Ⅲ 前篇(下)
迂闊だった。人間と魔法使いがこんなに大勢、一堂に会して集まることは、ほぼないことらしい。魔都から邑に遊びに来た若い魔法使いと、俺が街や邑から誘った幼馴染の人間の友だち。両者は森の中で顔を付き合わせた途端、「ふん」と背を向け合い、お互いの存在をないものとして扱うことに決めたようだった。完全に二手に分かれて行動しようとしている。おいおい。
人間と魔法使いが基本的には反目し合っていることを、俺は完全に忘れていた。
「お前たち、俺の立場も考えろよ」
見かねた俺が声を上げて、それでようやく、しょうがねえなという感じで双方は歩み寄りを見せたものの、不穏な空気が流れている。
「そっちから水を汲むな。水汲みは上流からが基本だぞ」
「何所から汲み上げても魔法で濾過するから同じだ」
「魔法が使えるからって何だよ」
「悔しかったら魔法を使ってみろ、人間」
「よし、肉を焼くぞ」
俺はやけくそで焼き肉の開始を告げた。人間が焚木を組んで火を熾しているところへ、魔法使いが魔法杖をつかって素早く点火して見せた。そのあたりから、両者の距離は一気に縮まった。
「もうちょっと火加減はこんな感じで」
「勝手に肉串が回転する魔法をよろしく」
人間の方から遠慮を無くし、ぽんぽん飛んでくる注文を魔法使いが叶えてやっている間に、
「魔法の力で、あれ出来るかい。敷布をぐねぐねさせるやつ」
「君たちは子どもか」
敷布の滑り台やトランポリンで大はしゃぎしている人間たちの様子に魔法使いたちも打ち解けてきた。
最高潮は夜の花火だった。
魔法使いが夜空に杖を向けて、森の上にたくさんの花火を打ち上げてくれたのだ。俺も手伝った。枝葉を透かして星空いっぱいに咲く鮮やかな火の花。たくさんの魔法使いが集まったから叶ったことだ。シーナも家の窓からこの花火を観ていたらいいな。
野趣溢れる晩餐をたらふく食べて、夜も更け、魔法使いが防水布を一つにまとめて創った大きな天幕の中で人間も魔法使いも雑魚寝しながら、俺たち若い男の夜の話題は当然、そういう方向に流れていった。
「ヘタイラ」
「なんだいそれ」
「ヘタイラとは、美貌と教養を兼ね備えた古代の高級娼婦の総称だ。現代の人間界だと何と呼ぶのかな」
夜中に若い男が集まったらする話なんて決まってる。人間も魔法使いも関係ない。俺たちは顔を付き合わせて真剣に語り合った。
「それはクルチザンヌのことだろ」
「クルチザンヌは、上流階級の男しか相手にしない高級娼婦だ」
「魔法界ではヘタイラは娼婦という意味ではない」
「そう、そんな汚職ではない。人間界で一番似ているのは、そうだな、祭りの山車の上で手を振っている童話の王妃や神話の女神の役、あれに近い。魔女の中から選ばれるヘタイラは大きな祭りや競技大会の時に出てきて、催しものに花を添えるんだ」
「ヘタイラは男と付き合わないのか」
「付き合うよ」
「じゃあ娼婦だ」
「違う」
森の中で梟が啼いている。罪のない猥談は盛り上がっていた。
ベルナルディの恋人のルクレツィアさんは、その『ヘタイラ』なのだ。時々冗談まじりにベルナルディがルクレツィアさんのことを「アスパシア」とか「ディオティマ」と愛情をこめて呼んだりしている。アスパシアとディオティマは何かというと、古代の有名なヘタイラの名だ。
「魔法界ではヘタイラの愛称として使われている。アスパシアまたはディオティマといったら、その魔女はヘタイラということだ」
「ややこしいな。結局、娼婦じゃん。ヘタイラ、それが魔法界の娼婦の総称だろ」
「だから違うって。娼婦というのは不特定多数の男を相手に性技をたつきの道にしている女のことだろ。魔女ヘタイラは違う。男を選べる女だ。上流階級しか相手にしないのは同じだが、金や身分があるからといってヘタイラと付き合えるわけじゃない。ヘタイラは気位が高いんだ。そしてヘタイラの恋人に選ばれた男は、ヘタイラの生活全般の面倒をみるんだよ」
「やっぱり高級娼婦のクルチザンヌと一緒じゃないか」
「違うって」
「俺、知ってる」
そこで俺ははじめて口を出した。ルクレツィアさんのことを想い浮べながら。
「ヘタイラの魔女をひとり知ってる。ものすごい美人だぞ」
「そうそう」魔法使いの若者は揃って頷いた。
「ディオティマは圧巻だよ」
「特別にきれいなんだ、アスパシアは」
その場の誰もが純粋と不純が入り混じった憧れを浮かべた眼つきになった。魔女には美形が多いのだが、ヘタイラはさらに美しい。ただ綺麗な女というだけでなく、何か立ち昇る迫力がある。
「彼女たちは教養と芸能も一流なんだ」
「人間のお前たちにもヘタイラを近くで見せてやりたいよ。魔女の周囲がぱあっと光っていて甘い蜜の霧が出ているような気がするぞ」
本当にそうなのだ。ルクレツィアさんを前にすると、俺もくらっとする。ヘタイラ・ルクレツィアを愛人にしているベルナルディは、彼女を繋ぎとめる為になら何でもするだろう。傍目で見ていてもどれほど一途に愛しているか分かるくらいなのだ。
そんなベルナルディの許から、ルクレツィアさんは忽然と姿を消してしまった。
「お前たちは明日もう魔都に帰っちゃうのかよ」
「そうだよ。朝早くにね」
「また遊びに来いよ」
天幕の奥では、魔法使いと人間が寝入りかけながら、小声で喋っている。
「楽しんできてね」
今日の午後、シーナが森に俺たちを送り出す時、ブラシウスはシーナに謎の言葉をかけていた。
「アルフォンシーナ。わたしは明日は、皆よりも遅く、午後に帰ることになっています。明日は貴女のお気に入りの晴れ着を着ておいて下さい」
翌朝、寝坊して起きると、森の中から魔法使いたちはきれいに消えていた。旅人に一夜の魔法をかけて立ち去る精霊のごとく、天幕も引き払い、夜明けと共に魔法使いは全員黙って立ち去っていた。
「お伽話の中のまぼろしの宴みたいだな」
残された俺たちはぶつぶつ云いながら後片付けをして、家に帰った。
「師匠、ブラシウスとシーナは」
二人で出かけたとのことだった。
朝から二人で何処かに出て行ったブラシウスとシーナは、正午近くになって、一つの箒に二人乗りで戻って来た。シーナはブラシウスの箒に横乗りをしており、ブラシウスはシーナの後ろで少し腕を引いて箒を操っていた。箒の先端に乗っているシーナは、腰だけを引っかける不安定な体勢だ。
人間の貴婦人の乗馬と同じように、魔女も高貴な貴族になると、箒に横座りをして乗る。箒の横乗りは均衡を取るのが難しい。制御もし難いので、動きもそろそろと、いつ滑り落ちてもいいように浮き上がる程度にしか使わない。その様子が上品だというので上流階級のご婦人方には人気なのだそうだ。
さらに女を箒の前に横座りにさせた二人乗りともなると、騎手の側の技量も問われる。一定の高さと速度を保ち、細かい技術で上手に安定させないと、箒の先からすぐに女の尻が落ちてしまうのだ。
シーナは泥だらけだった。新作のドレスも泥が跳ね飛んですっかり汚れていた。シーナを立派な貴婦人にすることに生き甲斐を見出しているティアティアーナ伯爵未亡人が見たら悲鳴を上げそうな姿だ。
「何やってたんだよ」
「テオ」
ブラシウスを咎める俺を咎めたシーナは、ブラシウスの箒から降りて、手にしていた自分の箒に腰をかけた。そして横座りのまますいっと庭を一周して見せた。ブラシウスは拍手した。
「アルフォンシーナ、だいぶ巧くなったよ」
いつの間にかシーナを呼び捨てだ。ブラシウスは声を落として俺に囁いた。
「女の子に横乗りを教える時には綺麗な服を着せて、泥土の上でやるのが手っ取り早いんだ。ドレスを汚したくないからすぐに巧くなる」
「それなら、水の上でもいいじゃないか」
ブラシウスはさらに耳打ちした。
「服が汚れたら汚れたで、慰めたり、新しいドレスを買ってあげると次に誘い出す口実になるだろ」
婦女子に対する怖るべき悪だくみを事もなげに明かしたブラシウスは、片手を差し出してシーナを箒から降ろした。
「貴婦人ならば、横乗りも出来なければね」
俺の姉弟子に気安く触るなよ。そりゃあ横乗りしてるような淑女が箒から介添えなしで跳び下りるのはおかしいけどさ。
シーナは口惜しそうに汚れたドレスの裾をはらった。
「最後の最後で下に落ちたのよ」
「今日だけでこれだけ乗りこなせるようになったのだから、『ゆっくり』の刻印のある箒を使ったら、君はまず大丈夫だよ」
「練習になりました。それでは」
魔女のシーナはつんと顎をそらして、またしてもさっと家の中に入ってしまった。
入れ違いに、ベルナルディと師匠が出て来た。ベルナルディは革手袋をはめて外套を羽織り支度を終えている。領地に帰るのだ。
「テオ、ブラシウス。失礼する」
「お屋敷まで俺も一緒に行こうか、ベルナルディ」
なんだか心配だ。途中で墜落しないといいけど。師匠から箒を受け取ったベルナルディは首を振った。
「いや、早く帰って探索の範囲を仕切り直したい。ルクレツィアには以前にも今回と同じようなことがあった。あの時も一年以上姿を消していた。今まで待っていたのが悪かったのだ」
「ベルナルディ。想い詰めるな」
「では、マキシム」
ベルナルディは家の前の坂を利用して一度落ちるように沈むと、そこから箒を立ち上げて挨拶代わりに俺たちの家の上で一度回り、高度を上げて雪山の向こうに消えて行った。
「最後のはどういう意味だろう。今まで待っていたとは」
「ルクレツィア嬢との結婚を引き延ばしていたという意味だろう。ヘタイラを妻にすることは魔法使いにとってはとても名誉なことなんだ。選択権はアスパシアにあって、ほとんどの男は見向きもされないのだから。皇妃みたいなものだよ」
「ベルナルディはまだ求婚していなかったのか」
「彼のいまの言葉からはそう解釈できる」
ベルナルディを見送ってしまうと、さて俺も魔都に帰るかとブラシウスは髪をかきあげた。
「後から家の者が来るから、昨日かかった経費と謝礼を受け取ってくれ」
大勢の使用人に傅かれている貴族のお坊ちゃんらしいところを見せたブラシウスは、「アルフォンシーナ」と家の中に呼び掛けた。一度自室に引っ込んでいたシーナが出て来た。顔を洗って汚れた服を着替えている。刺繍やリボンのついた衣裳は申し分なくシーナに似合っているけれど、前掛けをつけた普段の小ざっぱりした恰好の方が尼僧みたいなシーナの性格には合っている気がして俺は好きだ。
「帰ります」
「ご機嫌よう」
ブラシウスが差し出した挨拶の片手に、シーナは無表情で手をおいた。
「アルフォンシーナ嬢」
シーナの手を取り、眼を光らせながら、ブラシウスは可笑しそうに意味深に微笑んだ。
「魔女さん。この次に迎えに来てくれる時は、牛乳缶を持った邑娘に扮しなくてもいいんだよ」
げ。
あれ、シーナだったのか。気づかなかった。
「来週の約束を忘れるなよ、テオ」
『冠』ライダーらしく、足首で引っかけて倒した箒にひらりと跨るなりブラシウスは草を切るようにして離陸して行った。シーナと乗り筋が似ている。振り返るとシーナも箒を手にしていた。
「何処かに行くのシーナ」
「今のうちにおさらいをしておきたいの。次は無様に落ちたりしないわ」
「ブラシウスを駅に迎えに行ったんだ。シーナ」
「彼を迎えに行ったんじゃないわ。人間に変装していただけよ。そうしたら彼が話しかけてきたのよ。わたしだと最初から分かっていたんだわ。黙ってるなんて失礼な人」
シーナにしては珍しく多弁だった。気持ちを切り替えるかのようにシーナは箒を俺に渡してきた。
「まずは二人乗りから。テオも練習して」
「いいよ」
「本当はマキシムとやりたいのだけれど」
師匠の代理でもいいよ、シーナと二人乗り出来るなら。
二人で一つの箒に乗るのは小さな子どもの頃以来だ。シーナの身体と香りが俺の前にある。
それで俺たちがその日の午後、師匠に「見て、師匠」と二人乗りの練習の成果を見てもらうと、師匠いわく、まったく駄目だという。マキシムの指導は俺の上ばかりに降って来た。
「男は女人をリードするもの」
「はいっ」
女を箒に誘うところからして、まるでなってなかったようだ。「送っていくよ、俺の箒に乗らない?」は論外だったらしい。
真正貴族であるマキシムは流石で、見本を見せてくれた。シーナを相手に所作のいちいちが美しい。
「もし断られたら軽く会釈し、箒を後退させてご婦人の視界から消え、その場で動かずにお見送りする」
「二人乗りを誘って女に断られたことあるの師匠」
「ない」
そうでしょうねそうでしょうとも。
箒の二人乗りは本当は後ろに女を乗せるほうが安定がいいのだが、それだと様子が分からないし、無礼にあたるとのことだった。
師匠の指導はシーナに対しては、「知らない男の箒には乗らないように」そんな、月並みな注意に留まっていた。
数日後、シーナの見舞いにやって来たティアティアーナ伯爵未亡人が師匠に頼まれてさらに俺たちに細かい手引きをつけて二人乗りのお作法を完成形にまで持っていった。前にいる女の手が何所にあるかでその二人の親密度が分かるのだそうで、シーナの手の位置は箒の柄の前の方に移動してしまい、俺の近くには二度と戻っては来なかった。
よろしければお送りいたしましょう。
助かりますわ、ありがとうございます。
ではこちらへどうぞ。
様式美をなぞるだけになると最初にあったどきどき感は薄れてしまい、はじめの頃にシーナとわあわあ云いながら箒に乗っていた方がよっぽど楽しかった。
》中篇(上)




