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魔女とりんごの花  作者: 朝吹
Ⅲ.『二人乗り』とは

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Ⅲ 後篇(上)


 円形闘技場で『オケアヌスの槍』競技を観て、印象的な少年に逢った、その同じ夕べのことだった。夕方から魔都には濃い霧が立ち込めた。時々こうなるのだそうだ。運河の上にも刷毛で撫ぜるような白い靄が立ち昇っている。

 俺は間近で競技観戦をした昂奮を鎮めるために散歩をしたい気分になって、友だちと別れた後はまっすぐホテルに帰ることを止め、箒で適当に夕暮れの魔都の上を流して飛んでいた。こんな天候の日はみんなすぐに帰宅してしまうのか、ひとけがなく、でたらめな飛行をするのには丁度いい。

「ねえ師匠、魔都の競技観戦に招待されたんだけど行って来てもいいかな。その試合にブラシウスが出るんだって」

 師匠に訊いた時、「ベルナルディの許可が出たら」と返された。俺は「何だよそれ」とわざと声を上げて抗議した。最近はそのことで不満が溜まっていた。

「子爵家の養子になったからといって今までと同じようにこの家で暮らしているんだから保護者代表は師匠でいいじゃないか、わざわざめんどくさい」

 返事の代わりに、紙と羽根つきの筆を渡された。領主のせいか公私混同について師匠は厳しい。俺はしぶしぶベルナルディに伝書鴉を送って、魔都旅行の許可をもらった。ベルナルディが手配してくれた俺の泊まるホテルは老舗の一つで、最初に観た時はベルヴェデーレ宮殿かと想うほど外観が似ていた。こんなに沢山いらないよというほど、ベルナルディは潤沢なお小遣いをくれたが、使い途がない。予備の箒でも買おうかな。

 俺がベルナルディの屋敷に引っ越さない理由は、師匠とシーナが二人きりで暮らすというのは、さすがに嫁入り前のシーナにとっても師匠にとっても外聞憚られるというか、何を云われるか分からないからだよ。

「時間の問題だろ」

 邑の仲間はその問題について、厳しく指摘した。

「お前たちも、もう子どもじゃないんだから。その同居、人間の眼から見てもかなりおかしいぞ」

 そうなのかな。

「テオがベルナルディの屋敷に行くのならば、その時は、アルフォンシーナはティアティアーナ伯爵未亡人に預かってもらうことになる」

 師匠から問われた時は、俺だけでなく、背後でシーナもぶんぶんと首を横に振った。一緒にいたいよ師匠。

 今だって俺がこちらに来ている時にはシーナと師匠は家の中で二人きりなんだけど、あの二人は似た者同士というか、俺とはまるで違って何かにつけても、しらーっとしてるからな。俺よりも付き合いが長いという理由だけでなく、シーナと師匠はもっと深いところでお互いを理解しているような感じがする。

 海辺で棄子のシーナを見かけた師匠は、数日放置していた後に、やはり拾うことにしたのだそうだ。なぜ侯爵家の嫡男であるマキシムがそんな寂れた寒村にいたのかは師匠に直接訊いたことがないから分からない。


 魔都は水晶の高い塔と、旧時代の重厚な建物で構成されている。羅馬要塞のようなものもあれば、バロック様式もルネサンス様式もあり、ふしぎなくらいそれらが整然として調和していた。

 『オケアヌスの槍』観戦中の休憩時間に、ツォレルン侯爵夫人ジュヌビエーブさんから三男バルトロメウスの態度についてのお詫びの紙片が届けられた。晩餐に誘ってくれたけれど、俺は断った。何しろその席には俺を睨んでいるバルトロメウスがいるからさ。

 田舎者の病原菌あつかいされたけど、ブラシウスから彼の過去を聴いた後では、バルトロメウスのあの過剰警戒ぶりについて怒る気もしなかった。師匠とは雰囲気がまた違うけど、見た目は侯爵家の貴公子然としているわりにバルトロメウスも意外とやることは遠慮がないかもしれない。

 シーナの嫁ぎ先としては侯爵家なんて願ってもない名家だよな。ブラシウスの兄だし、もう少し話をしてみたらきっといい奴なんだろう。いい奴でも困るんだけどさ。

 シーナの考えていることは分からない。師匠があちらへと云ったら、そうですかと素直に云われた家へ嫁ぎそうな気もするし、「分かったわ」と云っておきながら翌朝、家出して姿をかき消している可能性だっておおいにある。どんな魔女でも魔女のやることは男には理解不能だ。

 学校のことは、どうしよう。

 分厚い霧の向こうに太陽が沈んでいくところだった。そこだけがまだ明るくて紙に落とした果汁の滲みのようになっている。地平線に太陽が落ちればすぐに真っ暗になるだろう。

 師匠に連れられて魔都に来たあの日を境に、俺の交際範囲は一気に広がってしまって、毎日がせわしない。

「学校に来いよテオ」

 みんな誘ってくれるのだ。

「魔都には五つくらい学校があって、貴族ならみんな通ってる。子爵家の子になったのならいつでも入学できる。ほとんどが寮生だ。君も魔都に来いよテオ」

「テオなら大丈夫だと想っていたわ」

 毎日のように届くいろんなお誘いの手紙や、友だちが送ってくれる魔都発行の新聞や雑誌に埋もれていく俺に向かってシーナは云った。

「すぐに友だちが出来ると想っていたわ。テオなら棄子の負い目など跳ね除けて貴族の子弟とも対等にやっていけるわ。だからマキシムもあなたを魔都に連れて行ったのよ」

 どうなんだろう。

 理由として、一つには、ブラシウスが俺の友だちになってくれたことが大きい。悪い云い方をするなら『冠』ブラシウスにぶら下がりたい連中が、俺にも媚びるようになったからだ。それから何といっても養子縁組だろう。本来、棄子は貴人から疎んじられて見下げられるものなのだが、ベルナルディ子爵の弟になったことで、おかしな風評が広がらなかったのだ。

 風評とはこういうことだ。もともと俺とシーナは、選帝侯マキシムの養い子だった時から、『訳あり』と見做されていたらしいのだ。つまり、出生に秘密のある者、両親のどちらかが実は高貴な身分の者なのではないかという疑惑だ。それが選帝侯が辺境に引っ込んで隠れるようにして暮らしている理由の説明にもなっていたのだ。噂好きの貴婦人たちはまことしとやかに囁き合った。


 恐らくそうではないかしら。突然、二人の子どもを連れて人間界に下られたくらいだもの。よほどの深い事情があるのよ。そうでなければ侯爵さまが棄子などをお引き取りにはならないわ。

 片方が子爵家と養子縁組をされたそうよ。やっぱりね。

 これで男の子は片付いたわね。残る女の子のほうはどうなさるおつもりかしら。


 噂なんていい加減なものだ。こう云っては何だけど、俺は自分のことを本当にそのへんの下級魔法使いが喰い詰めてぽい棄てした、浮浪児だと自認してる。邑の連中とも気が合うし、品性よりは健康の方が勝ってる。貴人の落とし胤という可能性はまずない線だ。胸をはって云える。違う。

 そんな俺が貴族の通う魔都の学校に行く。

 もともと、兄になったベルナルディが「では学校に行く手続きをしようか、テオ」と云い出して、俺が行きたくないと突っぱねた経緯がある。根っからのお貴族さまのベルナルディは「え、行かないの」みたいな顔をしていたけれど。

 無理強いされるわけではなかったが、「いつでも辞めていいから行ってみては」と勧めてくれているんだよな。そのうちにルクレツィアさんが失踪してしまい、それどころではなくなって有耶無耶になってしまったが。

 冷たい霧のせいだろうか。雨の日を想い出す。

 シーナの水晶珠の中のあれ。若い頃のマキシムが抱き寄せていた魔女。俯いていた少女のような女の横顔。

「おめでとうテオ。これでベルナルディの弟ね。わたしも嬉しいわ」

 ルクレツィアさんに、似ていた気がする。


 犬の吠える声と、女の悲鳴を聴いた気がして、箒で下に降りていった。魔都の運河の近くの路上に若い女が転倒している。魔女は外套の裾をめくって脚をおさえていた。敷石で擦ったのか血が出ていて痛そうだ。

「送ろうか」

 気が付いたら俺は声をかけていた。もう昏くなっていたし、霧も深いし、ほっとけない気がしたんだ。

 云ってから俺は焦った。これじゃ駄目だ。最初からやり直しだ。ティアティアーナ伯爵未亡人に仕込まれた礼儀なんて頭から消えていた。今の云い方じゃまるで新大陸風。

「よろしければ、お乗りになりませんか」

 箒から降りた俺は、女に近づいてあらためて声をかけた。

「お困りでしょうか。助けて差し上げられることがわたしにあるでしょうか。わたしはホーエンツォレアン子爵家の次男です」

 何とか云い終えた。そこでようやく、外套を羽織った若い魔女はこちらに顔を向けた。女が頭巾を後ろ落とす。ゆるく巻いた長い髪が現れた。白い花。円形闘技場で見かけた花の冠。ヘタイラ・アスパシア・ディオティマ。

 その女は俺よりも少し年上で、そして美人だった。ルクレツィアさんともシーナとも違う系統で、どちらかといえば可愛い系だが、耀くように綺麗だった。周囲の霧が消え失せたような気がするほどだった。

「あなたの箒はどこですか」

 動揺しながら俺は辺りを見廻した。

「あなたの箒は何処に行ったのですか」

 俺は口を閉じた。女が口許に人差し指をあてたからだ。静かに。

 身振り手振りで女は俺に伝えた。あなたの箒に乗せてちょうだい。

 俺が箒を差し向けると、片脚を少し引きながら、女は前ではなく俺の背後に横座りに腰を下ろした。箒を立ち上げて、後ろにいる女を意識しながらゆっくりと気をつけて俺は箒を進めた。

 俺の後ろに乗った女は小声で俺に説明した。

「霧の夜には魔都に魔犬が出るのです」

 そうなのか。

「静かにしないとやって来るわ。わたしの箒は魔犬が大の苦手なの。無闇に噛みつくことはないけれど姿が怖ろしいのね。それで、魔犬を見かけた箒は愕いて、わたしを振り落として飛び去ってしまったの」

「なあんだ」

 俺は笑った。

「それは不運だったね」

 まとわりつく濃霧がなんだか先程よりも温かい。綿あめか毛糸玉の中を飛んでいるみたいだ。しばらくして俺は後ろにいる女に云った。

「寒くない」

「大丈夫よ」

「気分が悪かったり酔いそうなら云って。足は痛まない?」

「ご親切に。平気です」

 女が悲鳴を上げた。急に魔犬が走って来たのだ。俺は魔犬をかわして、左手下の用水路に降下し、水の上をはしって石橋の下をくぐった。その間、箒の安定をちっとも崩さなかった。

「巧いのね。箒乗りだわ」

「まあね」

「少し飛ばしてみせて」

「いいよ。掴まって」

 箒の柄に掴まってという意味だったのだが、女はするりと俺の方に身を寄せてきた。霧が濃くて他に誰も見当たらない。女の腕が俺の腰に回った。

「飛ばして」

 そうだよな。これが二人乗りだよな。女の子と二人乗りしてるのに、お寒くはございませんか、高さと速さのほどはこちらで丁度よろしいでしょうかなんて、バッカじゃねえの。

 しばらくひゅんひゅんと水路に沿って橋の下をくぐった。女は楽しそうな笑い声を上げた。

「風が気持ちいいわ」

 魔都の運河の水はリラの花のような色をしている。女の頭にのせた花冠からはりんごのような甘い香りがして、俺の腰にしがみ付く腕や背中に凭れる女の身体が柔らかくて、最高。

 やがて新古典主義の外観のホテルが見えてきた。

「ありがとう此処でいいわ。後はホテルまで歩けます」

 女は俺の箒から降りて礼を云った。

「おやすみなさい」

「名まえを教えてよ。俺はテオ」

「エリーゼ・ルサージュ」

「君はヘタイラなの?」

 街灯のあかりが霧の中に反射して沢山の月を作っている。円柱の建ち並ぶホテルの前でエリーゼは振り返ると、ゆるく巻いた髪の中から微笑んだ。唇だけをエリーゼは動かした。

 ないしょ。



》後篇(下)

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