最終話 二度目の恋のはじまりに
私、ステラ・ヴォルステッドは、十七年前に、侯爵家の末娘として生を受けた。
王国の東側にそこそこの領地を持っている、可もなく不可もない侯爵家だ。
神への信仰は篤く、家門からは代々、数多の神官を輩出してきた。
二十年ほど前、当時は王太子であられた現国王陛下ご夫妻と、その王弟殿下ご夫妻が、そろって我が領内の遺跡をご視察になったことが、今も語り草となっている。
祖父は酔うたびに、孫の私を膝に載せ、両ご夫妻の話を嬉々として語った。
王弟殿下ご夫妻は、我が領を訪れた直後、残念ながらお亡くなりになり、盛大な国葬が営まれたという。
でも祖父はよく言っていた。
「第二王子殿下とその聖女様は……お亡くなりになったのではない。
聖女様は新しき女神に、殿下はその配偶者となり、お二人は一柱の御神になりあそばされたのだ。」
なるほど、その第二王子ご夫妻が亡くなられたとされる前後で、国教には大きな変革があった。
それまで女神を唯一神として崇めていた神殿が、突如として「女神が男神を迎え入れ、神婚が成った」と大々的に発表したのである。
これを機に、王家も「双身一柱の御神を国祀神として崇める」と宣言し、王国の信仰のあり方は大きく塗り替えられた。
当時王太子だったレオナルト陛下は、神々に対し最初の礼拝をおこなった王として、以後『拝謁王』と呼ばれている。
なぜ、私はこれほどまでに我が国の歴史に惹かれるのか――
それは、ヴァルトリア朝成立期の貴重な遺跡を領内に抱える侯爵家の一員としての、当然の関心とも言える。
……けれど、それだけでは説明のつかない、衝動のようなものがあった。
物心ついてから、私は幾度となく、同じ夢を見ていた。
夢の中の私は、貴族令嬢として生まれ、とてつもなく頭がよくて、男性たちに混じって学問に励んでいた。
何かに手が届きかけて、でも届かなくて――そして、気づけば、大切なものをすべて失っていた。
詳しいことは覚えていない。
けれど、その夢を見た夜はいつも、泣きながら目を覚ました。
目覚めた後も、胸にこびりついたような喪失感と、意味もなく急かされるような焦燥感が残った。
その答えが見えたのは、十五歳の年だった。
我がヴォルステッド家は、もともと中央の政治とは距離を置く家柄で、暮らしの中心は地方領地にある。
のびのびと田舎で育った私は、デビュタントを機に、初めて王都へと足を踏み入れた。
……そこで襲ってきた、あの強烈な既視感。
初めて見るはずの街並みが、どうしても懐かしかった。
なかでも、ひときわ心を惹かれたのが、王立図書館だった。
タウンハウスに落ち着いたその足で、私は迷わず図書館へと向かった。
もともと「変わった子」だとは言われていたけれど、
ドレスを仕立てる前に図書館に行く令嬢なんて……と、家族はあきれ顔だった。
逸る気持ちを抑えて、中央階段を一段ずつ踏みしめながら――
玄関をくぐった、その瞬間だった。
直感的にわかった。
私は、《私》と対面したのだ。
この国の術式学を中心とした学問の発展に貢献した人物を讃える一角。
古術式学の権威ガラトゥス・ミルドア、夭折の天才王子エリオット・ヴァルトリア。
その間に、ひときわ穏やかな微笑みをたたえて――
アナスタシア・ヴァルトリアは、そこにいた。
「アナスタシア・ヴァルトリア――旧王国暦733年-751年、
ガラトゥス・ミルドアに研究施設と資金を提供。
鋭い知見により、エリオット・ヴァルトリアに多大な影響を与える」
まだ新しい功績解説の銘板を、私は小さな声で読み上げた。
解説はあまりにも簡潔で、彼女がどんな人物だったのかは、何一つわからない。
王族と同じ姓。
隣に並ぶエリオット・ヴァルトリア王子の聖女かと思ったが、彼の生年は旧王国暦770年、没年は788年。
彼女の記録された生涯とは、時代がまったく重ならなかった。
じゃあ――彼女の大切な人は、一体誰だったの?
不意に浮かんだ問いが、胸の奥を焦がした。
「あのっ……アナスタシア・ヴァルトリアについて知りたいのですが!」
気がつけば、私は司書のいるカウンターに飛び込んでいた。
「アナスタシア聖女のことですね? ええ、顕彰コーナーに肖像画が飾られている……
ただ、詳しいことは、実はよく分かっていないんです。
十年ほど前、現国王陛下が、王弟エリオット王子の功績を顕彰するようにと研究費を拠出されまして――
その過程で、アナスタシア聖女の研究が彼の業績に深く関わっていたと明らかになったのです。
……え?研究の内容ですか? 申し訳ありません、私には少し難解で……
それに、王家の機密に関わるとして、公開されなかった部分もあるようでして。
彼女の手帳が、この図書館に収蔵されてはいますが……一般には公開されておりません。申し訳ありません」
司書は丁寧に教えてくれたが、結局のところ、彼女のことはほとんどわからなかった。
けれど、そのとき初めて繋がったのだ。
二十年前、私の生家に来訪したという王子──
のちに女神の配偶者となったとされる、その人物こそが、
夭折の天才王子、エリオット・ヴァルトリアだったという事実が。
それからの日々、私は夢中になってアナスタシアのことを調べまわった。
併せて、エリオット・ヴァルトリアについても調べた。
だが、残念ながら、どちらの成果も芳しくなかった。
アナスタシアは、ノルヴェールという伯爵家の令嬢だったことが分かったものの、それ以上の記録は残っていなかった。
エリオット・ヴァルトリアも同様で、現国王陛下と同い年の王弟殿下であり、母君が異なるということが判明した。
けれど、二人とも――
あの顕彰コーナーに並ぶほどの功績を、十八年という短い生涯のうちに残したはずなのに。
その中身は、どこにも記されていなかった。
術式学の天才と呼ばれ、神の配偶者となったエリオット王子。
その王子に多大な影響を与えたという、聖女アナスタシア。
そして、突如として変革された我が国の女神信仰――。
私はふと、ある仮説に行き着いた。
心臓を撫で上げられるような、ざらりとした感触が走った。
とても、気持ちのいい発見ではなかった。
――もしかして……私は、禁忌に手を伸ばしてしまったのではないか。
私は、初めての社交シーズンを、ほとんど上の空で過ごすこととなった。
なお、神殿で行われた属性判定と魔力量評価の儀では、風属性と水属性、
魔力量は貴族令嬢としては優秀な部類にあたる『紅玉の座』と判定された。
おかげで、どこぞの公爵令嬢に目をつけられる羽目になったが――
周囲の誰もが浮き立つような季節に、
私だけが、まるで別の時を生きているような心地だった。
前世など、ばかげている。
アナスタシアを自分だと感じたのだって、きっと認知のゆがみに違いない。
私はステラ・ヴォルステッドだ。
大体、前世なんて知って何になる。
私は、私として――今を生きなければ。
……そう、理性的に考えられる瞬間もある。
でもその一方で、
すごく大切なこと。
忘れてはいけない、忘れたくない思い出を、思い出せない。
そんなもどかしさに、どうしようもなく振り回されてしまう瞬間もあった。
そうして二年の月日が流れた。
私は断続的に、アナスタシアやエリオット王子について調べ続け、
また侯爵令嬢という立場を活かして、自領の遺跡の研究も進めていた。
そして、神聖歴二十年に入ったある日、王国に大ニュースが駆け巡った。
王家が、新体制の下で初めての聖女召喚の儀を行うというのだ。
そういえば、第一王子リュフェイル殿下と、第二王子アリステル殿下の双子の兄弟が、
今年、十八歳を迎える年だった。
今後も従来通り、聖女召喚を行うのかどうか。
国中が注目していたその問いに、王家は明確な答えを出したことになる。
――王家って……双子、多いよね。
ふと心に浮かんだその言葉が、妙に引っかかった。
それと同時に、なぜか胸に去来する――説明のつかない、失望と空虚感も。
聖女召喚の儀は、社交シーズンの初めの頃に執り行われる予定だった。
王都に到着した私は、思っていた以上に、国中がこの儀式に沸き立っていることに驚かされる。
「ステラって、他人事なのね。あなただって聖女に召喚される可能性があるっていうのに。気にならないの?」
儀式の当日の朝、一つ上の姉は、出かける予定もないのに、いそいそと着飾っていた。
前回までの聖女召喚では、神殿に有力な貴族令嬢が招待されていたらしいが、
今回からは会場の都合でその慣習もなくなったという。
“我こそは”と思う令嬢たちは、自宅で着飾って待機するのだそうだ。
「気にならないわよ。私が選ばれるわけないでしょ?
それより今日は、図書館へ行くわ。王立図書館は、王都にいるときしか使えないんだから」
苦笑する私に、姉は心底呆れた様子だった。
けれど、それでも誰も私を引き止めなかった。
それは、この家で私が築いてきた“キャラクター”の、ささやかな効力でもあった。
図書館の中央階段を上がり、ふと顕彰コーナーを見やると――
アナスタシアと、目が合った気がした。
私は足を止め、改めて彼女の肖像画を見つめる。
――あなたは、誰なの? 何をしたの?
聖女として召喚された時、何を思ったの?
王子様を……愛したの?
心の中で、そっと問いかける。
初めてこの絵を見たとき、私は瞬間的に「私だ」と確信した。
けれど、どれだけ調べても、何もわからず。
思い出そうとしても、何も思い出せない。
今では――
あれは思春期特有の、痛々しい勘違いだったのではないかとすら思い始めている。
肖像画のアナスタシアは、たおやかにこちらを見返してくるだけで、何も語らない。
――そろそろ、潮時かもしれないわね……
彼女の調査はすっかり行き詰まり、
私のもとにも、ちらほらと縁談の話が舞い込み始めている。
……もう、いいじゃない。
これ以上調べても、何も出てこなかった。
思い出せない記憶に、これ以上囚われても仕方ない。
そろそろ、夢見がちな少女時代にも、終止符を打つべき時なのかもしれない。
ため息をひとつついて、その場を離れようとした――
……その時だった。
「え……」
足元に突然、魔法陣が展開し、私はまばゆい光に包まれる。
――私は知っている……これは、聖女召喚の魔法陣……
気が付くと、私は真っ白な空間にいた。
空間はどこまでも広がっていて、見渡す限り誰もいないし何もない。
「こんにちは」
不意に声を掛けられた。
振り返ると、一人の少女――アナスタシアが立って笑っていた。
「こんにちは、新しい私。」
彼女はもう一度言って、私の手を取る。
私はあっけにとられて返せないでいると、彼女は笑って勝手にしゃべりだす。
「驚かせちゃったわね。でも、私はずっとあなたの中にいたのよ?
いえ、私はあなた、あなたは私、私は私だわ。ただ、忘れていただけ。」
彼女は少し寂し気に微笑んで続ける。
「……だけどね、彼が、もう一度手を伸ばしてしまったの。
忘れたままでいられたら、それはそれで幸せだったのに。
……運命は、待つだけじゃ振り向いてくれないって……本能的に求めてしまったのね。」
「……それはどういう」
私は完全に混乱して、言葉に詰まる。
「私もね、ずっと忘れたままでもいいって思っていた。
だけど、こうして呼ばれちゃったら――欲が出るじゃない?」
彼女が握る手に力を籠める。
その瞬間、堰を切って水があふれるように、“アナスタシアだった”頃の記憶がよみがえってくる。
「……」
忘れていた言葉、笑顔、痛み、祈り。
私は確かにそこにいて、彼と、恋をして、そして――
烈しい感情の数々に、私は言葉を失ったまま立ち尽くした。
「彼を受け入れるかどうかは――最終的にあなた次第でいいけれど……
一考はしてあげて欲しいな。ちょっと執着は重いけど、彼はイイ男よ?」
アナスタシアが笑うと、真っ白な世界は急速に流れ去り、突然目の前に現実が突きつけられる。
私の前には――一人の男が立っていた。
金の髪に、瑠璃色の瞳。整った甘い顔立ちで、頭はめっぽう切れると評判の、御令嬢に大人気の――
この国の第二王子、アリステル殿下。
……けれど、私にはすぐにわかった。
この人は――アナスタシアの、ユリウスだ。
私の身体の奥深く、細胞の一つひとつが、彼を歓迎していた。
私の中のアナスタシアが、歓喜に震えながら叫んでいた。
――やっと、また会えた……!
彼の瞳も、驚愕に見開かれる。
彼も気づいたのだ。私が“彼の”アナスタシアだということに――
何の言葉も要らなかった。
彼は私を抱きしめ、そして口づけた。
ステラとアリステルとしては、今日が初対面のはずだった。
なのに、それがまるで信じられなかった。
離れ離れだったものが、あるべき場所に戻ってきたような、深い安堵に満たされていく。
「……また君に会えるなんて、まるで奇跡だよ」
キスの合間に、彼は噛みしめるように囁いた。
「今度はもう、離れなくていい。ずっと一緒に生きていける……
ああ、なんて俺は……幸せ者なんだろう……」
「ええ……私もよ……あなたを、ずっと求めていたの……」
思い出したくても、思い出せなかった。
それはきっと、その喪失があまりにも深く、大きすぎたから。
もちろん、ステラとしての私は、こう問いかけたくなる瞬間もあった――
これはアナスタシアの想いじゃないの? ステラ自身の気持ちはどうなの?と。
でも、そんな疑問さえ、今の私にはもう意味を持たなかった。
だって、アリステル殿下は――
ステラとしての私にとっても、あまりにも理想的すぎる王子様だったのだから。
拒む理由なんて、どこにもない。
むしろ、こうして出会い頭に恋人以上のキスを交わしても――
もっと先を、と望んでしまうくらいだった。
「ごめん、浮かれて自己紹介が遅れたね……」
彼が少し照れたように笑い、私の手をそっと取る。
「俺は、アリステル・ヴァルトリア。この国の第二王子だ。よろしくね。
――君の名前を、教えてくれるかな?」
私はその手を握り返し、深く息を吸って、しっかりと名乗った。
「ステラ――。ステラ・ヴォルステッドです。」
どんどはれ!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
このお話をもちまして、『刺青の聖女と契約の王子』および姉妹作『叛逆の聖女アナスタシア』、両作の完結とさせていただきます。
書きたいことを、書きたいように、筆の向くままに紡いできた物語に、ここまでお付き合いいただけたこと――
本当に、心より感謝申し上げます。
『刺青の――』の方には、まとめのあとがきを予定しております。
よろしければ、そちらも併せてお読みいただければ幸いです。
長い長い旅路の物語に、お付き合いいただき、ありがとうございました。
また次の物語でも、お目にかかれたらうれしいです。
2025年7月2日
花まめ書房 じょーもん




