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魔女とりんごの花  作者: 朝吹
Ⅳ.彼は偉大な魔法使い

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Ⅳ 前篇(下)

 

 べつにいいじゃないか、あの二人が昔、恋人同士でも。

 あの二人というのは師匠とルクレツィアさんのことだ。俺はそのまま口に出してシーナにそう云いそうになった。

 だってルクレツィアさんは、ヘタイラだよ。

 喉元まで出かかっていた言葉を、さらに呑み込んだ。危なかった。云ったら藪蛇になりそうだ。

 師匠とヘタイラ・ルクレツィアがかつて恋人同士であっても俺はふしぎにも想わない。とてもお似合いだし、しっくりくる。それに、こんな話をしたらシーナや他の女の子は怒ってしまうだろうけど、美人の代名詞のヘタイラに気に入られて嬉しくない男なんていないよ多分。舞い上がるよ、俺だったら。

「シーナ、そろそろ俺、行かないと」

「もうそんな時間」

 今から俺はルクレツィアさんのお見舞いに行くのだ。シーナは急いで庭から花を摘んできて、用意していたお見舞いの品を籠に詰めはじめた。

「今晩は向こうに泊まるのかしら」

「そうなると想う」

 シーナから籠を受け取った。

 師匠は留守だ。だから本当はシーナも一緒に来て欲しいのに、シーナは水晶の風車がある限りは大丈夫だと云って譲らない。

 箒の先に籠をぶら下げた。籠の中にはシーナが編んだ赤子の靴下や帽子が入っている。

「ルクレツィアさんがきっと歓ぶよ」

 今のところ子爵家とこちらを行き来しているけど、本来の俺の家は、もうあちらのお屋敷なのだ。師匠からして領地と邑を往復していて留守がちだ。

 水晶の風車の結界はなかなかに強力で、三回に一回は別に何の問題もない手紙や客人を跳ね飛ばしてしまっている。頼りにはなるけれど、こういう時、シーナには頼れる者がほとんどいないことに気づいてしまう。シェラ・マドレ卿じゃ駄目だしな。

 シーナが俺を呼び止めた。その眼が怖い。

「忘れずに確かめて来てね。テオ」

「きれいなお花だね、シーナ」

「アロイスはマキシムに似ているわ」

「戸締りはちゃんとするんだよ」

「アロイス少年は、マキシムとルクレツィアの」

「行ってきます」

 叫ぶように云うと、俺は箒に乗って空に飛び立った。そんな話、それでなくとも衰弱しているルクレツィアさんに訊いたりなんか出来ないよ。片や師匠の方はといえば、質問拒否の態度があからさまでこちらも踏み込めない。

 ルクレツィアさんが失踪した後、師匠は師匠で、ベルナルディとはまた別の途から独自に彼女を探していたそうだ。親友の恋人だからというだけではない感情がそこにあるのなら、余計に迂闊に立ち入れない。

 赤子を連れて戻ってきたヘタイラ・ルクレツィア。そして霧の夜に魔都で出逢ったもう一人のヘタイラ・アスパシア・ディオティマ。

 エリーゼ・ルサージュ。

 エリーゼのことは、アルフォンシーナにはしばらく秘密だ。もしかしたら永遠に秘密だ。既に彼女からデートに誘われてるなんて、末代まで隠蔽だ。


 もう一度エリーゼに逢いたい。


 その希いが想わぬかたちで叶ったのは、未成年部門の箒競技に俺が出走した、先日のことだった。

「無理するなよ。競技に慣れるのが目的だからな」

 ホーエンツォレアン家の養子となって身分が子爵になった俺は、箒競技に出場できる無条件資格を得て、晴れて初の競技に挑んだのだ。どの競技に出るかはブラシウスが選んでくれた。手ならしなので、ほぼ観客のいない地方大会だ。だけど、競技場が広々として具合がよく、有力選手が軽く流しに来るので腕試しには丁度よいとのことだった。

 義兄のべルナルディは蒼くなっていた。

「マキシムの時はこれほど心配しなかったのだが」

 俺の本気の飛ばしをベルナルディはまだ一度も観たことがないから不安なのだ。俺はベルナルディに元気よく云った。

「心配いらないよベルナルディ。俺はマキシムの直弟子の箒乗りだよ」

「ある意味、それも怖い」

 師匠の現役時代の記憶が甦るのか、ベルナルディの顔は怯えてすらいた。

 そんな様子だから、べつに観に来なくてもいいと云ったのだが、ルクレツィアさんがそれに反対した。

 テオが初めて飛翔するのよ。兄として是非、観に行ってあげて。

 さらにルクレツィアさんはベルナルディに頼んだ。

 ずっと私たちに付き添ってくれているアロイスにも、外で気晴らしをさせてあげて欲しいの。

 アロイスとは、例の、円形闘技場にベルナルディを探しに来た少年の名だ。

「アロイスは何処」

 競技場で俺は探した。

「一緒に来て、先刻まで此処にいたんだが」

 ベルナルディも辺りを見廻した。アロイスは、あまり箒競技には興味がないのかもしれない。

 赤子と一緒に帰ってきたルクレツィアさんは産後の肥立ちが悪く、べルナルディの許に引き取られてからも、一時は本当に危ないところまでいったのだ。完璧な医療体制を敷いたベルナルディの懸命な看護のお蔭で持ち直し、今はかなり恢復して、母子ともに子爵家の母屋敷のすぐ近くの瀟洒な館で静養中だ。ベルナルディはそちらにばかり気をとられてしまい、そのお蔭で、アロイスの容貌に薄くある師匠との類似性についてはまだまったく気づいていないようだった。

 地方大会ということもあって観覧席はほとんど人がいない。競技場は地平線まで続いているような気がするほど広くて、気持ちよく飛ばせそうだった。

「テオ」

「師匠」

 師匠に呼ばれた俺は箒ですいっとそちらへ行った。隣りにはシーナもいる。普段は質素な恰好で邑で暮らしているシーナだが、よそ行きのドレスを着て、天鵞絨の青い外套を身に着けた様子は、小公女のようだった。

 観覧席の柵に腕を乗せた師匠は、どこか懐かしそうに競技場を眺めていた。

「師匠。俺、頑張るよ」

「テオ。軽く流して、戻っておいで」

「うん、無理はしないよ。競技は初めてだからね」

 そこは散々、ブラシウスからも注意されたところだ。不慣れなままで突っ込むと、事故のほうが怖いのだ。

 選手を呼ぶ鐘が鳴った。シーナが心配そうに俺を見た。

「怪我はしないでね、テオ」

「じゃあ行ってくるよ」

 手を振って二人に挨拶すると、俺は出発地点に箒で飛んで行った。全てがあっという間だった。決められた線に沿って楕円形の競技場を十周する単純な個人戦なのだが、途中の交差区域で内側と外側の選手が入れ替わる。注意することといえば、交差区域でもし横並びになれば、外側が下から入り、内側は上から外に出て入れ替わらなければならないということくらいだ。

 多少の駈け引きはあるものの、そんなことを気にしなくてもいいくらい、俺の方がぶっちぎって先頭を飛んでいた。そう想ったのは途中までで、対戦相手のカルロスはきちんと試合運びを計算していたらしい。

 内側から外側に移動しようとした俺はぎくりとした。いつの間にか遅れていたはずのがカルロス背後につけている。

 そういえば、さっきからずっとブラシウスが「迫ってるぞ」と叫んでいた。横並びになっているわけではないので俺は下から外に出たが、追いついて来たカルロスも下から内に入れ替わってきた。それぞれの箒の尾と先端がすれすれに掠める。すれ違った衝撃で箒に痺れが走った。あと三周。

 そこで俺は本気を出した。景色が飛び過ぎる。内側と外側の次の入れ替わりは俺が先をいった。あと二周。師匠の言葉が脳裏をよぎる。

 ――恐怖心を忘れた者よりも、恐怖の手綱を握り、最期まで恐怖に挑み続ける者が勝つ。

 風で耳が鳴る。人間と違い、魔法使いは高速で飛んでも風圧で眼球をやられたりはしないが、まったく痛くないわけではないのだ。

 ふっと周囲が白く見えた。

 試合終了の鐘が鳴っている。どうやら勝ったみたい。

 減速するために、内側の小さな楕円を一周まわって戻ってくると、ブラシウスが笑顔と拍手で迎えてくれた。

「対戦相手のカルロスはいずれ『冠』を獲るだろうと云われている選手だ。競り合うとは想っていたが、勝ったのは大健闘だ、テオ」

 俺は放心していたが、歩み寄ってきたカルロスと握手して、「おめでとう」と云われてようやく嬉しくなってきた。

 カルロスは俺の横にいるブラシウスに気づいた。

「ブラシウス、来てたのか」

「テオの付添いでね」

 それを聴いたカルロスは悔しそうに云った。

「油断した。ブラシウスが付き人になっていると事前に知っていたら、少しは新人を警戒して最初から本気を出したのに」

 そして俺を見た。

「こちらのテオも君と同じ、先行逃げ切り型の騎手かな」

「そうじゃないか? どうだ、テオ」

「さあ」

 分からないよ。初めて出走したんだから。それよりも、もっと競技に出てみたい。もっと沢山、いろんな箒競技に。

 毎月のように開催されている地方大会だから大げさな表彰なども何もなく、主催者に呼ばれて記念品をもらったくらいだったが、俺は嬉しかった。そこに鳩が飛んできた。

 俺の肩に舞い降りてきた白鳩の脚に手紙が結ばれている。手紙を開いて、俺の歓喜は頂点を迎えた。

 

 『一等おめでとう。逢いたいわ。エリーゼ・R』


 アルフォンシーナとは別に、エリーゼ・ルサージュにも俺は惹かれてる。だってヘタイラだよ。ヘタイラとはあのヘタイラだよ。しつこく云うけど。

 全ての魔法使いの憧れの的の魔女から誘われているのに、冷たく断るなんてことはしたくないよ。それにシーナだって、ブラシウスとそこそこ仲がいいじゃないか。俺の知らないうちにシェラ・マドレ卿と馬車で遠乗りに行ったことだってある。こんなのは、おあいこだよ。

「小柄だな」

「あんな騎手いたかな」

 ブラシウスとカルロスが後ろで何か云っている。エリーゼ・ルサージュに心が持っていかれていた俺は、二人が大声を上げたことで、ようやく振り向いた。

「なんだあれは!」

 個人競技が終わった後、競技場では団体競技が始まっていた。大勢の箒乗りが一斉に踏み切り、巨大な楕円形を描いて回っている。しかしブラシウスとカルロスは彼らを見ているのではなかった。その外側、つまり騎手が飛んでいる競技場の、外枠を見ていた。

 屋外競技ではたまに野次馬が選手に合わせて回っていたりするが、追いつけるものではないのですぐに脱落する。最初はその手の野次馬に見えた。その騎手は選手たちが回っている競技場と観客席を分ける柵に沿って飛んでいた。

 小さな箒であり小柄な騎手だ。しかし目立つのは彼の体格ではなかった。

「すごいぞ」

 俺たちは叫び声を上げた。競技場を飛んでいる選手たちの先頭集団と並び、その箒は高速で外周を飛翔しているのだ。

「大外枠だぞ。なのに、先頭に追いついてる」

「速い」

「アロイス」俺は叫んだ。

「ブラシウス、あれはアロイスだ」

「なんだって」

 信じられない想いで俺は少年騎手を眺めていた。アロイスは周回遅れで踏み切ったのだろうか。

「違う、俺たちが二人とも見ていた。出発は同時だった」

 俺とブラシウスとカルロスは口を開いて、飛び過ぎるアロイスを眼で追った。

「飛距離の差をものともしていない」

「このまま最後まで持つかな」

 しかし俺たちはそれを知ることはなかった。走ってきた師匠が片手をついて柵をひらりと乗り越えると、近くにいた場内係員から箒を奪い取り、これまたものすごい初動速度で飛び出して、アロイスを追走したからだ。

 一気に追いついた師匠は厳しい態度で少年に何かを云った。アロイスは箒の速度を落とした。

「明確な違反行為だからな」

「しかし凄いな。少年も凄いが、あれが七剣聖の飛ばしか。見ろよ、二人が並んだ時の勢いで鉄柵の一部が浮き上がって倒れてる」

 アロイスは師匠の先導で競技場の空に一度あがり、そこで勢いを落としてから、俺たちの許に二人揃って降りてきた。

 アロイスを探していたベルナルディが駈けつけた。

「アロイス、危険なことを。あれは違反だ。選手の気が散るからよくないことだ」

「すみません」

「怪我はないか」

 子ども用の粗末な箒を手にアロイスは項垂れた。

「誰でも参加して良いものなのかと。大勢の魔法使いが出ていたので」

 まったく競技のことを知らないのだ。最初に野次馬が走り出したので、その流れで彼も飛んでみたのだろう。

「どこの田舎者?」

 カルロスがブラシウスに囁いた。

 そんなカルロスも、係員に箒を返して戻って来た師匠の姿を見ると姿勢を正した。

「七剣聖。ここでお逢いできるとは」

「惜しかったね」

 俺との勝負のことを云っているのだ。師匠に声をかけられたカルロスは顔をあからめた。

「恥かしいところを見られてしまいました。次は負けません」

「テオは侯爵の直弟子なんだ」

 ブラシウスが教えると、カルロスはとても愕いた。

「なんて贅沢な。しかし彼の箒は、見送る者の膚が切れて血が噴き出すようだと云われた貴方の筋とはまた違うように見えましたが」

 俺は口を挟んだ。

「『鮮血のマキシム』だろ。姉弟子のシーナの方が師匠に似てるよ。シーナは魔女だから、そんなに飛ばしはしないけど」

「七剣聖。わたしの疾走をご覧になられて、何か教えていただけることはありませんか」

「君の教師は」マキシムがカルロスに訊いた。

 カルロスは胸を張って応えた。その名を知っているのか、マキシムは頷いた。

「それならば彼に任せておけばいい」

 その後はマキシムを囲んで、しばらく箒競技の話題で花が咲いた。

 生真面目な性格のアロイス少年は今のことで落ち込んでいるようだったが、ベルナルディに励まされて、ベルナルディと一緒に先にホーエンツォレアン屋敷に帰って行った。

「テオ。アロイスは」

 男たちの話に退屈していたシーナが俺に訊いた。もう帰ったと告げると、

「あらためてアロイスを観察したけれど、やっぱりマキシムとは他人とは想えないの」

 アルフォンシーナは可愛い顔をしかめた。



》中篇(上)

 

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