07 帰宅しました!が……
ユリウスは、本当に神殿の帰り道、王都にある実家の伯爵邸に寄ってくれた。
先触れは間に合わなかったらしい。
王子専用の馬車が邸の玄関に横付けされると、執事が驚いた顔で出迎えに来る。
「これはこれは……ユリウス殿下に――アナスタシアお嬢様……」
「突然の訪問、失礼するよ。アナが荷物を取りに来たいって言うからね。どうか気を遣わずに。」
「そうは申されましても……とりあえず応接室へどうぞ。あいにく旦那様は外出中ですが、奥様はいらっしゃいます。」
執事がユリウスを案内している隙に、私はさっさと馬車を降りて、自室へと向かった。
昨日の朝に出かけたばかりなのに、
なんだか、何年も帰ってこなかったような気がした。
ドアを押し開ける。
そして私は、息をのむ。
――そこにあったのは、見慣れた私の部屋じゃなかった。
本棚に整然と並べられていた書物は床に散乱し、いくつかは無残に破かれていた。
机の上には、書きかけの論文。だが原稿用紙にはインクが垂らされ、
お気に入りのペンは――折られたまま、突き立てられていた。
図書館へ、学会へ。
令嬢としてではなく、“アナスタシア”というひとりの人間として、学びに通っていたあの服。
そのワンピースも、クローゼットから引きずり出され、ズタズタに引き裂かれていた。
私が呆然と立ち尽くしていると――
「聖女様……」
ユリウスの侍従が、私の後ろから声をかけた。
おそらく、荷物を運び出す手伝いに来たのだろう。
けれど、私の頭越しに広がる光景を目にした瞬間、彼もまた言葉を失ったまま、固まっていた。
「誰が……こんなこと……」
思わずつぶやきながら、私は誰がやったか、なんとなくわかっていた。
でも……ここまでされるなんて……ここまで恨まれるなんて……
思ってもいなかった。
「まあ!殿下、お会いできて大変うれしいですわ!
わたくし、アナスタシアの姉、ミレイユと申しますの!」
階下から、母と――それより更にけたたましく、姉の声が聞こえてくる。
――ああ、ユリウスに媚びてるんだ……
「すみません。服はいいです。本だけ、運び出したいです。お願いします。」
私は侍従さんに言って、階下へと向かった。
応接室の扉の隙間から覗くと、姉はユリウスのすぐ隣に立ち、
まるで彼の腕にすがりつかんばかりの勢いだった。
「殿下がいらっしゃるとわかっておりましたら、もっとちゃんとしてお迎えいたしましたのにぃ♪」
甘ったるく、わざとらしい声。
私の胸が、ひゅっと縮こまる。
「ああ、お構いなく」
そっけない返答。
それだけなのに、息が少しだけ楽になる。
「本当に……おいたわしいですわ。まさか妹が、殿下の聖女に選ばれるなんて――
あのような不出来な子で、本当に申し訳なくて……」
ああ、やっぱり。
姉は、こういう人だ。
「……わたくし、社交界ではちょっと名を知られておりますの。
もし殿下が、妹にご不満がありましたら――
わたくしなど、いかがでしょうか?」
「は?――いや、結構」
「まあ!わたくしをお傍においてくださいますのね?必ずや殿下をご満足させていただきますわ」
「え?俺は別に――」
「もう、そんなに遠慮されなくても――。妹はどうせ本ばかり読んでいる変人ですから、殿下も聖女に選ばれたから仕方なしに――」
――あーーーーっっっもう、聞いてらんない。
「結構」の断り文句を、「YES」に取るって!どこの悪徳業者よっっっっ!
ノックなしに応接室のドアをバァーーーンと押し開いて、私は室内に飛び込んだ。
「ちょっとあんたぁぁぁっっっ!何、ヒトの男に言い寄ってるのよっっっ!
そうやって節操もなく、はずかしくないのっっっ!?
それに、私の部屋っ!!荒したのアンタでしょっっっっ!!」
私が叫ぶと、ユリウスとミレイユ、それから母がぎょっとしてこっちに注目する。
いち早く反応したのは姉だった。
「なによぉぉっっっ!!全然興味ないって顔しててっっっ!!なんであんたなんかが召喚されてるのよっっっっ!興味ないなら譲りなさいよっっっ、ねぇっ!」
彼女は私につかみかかってきて、私の髪を握ると力任せに引っ張った。
痛い、でも負けないっっ
私も必死に、姉のきちんとブラッシングされた長い髪をつかんで引っ張る。
「いやよぉぉっっ!あんたなんかにユリウスはふさわしくないんだからぁっ!それになにひとの部屋、荒してくれちゃって!!そんなんだから、恋人に捨てられるんでしょっっ、知ってるんだからぁっ」
「なんであんたがそれを知ってぇぇっっっ」
叫びながら、自分でももうわけがわからなくなっていた。
ただ、もう、悔しくて。
本を破かれたこと、
ペンを折られたこと、
論文をダメにされたこと、
服をズタズタにされたこと、
ユリウスに言い寄ったこと……
いや、それはっ……どうでもよ―――
その時だ。
ユリウスが、パチンと指を鳴らした。
何もない空間から、ツタが伸びてきて、私と姉をからめとり、拘束して、引き離す。
「そこまで。これ以上はダメだよ。」
ユリウスが、表情を読み取らせない微笑で、私たち姉妹に圧をかけてくる。
私が身体から力を抜くと、ユリウスは私をツタで拘束したまま自分の方へと魔法で手繰り寄せる。
姉は反対に、母の方へと押しやられた。
「アナ、俺のこと、『自分の男』って言ったよね?嬉しいな♪後でゆっくり聞かせてね?」
彼は拘束されたままの私を抱きしめて言うと、今度は姉へと向き直った。
「ミレイユ嬢?これはいったいどういうつもりかな?」
彼の目をこっそり伺うと――、おおよそ私の見たことがない、絶対零度の冷凍ビームも生ぬるい、そんな視線で姉を射殺していた。
「俺はね、アナの実家だから、アナの姉だから、黙っていただけだよ?それなのに、何?アナが不出来だとか、自分の方がふさわしいとか、何なの?聖女はね、召喚された時点で、王子と同じだけの地位と権限を持つって言っても過言じゃないんだけど――、君、貴族令嬢だったら、それくらい知ってるよね?何、不敬罪で投獄がご希望?」
ユリウスがまくしたてる。
ミレイユの顔色がどんどん悪くなる。
でも、ユリウスは止まらない。
「自分の方がふさわしいって、本気で言ってる?うん、俺は君の事、知ってるよ?君、一年前の舞踏会で、俺にしなだれかかってきたもんね?疲れちゃったから、休憩室に行こうとか言ってたっけ?それに、君の評判も、友人たちからよく聞かされているよ?最後の一線は守ってるけど、それ以外は何でもさせてくれる、いわゆる×××××――だってさ!」
ミレイユの膝から力が抜けるのが見えた。
だけど、ツタは彼女をひざまずかせることすら拒んだ。
「残念だけど―――そんな×××××より、アナの方が、何百倍、何千倍、俺の聖女にふさわしいよ?」
ミレイユの顔は、もう感情がぐちゃぐちゃで、紙のように白くなっていた。
ああ……やっぱりミレイユ、社交界で×××××って呼ばれてたんだ……へぇ……
他人事みたいに考えていたら、ユリウスの矛先は母に向かう。
「ノルヴェール伯爵夫人、これはどういうことですか?あなたは、この場にいながら、聖女であるアナスタシア嬢が貶められていても、ミレイユ嬢をたしなめることもせず、ただ見ていた。」
突然矛先を向けられた母は、ビクっと身体を揺らして、恐る恐るユリウスを伺う。
「あなたの考えもまた、ミレイユ嬢と同じ、という事でよろしいですね?」
「そっ……そんなっっっ、そんなつもりではっっっ」
母の顔色が悪くなる。
私は何とか動く手首から先を動かして、ユリウスの服を引っ張った。
「もう、いいから。そんなに怒らなくていいから。」
彼に囁くように言った。
決して大きな声ではなかったけど、ちゃんと彼に届いた。
その証拠に、ほら、ちゃんとこっち、向いてくれた。
「――わかった。アナがそう言うなら、やめとくよ。
でもね、言っとくけど――俺、まだ全然怒ってるからね?」
ユリウスはまだちょっと不満そうにしていたが、姉を拘束していたツタの魔法を解く。
その時丁度、彼の侍従がやってきて、私の部屋の目ぼしい書籍を運び出したことを告げた。
「じゃ、目的は果たしたから、俺たちは帰るよ。
ミレイユ嬢?個人的には、君がどれくらい評判を落とそうが構わないけれど……
アナの姉としては、ちゃんとしていてもらわないと困るよ?
ノルヴェール伯爵には、君の事ちゃんとしてくれる人、紹介しとくから、断れると思わないでね?」
言うだけ言って、ユリウスは私を抱えたまま応接室を後にした。
部屋を荒らされて、私もつい。かっとなった。
ユリウスにやり込められて、ざまぁみろって気持ちもなかったわけじゃない。
でも――正直、やりすぎだったと思う。
もっと早くにユリウスを止めなければならなかった……かもしれない。
母まで、あそこまで圧をかけられなくても……よかったかも。
まあ、姉の放蕩が終わるなら強制的な縁談も、それでよかったかもしれない……
帰りの馬車に揺られながら、私はユリウスをちらっと見た。
彼は相変わらず、何を考えているのかわからない微笑を湛えている。
「……ありがと」
ぽつりとつぶやくと、ユリウスがこっちを見る。
「まあ、自分の聖女が貶められたら、黙ってるわけにはいかないよね。」
ユリウスが、柔らかく言った。
言ったのはいいんだけど……
ねぇ……
恐る恐る聞いた。
「あの、いつになったら、私の拘束、外してくれるんですか??」