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魔女とりんごの花  作者: 朝吹
Ⅴ.悪魔の花嫁

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Ⅴ 幕間


 『それ』に気づいたのは、いつだったのか。

 級友マキシムの背に時折、薄い色の光が揺れていることがあったのだ。それはちょうど、眼を閉じた時に瞼の裏に視る、太陽光の残像のような影だ。彼は気づいているのだろうか。

 直接マキシムに訊いた。

「ああ」

 マキシムは昏い顔で頷いた。どちらともとれる返答だった。そして彼は同じ寮生であるわたしを眺めた。入寮の儀式からひと月も経っていない頃のことで、同級生を認識していなくともそれは構わないのだが、マキシムの眼はわたしを見ているようで見ていないのが気になった。視力が悪いのだろうか。

 冠を手にしている箒乗りの眼が悪いなど、ありえないことだ。しかしそのせいで視力が落ちているということも考えられる。

 夢から覚めたような顔をして、マキシムはわたしに訊いた。

「失礼。名は」

「コルビューロ・デュ・ルッジェーロ」

 差し出したわたしの手を握った後、マキシムはぼそりと呟いた。

「君が視たものは幽霊だ」

「幽霊」

「諦めてそのうちに消える」

 諦めるとは何を。

 意外にもマキシムは、そこで少し微笑んだ。悪かった、と云ったのだ。

「入寮してすぐに遠征試合が続いて、寮生の名をまだ全員憶えていない」

「いいんだ。そうだ、優勝おめでとう」

 君の名を知らない者など、学校中を探してもいないだろう。

 列柱回廊の向こうから彼を呼ぶ声がした。あれはホーエンツォレアン子爵だ。朗らかに「マキシム」とベルナルディが呼ぶのへ、マキシムは片手を挙げて応えた。

「コルビューロ。では」

 中庭を横切って立ち去る彼の背に、わたしはやはり、名状しがたい何かを目撃した。本当になんだろう、あの光は。明るいものではなく人魂のように、ひどく暗い。弟のパキケファロに、このことを絵入りの手紙にしてやろう。弟のパキケファロはまだ幼いが、大人と変わりなく文字を読めるし、ふしぎな話が大好きだから。

 

「挨拶程度の言葉しか交わしたことがないだと」

 学寮の二人部屋で親友のベルナルディが咎めるような声をあげたのは先日のことだ。

「闘技場に行くのは箒競技を観に行くためじゃない。もちろん君の試合はちゃんと観るが」

 鏡の前で何度もベルナルディはクラヴァットを結び直していた。

「あの人に逢えるからだ。もちろんあちらはこちらのことなど眼にも留めてはいないだろうが、彼女の姿を見るだけでいい。頼むぞマキシム。お近づきになるには君が頼りだ」

 目下ベルナルディが熱を上げているヘタイラ。そのヘタイラが、傷だらけになって暗闇の中から這ってきた。確か、ルクレツィアといった。

 愕いて駈け寄ると、伸ばした腕の中に魔女は倒れてきた。

「マキシム」

「ルクレツィア」

「助けて、マキシム」

 学生たちの憧れのヘタイラ。『耀けるルクレツィア』。闘技場の表彰台で彼女から冠を授けてもらったことがある。舞踏会では踊りを申し込む男たちが列をなし、常に貴人に囲まれている美しいアスパシア。そのまなざしが何かを云いたげに、音楽と円舞の向こうからこちらを見ている。

 そのヘタイラが裂かれた鳥のようになってひと気のない冬の宮殿の隅に投げ出されていた。その手には折れた魔法杖を持っている。

 抗い、最後まで闘ったのだ。力尽きてはいても魔女はまだ魔法杖を強く握りしめていた。

「呼び止められたの」

 血の気の失せた指を無理やりほどき魔法杖を取り上げると、がくがくと震えながらルクレツィアは支える腕にしがみ付いてきた。

「二人いて、交互に、わたし、抵抗したのだけれど」

「医者を呼ぼう」

「駄目」

 魔都の朝焼け。雲があかく燃えていた。列柱の影が筋状に廊下に延び、空には不吉な鳥の影。夜明けの冷たい風が吹く。

「来ないで」

 突然、悲鳴を上げて顔を覆い、魔女は気を失った。空気が揺れて庭の樹々が一斉に片方に傾く。薄暗い廊下の突き当りから冷気の塊がこちらに向かってやって来る。魔犬のような何か。

 ルクレツィアを背に庇い魔法杖を揮った。放った光は襲い掛かってきた何かに当たり、四散した。轟々と風が渦をまく。

 腕が伸びてきた。可視化はしていなくともそれは腕だと分かった。影の塊がルクレツィアを攫おうとする。魔法杖でそれも跳ね除けた。

 花嫁を渡せ。

 揺れ動く影が吼えた。地の底から響くような声だった。

「去れ」

 魔法で押し戻すと、薄影は愕いたようだった。やがて何かを得心したように嗤った。

 そうか、お前はザヴィエン家の生き残りだ。白銀しろがねの魔法使いだ。

 一本の円柱が砕け、庭の水盤の水が飛び散った。立ち去る声は嗤いながら高らかに告げた。

 ――月満ちるまでその魔女を大切にせよ、白銀。

 柱から柱へと渡っていく箒の影。

 ――その女の胎で芽吹くものは、黒金くろがねの王となるだろう。


 ルクレツィアを連れて魔都に戻ったのは、一年後だった。空が青かった。魔女は俯いて声をふるわせた。マキシム、無理よ。

「貴方は全て知っているわ。何があったのかを」

「君は勇敢な魔女だ」

「こんなことは良くないわ」

「ベルナルディの許に行くんだ、ルクレツィア」

「彼はいい人よ。だからこそ」

「だからこそだ」

 振り返る女の眼が訴えていた。マキシム。

 駄目だ。

 こちらも眼で応えた。全てを忘れて君はあの男の許に行くんだ。ベルナルディなら安心だ。わたしの親友に君を預ける。

 ベルナルディが大きく手を振って魔女の名を呼んでいる。光の中で。

「ルクレツィア!」

 素晴らしい勝利へ祝福を。

 冠を授けた君の白い腕。花冠。闘技場の大歓声も君の前では全てが消えた。愛しいディオティマ。

 ベルナルディなら君を倖せにしてくれるだろう。



》中篇(下)

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