28 旅立ちの朝
「おはようございます、ルキアス殿下。よく眠れましたか?」
待ち合わせていた玄関で、私とユリウスはルキアス殿下と落ち合った。
「あー、ちっと寝不足だなぁ。気持ちが高ぶって、全然眠れなかった。
そういうお前たちも……寝てないって顔だな。大事な一戦の前に……大丈夫か?」
ルキアス殿下はすっかり持ち直し、晴れ晴れとした顔で冗談すら口にする。
……いや、冗談じゃないのか? 私、そんなに寝不足の顔してる?
「……大丈夫ですよ。これから準備しますから。」
私は宣言してから、自分を含めた三人にまとめて精神系の魔法をかけた。
「お、これ、すごいな……」
「アナ、何したの? なんだか疲れが吹き飛んで、力がみなぎってくるんだけど……」
ユリウスとルキアス殿下は驚きつつ、手を握ったり開いたり、ジャンプしたりして身体の調子を確かめている。
「あー、覚醒魔法です。身体のリミッターを外して、疲労や痛み、眠気を感じる神経を麻痺させつつ、脳内に活性化物質をドバドバ出しています。通常以上の力を引き出せる状態ですよ。
効力は一日。効果が切れたら、十日は動けないこと間違いなしです!」
「アナスタシア嬢……それって……」
「ええ、禁呪の類ですよ。十年ほど前に若者の間で流行って、中毒患者が大量に出て社会問題になったやつです。」
私がおどけて言うと、ルキアス殿下もユリウスも顔を見合わせ、「なんてものを……」と苦笑いした。
まあ、一世一代の大勝負。違法ったって、どうせ明日のない命だし――って、ルキアス殿下には帰れる可能性があるのかな。ま、その時は十日間苦しんでもらいましょう。
私も身体の具合を確かめる。
さっきまでの気だるさも眠気も、違和感や関節の軋み、筋肉痛もきれいさっぱり消えている。
襟から服の中を覗いてみると、昨日つけてもらったキスマークまで消えていたのは、ちょっと悔しい。
玄関を出ると馬丁が馬を二頭引き連れてきたところだった。
「あ、そうだ。これを渡し忘れていました。」
私は大事なことを思い出して、馬にまたがろうとするルキアス殿下を引き止める。
肩から掛けていたバッグから魔石を組み込んだ護符を取り出し、両殿下に手渡した。
「あの黒衣の男は精神魔法に長けているように感じました。
これは精神干渉系の魔法を防ぐ護符です。魔石で数パターンの構文を状況に合わせて自動展開するようにしてあります。他にも拘束や脱力といった無力化魔法を解析し、防御用魔法を展開します。一種の自動バリアと思ってください。」
「……いつの間にこんなもん……」
ルキアス殿下はあきれたように護符を確認する。
「記憶が戻ってからですけど――材料は昨年までにルキアス殿下たちが集めて、おすそ分けしてくれたもので十分まかなえました。
正直、いちから材料を購入していたら……私、破産してました。」
「……魔術塔でも騎士団でも――貴女を早いうちに囲い込まなかったことが、悔やまれるな。」
殿下は残念そうに眉を下げるが、私は首を横に振った。
「そう言っていただけるだけでも嬉しいです。
さあ、その護符を胸か腹の素肌に直接貼り付けてください。これも効果は一日間。稼働中は肌と一体化して剥がれません。」
屋外だったが、それぞれ服をたくし上げたり手を差し入れたりして護符を貼り終えた。
いよいよ――『女神の祭殿』へと向けて、私たちは出発した。
道中は特に異変もなく、ユリウスと二人乗りで昼過ぎには祭殿前に再び立つことができた。
祭殿は相変わらず静謐な空気の中で、塵一つなく白く輝いている。
だが、以前は神秘的だったその姿も、実態を知った今となってはただ薄気味悪い。
私は魔術面、二人は騎士としての鋭敏な感覚で索敵する。
「俺たち以外に気配は――ないね。」
ユリウスが言い、ルキアス殿下もうなずく。
「魔力も私たちとこの場に元々あるもの以外感じません。
前回の探索を考えると、あの黒衣の男はアレヴィシアかアミラ皇女の暴走後に転移してきたのでしょう――おそらく彼女らの魔力だけを監視し、それ以外は対象外なのだと思います。」
私は慎重に魔力を探りながら言った。
「前回、彼が現れたのは、私がアミラ皇女の封印を解いてしまってから数分後でした。
イシュティナさんの救出と、女神アレヴィシアへの接触および構文の記入は――どちらが先になるかは状況次第になりますが……どのみち、奴が出現するまでにすべてを終えられる自信はありません。
ユリウスは私を援護して、黒衣の男から守ってちょうだい。
ルキアス殿下は援護しつつ、イシュティナさんを取り戻した後は状況に応じて離脱か参戦を判断してください。」
「わかった。イシュティナの状態によっちゃあ、一緒に叩かせてもらうぞ! 落とし前はつけなきゃなあ!」
腕をぼきぼき鳴らすルキアス殿下の隣で、ユリウスも力強くうなずいた。
「では……突入です。一応、慎重に行きましょう。」
私たちは前回と同じ、脇にある小さな通用口から入った。
相変わらず鍵は壊れたままで、難なく侵入できる。
聖堂の内部も索敵しつつ慎重に進むが、外と同じく、やはり何の気配も感じられない。
ただ一つ変わったことと言えば――
干からびた遺体が一つ、柱の陰に無造作に転がされ、その代わりに、アミラ皇女の隣席に――イシュティナさんが座らされていた。
「イシュティナっっっ!!」
「待ってくださいっっっっ!!」
ルキアス殿下が駆け寄ろうとするのを、一喝して制止する。
「すぐに触れるのは危険です。……今、分析します。」
「あ……ああ、すまない。つい……」
殿下はきまり悪そうに肩をすくめ、私の隣に立って慎重に玉座へと歩み寄った。
私はイシュティナさんの頬にそっと触れる。温かい――まだ生きている。
彼女の手を優しく握り、全身に術環を通じて私の魔力を流し込む。
《――解析開始。》
内心で告げながら、異常な魔力の乱れを慎重に探る。
「魔力回路が……所々おかしな変調がありますが、女神とはまだ完全には接続されていません。意識もただ落とされているだけ。封印も施されていません。
まだ……本格運用前といったところでしょう。」
私は振り返り、ルキアス殿下に告げた。
「殿下。取り戻せる可能性は高いです。」
「……そうか!!」
殿下の顔に、一瞬で安堵と希望が溢れた。
「で、俺はどうすればいい?!」
「これからいくつかの覚醒術式を教えます。それを順番通りに発動してください。
監視が緩いとはいえ、イシュティナさんが動き始めれば、あの黒衣の男も必ず動きます。
私はイシュティナさんの解放と同時に、アミラ皇女を通じて女神へ接触を試みます。」
「わかった!」
私は素早くルキアス殿下に術式を教え、短く手順を確認させる。イシュティナさんの分の護符もしっかり手渡した。
準備が整うと、深く息を吸った。
そして――今度は、神殿の玉座の中央に鎮座するアミラ皇女と対峙する。
隣で、ルキアス殿下の詠唱が始まった。
ユリウスに振り返ると、彼も私に力強くうなづく。
さあ、もう後戻りはできない。
私は覚悟して、アミラ皇女の両手の術環を自分のそれと重ねると、目をつぶって意識を魔力に載せ、地下に鎮座する女神へと潜っていった。




