04 契約はしても結婚はご遠慮します
結局その日は、家には帰してもらえなかった。もちろん寝室は別で、私には自室が与えられた。
「聖女を泊まらせるつもりだったから、一応掃除と準備はしてあるよ。後で君好みに整えていいからね」
ユリウスはそう言い残し、部屋を出て行った。
第二王子とその聖女は、今夜は王宮に泊まるらしく、顔を合わせるのは明日以降になるという。
夕飯は、離宮とはいえさすが王城内。特別なご馳走というわけではないけれど、私を歓迎してくれているのが伝わってきて、とてもおいしかった。
お風呂は最高。マッサージまでついていて、部屋着の肌触りも気持ちよくて。
私はベッドに転がって、大の字になる。
きっと母が見たら「王子宮で何てはしたない!」って絶叫するだろう。
……でも、ここには母はいない。
部屋には、私一人だ。
「……私……どうなっちゃうんだろう……」
思わず、つぶやいてみた。
声に出してみたけれど、なんだか白々しく感じた。
もう、私の未来なんて、わかっている。
王子に召喚された聖女は、なんやかんやあったって、最後には王子と恋に落ちる。
聖女は王子を、王子は聖女を、恋し愛して、
『契約の儀』で魔力を繋ぎ、
『婚姻の儀』で身体を繋いで、
子を産み、育て、
幸せに老いていく――。
王国の民なら誰でも知っている、幸せなおとぎ話。
……そういうふうに、できているのだ。
今日、私の目の前に突然現れた王子様――ユリウス。
私はこれから、あの人と恋に落ち、結ばれる。
あれが、私の人生の終着点なのだと。
そう――突然、突きつけられた気分だった。
逆に、ユリウスの立場ならどうだろう?
私は、自分が貴族令嬢として到底及第点に達していないことくらい、ちゃんと自覚している。
今後は王子妃として振る舞え、そのためにふさわしく整えよ、時間を割け――なんて言われても、「はいそうですか」とは、とても言えない。
待ち望んだ聖女が、よりにもよって、こんなちんちくりん。
あの、御令嬢方にも大人気の優男イケメン王子は、本当に納得できるんだろうか……。
――君って……面白いね。俺、君みたいな子、好きだな。
急に、昼間のあの言葉を思い出した。
……前言撤回。
あんなチャラ男で、腹黒策士、こっちからお断りだ。
私だって、暇じゃないんだから!
王子様よりも古文書が、
契約や結婚よりも、王国の歴史が、
私を呼んでいる!
契約をしなければ、王子は死ぬ運命にある。
それは、さすがに寝覚めが悪い。
……だけど。
結婚しなかったときのペナルティは、聞いたことがない。
百歩譲って、契約はしてやろう。
でも――婚姻は、ご遠慮いただく。
「よーし! 明日から頑張るよーっ!」
自分にそう言い聞かせて、私は布団に潜り込んだ。
そして数分後には、夢の国の住人。
どんな所でも、どんな状況でも寝られる、というのは、とってもお得なスキルってことにしてる。
翌朝。
窓から差し込む朝日で気分よく目を覚ますと――
「おはよう。よく眠れたみたいで何よりだよ」
……私の横に、王子様がいた。
さすがに添い寝、なんてシュチエーションではなかったが、私のベッドの縁に腰かけて、どうやらずっと寝顔を眺めていたらしい。
しかも、それを――
悪趣味にも、ニコニコしながら。
「ちょっと寝坊気味だけど……まあ、アナの寝顔が可愛いって知れたから、許す♪」
――許す♪じゃないよぉぉぉぉぉっっっっ!
「なっ、なんで、乙女の寝室に!昨日会ったばかりの王子が!いるんですかぁっ!!」
情報過多だ。思考回路はショート寸前だ。
「うーん、だって君の昨日の雰囲気だと、早朝にこっそり逃げ出しそうだったし?」
「ってぇ! 早朝からいたんですか!?」
「あー、正確には……深夜から?」
恐ろしくさわやかな笑顔ですね……
「君って、全然、気配とかで起きないんだね」
……いやいやいやいや!?
それ、つまり、ずっと見てたってことじゃないですか!?
何時間も!? 寝顔を!? 正気か!? 飽きないの!? 暇なの!?
「ってのは冗談で――」
――あ、冗談だったんだ。
良かったよ。
「今日は早速なんだけど、朝イチで神殿に行かなきゃいけないんだ。ほら、聖女って召喚されると、魔力とか属性とか強化されるだろ?」
ユリウスはベッドから立ち上がり、私を見下ろしながら言った。
「あー、そうでしたね。」
私は、自分の手のひらを見る。
リューセイオン王国の王侯貴族や神官たちの手には、「術環」と呼ばれる、いわば魔法使用のための補助機構が刻印されている。
これは、身分を持つ者が十五歳になると受ける「判定の儀」で、魔力の量や属性に応じて自動的に刻まれるもので、王侯貴族なら成人前のデビュタントに、神官なら神学校の高等部進学直前に、それぞれ行われる。
厳しい修練なしに魔法を扱えるという、特権階級の証。
聖女に召喚されると、基本的に属性が増え、魔力量も上がるため、
再び判定を受けて、より高い評価に見合った構文の術環に、刻み直す必要があるのだ。
逆に、刻み直さないまま魔法を使おうものなら――魔力回路がショートして、大変なことになる。
聖女にとっては、まさに死活問題だ。
「すぐ起きます。」
私はベッドから身を起こし、着替えるために立ち上がった。
ユリウスは、ニコニコとこちらを見ている。動く気配はない。
「……あの。着替えたいので、席を外してもらえませんか?逃げませんから」
私が言うと、彼はトントンと自分の頬を指差して、こう言った。
「“おはようのキス”、してよ」
「は?」
「ね、ここでいいから」
「――――――っっっっふざけるなぁぁぁぁっっっっ!!!」
拝啓お母さま、今日も娘は貴族令嬢らしからぬ絶叫をしていますが、
ぜんぶぜんぶ、王子様が悪いのです。