の中で高熱の火花が散る。箒の動きが止まる。火炎地獄の中で焼けながらシーナは箒に縋り付いていた。魔女が呻いている。
「シーナ、シーナ」
怖ろしくて眼を閉じてしまいたいのに、眼を逸らすことも閉ざすことも出来なかった。火刑台の魔女のようにシーナが燃えている。
気も狂わんばかりの時間があるとすればその時がそうだった。師匠が俺を掴んでいなければ俺はどうにかなっていた。頭を地面に打ち付けて狂っていた。そのくらい怖ろしい刻だった。シーナの姿が焔に包まれている。シーナが焼け死んでしまう。
「大丈夫だ、テオ」
師匠が強張った声でよく見るようにと俺の肩をゆすった。
シーナは全身に自ら不燃の魔法をかけていた。今にも火だるまになるかに見えて、焔は順番に下に落ちていた。かつて子どもを抱いて空中馬車から跳び下りたジュヌビエーブさんのように魔法で身を護っていた。火は発火はしても燃え広がらず、焔に包まれていたが、皮膚一枚のところで無事だった。
魔女はやり遂げていた。箒と髪を焼きながらも、シーナは熱さに耐えて灼熱の地雷を突破していた。
「シーナ」
迷路を抜け出たシーナは卵の中に到達していた。シーナは身体についた火や煤を払い落した。咳き込んでいたが少しも休憩しなかった。魔女の箒が繭の中を上昇する。揺りかごを上下に分けている円盤の床に箒が届く。シーナが箒から降りた。蔦で出来た舟の中にいる赤子に向かって歩いていく。吊るされているハンスエリにシーナの手が伸びた。もう少し。
シーナ頑張れ。
俺は喘いだ。
シーナ。
珊瑚の森からあぶくを掬い上げるようにして眠っているハンスエリをシーナは抱き上げた。ハンスエリがシーナの腕に抱かれる。そして眠る赤子を片腕に抱いたシーナは円盤の中央に立ち、揺りかごの真上を仰いだ。そうだ、シーナ。魔人の赤子は大きくなったら翼を広げて自力でそこから外に出てくるのだ。内側からならきっとその天井を破れる。
シーナが硝子の蓋を睨み上げている。魔法杖をシーナが天井に向けた。
魔女の背後に男の影が現れた。男の影は魔法杖を握るシーナの腕を抑えた。俺たちには入ることの出来ない繭の中にそれは現れた。
「逢いに来てくれたのか、花嫁」
その笑い声を俺たちは聴いた。
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