05 私の嘘
朝食の後、私は馬車に乗せられて神殿へ向かった。
ユリウスは私の正面を陣取って、相変わらずニコニコ笑っている。
――正直、この王子、ちょっと怖い。
何を考えているのかさっぱりわからない。大胆なことを言ってきたかと思えば、あっさり「冗談だよ」とかわしてくるし、気がついたら懐に入り込まれていそうで、油断も隙もない。
でも――顔はいい。
ご令嬢方が夢中になるのも頷ける。なんなら、私の好みのど真ん中だ。
……だからこそ、タチが悪い。
絶対にほだされないぞ、と内心で拳を握っているうちに、馬車は神殿に到着した。
「ユリウス殿下、この度はおめでとうございました。アナスタシア聖女、お待ちしておりました。準備は整っております。どうぞこちらへ……」
出迎えた神官に案内され、聖堂へと通された。
中央には、白金の円環の結界の中に祭壇が築かれ、判定用の魔具が鎮座している。
――私は、二年前の『判定の儀』を思い出していた。
あのとき、私はすでに自分の魔力が強いことを自覚していた。
術環を刻まれる前だったから、派手な魔法は使えなかったけれど、術環が普及する前に使われていた、いわゆる『古術式学』の術式を独学で試してみていたのだ。
余談だが、参考にしたのはミルドア先生の若い頃の論文である。
その結果から推測するに――私は、最低でも『青玉の座』、ひょっとすると『金剛の座』に届くかもしれなかった。
もし、聖女召喚の補正なしに『金剛の座』を持っていると知られたら……。
私の自由な研究人生は、間違いなく終わっていた。
だから私は、あのとき、意図的に手を抜いた。
貴族令嬢としてはやや優秀、でもさして突出していない――そんな評価がつくように調整して、『藍玉の座』と登録されたのだ。
「それではこれより、ユリウス殿下の聖女の属性および魔力強度の判定を行います。アナスタシア様は、判定の儀は二度目ですね。まずは属性判定からです。少しずつ、ゆっくり、この球に魔力を流してください」
神官は、優しげに語りかけてきた。
……私はもともと水属性だったけど――属性は、そんなに増えてないはずよね?
言われた通りに、球に向けて魔力を流す。淡く輝き始めた球体の中で、いくつかの色を持った光の玉が、ふわふわと踊り出す。
「青が水、緑が風、黄色が土、そして……白は聖属性ですね。アナスタシア様は水属性のみでしたから、新たに三属性が加わったことになります」
神官は、どこか微笑ましげに言った。
ふう――ひとまず、ここまでは“標準的な”聖女の範囲内。
……さて。
本当に怖いのは次だ。
「アナスタシア様。次は魔力量の評価です。ありったけの魔力を、できうる限り素早く、この球に込めてください」
「は……はいっ」
私は小さく息を吐いて、もう一度球に向き直る。
――見た目には、一生懸命、最大出力を出しているように。
でも、実際はセーブ。あくまでも、コントロールできる範囲で。
とはいえ、セーブしすぎても危ない。
本来の魔力量よりも、過小評価された術環を刻まれていた私は、これまでずっと、術環以上の出力を出さないように細心の注意を払ってきた。
それでも、うっかり魔力が振り切れて、回路を焼き切りそうになったことが……一度や二度じゃない。
今の私は、召喚を経てさらに魔力量が増している。
過小評価しすぎれば、かえって自分が危険だ。
――聖女として“凡庸”な値……『青玉の座』くらい?
その程度なら、まあ無難。魔法の行使にも困らない。
力を丁寧に制御しながら、球へと魔力を込めていく――
……つもりだったのに、一瞬、制御を振り切った。
まずいっ――
皆が見つめる中、球は青白く閃光を放ったかと思えば、
すぐにルビーのような紅い光を放ち、きらきらと輝き始めた。
「『紅玉の座』! アナスタシア聖女は、『紅玉の座』です!」
神官の高らかな声が聖堂に響く。
――うーん、やっちゃったかぁ……。
ちょっと弱めすぎたけど、ま、何とかなるでしょ!
私は気を取り直して、白金の輪の外に立っていたユリウスへと振り返った。
彼はいつものように、へらへらと笑って――
……いなかった。
その瞳が、まるで刃のように、私を射抜いていた。
「君、ちょっと……」
判定の儀が終わり、聖堂を出たところで、ユリウスが私の二の腕をがっしりと掴んだ。
そのまま、一言もなく引きずられる。
私は抵抗もできず、なすがままに――おそらく、貴賓用の控室と思われる一室へと連れ込まれた。
ユリウスは入室するなり、ぴしゃりと扉を閉めて、手際よく防音の魔法をかけた。
――すごい鮮やかなお手並み!
ユリウスって、案外、魔法上手なのね。
などと、のんきに感心していた次の瞬間。
「君! 一体何を考えてるんだ!
術環と実力の不適合がもたらす悲劇を、君が知らないはずがないだろう!!」
――怒鳴られた。
「だって、別に今までだって、何とか――」
反射的に言い返すと、ユリウスはすぐさま厳しい口調で遮ってきた。
「やっぱり、今までも魔力量を偽っていたか。……嫌な予感が的中してしまったよ」
「やっぱりって……どういうこと? 気づいてたの?」
動揺して問い返すと、ユリウスは静かに私の右手を取った。
指先に触れるか触れないかの動作で、私の手のひらを開かせる。
「うん、気づいていたよ。君の術環――ところどころでショートした跡がある」
彼はじっと私の掌を見つめた。
「火傷みたいな、細かい痕。……ごまかせると思った?」
「……」
彼の観察眼に、思わず言葉を失った。
そのまま、つつ、と彼の指先が術環をなぞっていく。
「君が何かを隠したがっているのは、分かってた。けど……こんな危ない橋を渡る前に、俺にも相談してほしい。相談してくれれば、俺だって……君の力になれるのに」
そう言って、彼は私の右手を――まるで壊れものに触れるように――そっと両手で包み込む。
「君は……俺の聖女なんだよ?」
「っっ――」
上目遣いに彼を見た瞬間、心臓が――跳ねた。
……は、反則、だよ。
それ、反則だよ、ユリウス……
「ご……ごめん……でも……私――」
言おうか、どうか――
迷っていると、ユリウスが指を鳴らし、防音の魔法が解かれる。
間髪入れずに、扉が叩かれた。
そして、一人の青年神官が静かに入室する。
「オクタリウス、すまないな。借り出せたか?」
ユリウスがそう声をかけると、オクタリウスと呼ばれた神官は鷹揚に頷いた。
「はい、まったく問題なく。神殿儀式局には、判定用の魔具のストックがいくつもありますから」
そう言いながら、彼は手にしていた物の上にかけられた布を、丁寧に外した。
現れたのは――
ついさきほど『判定の儀』で使われたものと、ほとんど同じ形状の魔具だった。
「さあ、アナ。君はすでに神殿に『紅玉の座』と登録され、召喚祝賀晩餐会に向けて、聖杖も発注されてる。そして、ここは非公式な場だ。俺も、オクタリウス神官も、ここで見聞きしたことは女神に誓って、一切口外しない。」
ユリウスが私に向き直って、まっすぐに見てくる。
「アナ、お願いだ。君の真の実力に見合った術環を刻印させてほしい。」
――なんて、ありがたい申し出なんだろう。
本当に、本当に感謝しかない。
感謝しか――ないのだが。
ユリウス殿下、
その笑顔の圧が!
あの、ちょっと怖いです……!!
しかも、オクタリウス神官まで、さも当然のように準備万端で立っている。
逃げ道が、どこにも、ない。
……いや、あるにはある。
ここで断って、「私はこのままで結構です」とか言えばいいだけの話だ。
でも、言える?
この顔で見られて。
この状況で。
「……わかったわよ……本当に公表しないのよね?」
「もちろんだよ。ここにいる三人だけの秘密だ。」
ユリウスが内心ほっとしている、という表情で微笑んだ。
負けた、というより、流された。
――ということに、しておいてほしい。
そうでないのなら……私は―――
戻れない気がする。