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16 暗示解除は愛のはじまり

 会議室に残された私たちは、セドリックの置いて行った紙を前に途方に暮れていた。


 会議室は高い位置に明かり取りの窓があり、そこから差し込む日差しはもうだいぶ傾いて、黄色い西日へと変化している。

 残された時間はあまりない。


「俺は……アナが好きだよ?」


 ユリウスが私を見ながら言ってきた。


「……私も……ユリウスを好ましいと思うわ。

 だけど、この気持ちが魔法によって作られてるとしたら……」


「だからどうなんだよ。きっかけが何であれ、俺はアナが好きで、アナは俺が好ましいと思ってる。それだけじゃダメなのか?」


 ユリウスは、少し強い口調で言った。


「ダメ、じゃないかな?人として、そこは侵してはならない領分だと思う……」


 私が俯くと、ユリウスはツカツカと私のそばにやってきて、顎に指をかけて上向かせた。


「なんで?だって王子はどんな人が召喚されるか分からない中、召喚された者を愛さなければ、死んでしまうんだよ?そこでちよっと、女神が手を貸してくれたって、良いんじゃないかなって思う……

 それに、あいつが解き明かした術式が組み込まれていたとしても、本当に、“恋の魔法”っていうよりは、“恋の暗示”程度じゃないかな?」


 彼の瞳の奥まで見える近距離。

 ――あー、本当に、整った造形……瞳の透き通った蒼は、どこまでも深い。

 へそ曲がりな私をどこまでも甘やかしてくれて、好きという気持ちを差し出してくれる。

 私は、とっくに彼に堕ちていて、でもそれを認めたくなくて、彼を焦らす結果になってる。


 私のこの気持は……たとえ魔法が解けたとしても、消えないんじゃないかなって――


 そこで私は気が付いてしまった。


 ――じゃあ、魔法が解けたユリウスはどうなるの?


 彼には死の運命があるから、もし私に魅力を感じなくなってしまっても、私と契約しなくてはいけない……

 そして、彼にとって、愛しているフリで私をだますなんてきっと朝飯前だ……


 魔法を解かなければ、永遠に彼の好意が魔法のせいだって疑い続ける。


 魔法を解いてしまえば、彼の寄せる好意が私をだますためのフリかもしれないって疑い続ける……


 どっちに進んでも地獄――


 それに気が付いてしまったら、もうだめだった。


 身体からすーっと血の気が失せていくのが分かる。心臓が変な感じでバクバクいっている。

 眼を開ているのに、何も見えない。


「アナ?!大丈夫、しっかりして!」


 足腰から力が抜けてへたり込みそうになるのをユリウスが抱き留めてくれるけど、変な格好だったからか、二人して床にへたり込んでしまった。


「もぉっ……セドリックったら、なんてこと、暴露してくれるのよ……これじゃあ、魔法を解いても解かなくてもユリウスを信じられないじゃないのよぉっ」


 八方ふさがりに絶望して、思わず本音がこぼれた。

 あー、目頭も熱い、涙もこぼれそうだ。


 でも、そんな私をユリウスは抱きしめてくれる。


「アナ、俺、本当に君が好きなんだ……この気持ちは、暗示を解いたって、絶対に無くならないって自信がある。

 ね、俺が信じられないなら、暗示を解こう。ずっと暗示かも知れないって疑っているよりは、暗示がないって事実だけでも確定すれば気が楽になるんじゃないかな?」


「気が楽って、あんたねぇ――」


「でも、暗示を解けば、俺が君に本気だって証明する機会はあるけど、暗示が解けなきゃずっとこのままだよ……」


 机の陰になって、ユリウスの瞳が深海に続く海みたいに暗く暗く沈んでいる。

 そんな彼を見たら、胸が締め付けられるような気がした。


 解いても地獄、解かなくても地獄……なら、まだ一握りでも希望がある方に賭けるしかないよね……


 私は緊張で鼓動が早くなるのを感じながら、そっと彼の手を取る。


「――わかったよ、ユリウス……暗示、解いてみよう?」


「……いいの?」


「うん、いい。」


 私は言ってから、彼の指先にキスをしてみた。


「っ……」


 ユリウスの身体がビクッと跳ねた。私の心臓はこれ以上はないくらい早鐘を打っている。

 動悸と一緒に呼吸も浅くなる。

 ユリウスの身体にも、同じ変化が表れているのを感じる。

 顔を見上げれば、顔中真っ赤に高揚させた彼と目が合った。

 暗示が解けたら、この熱も引いてしまうのだろうか……


「アナ……もし暗示を解いて、俺たちの気持ちが変わらなかったら……先に進んでもいいかな?」


 ユリウスが、余裕の無い切なげな表情で私に請うた。


「先に進むって……」


 だんだんと、身体の芯まで熱くなっていくのを感じる。


「まずは――唇が欲しいかな……それから、契約もしたいし、気持ちも身体も、全部欲しい……」


 唇を親指でなぞられて、背筋に戦慄が走った。

 彼の声もかすれてる。


「一線を越えるのは、ちゃんと結婚してからがいい……」


「うん、わかった。君の気持ちを最優先にするよ――じゃあ、解いてみようか……」


 二人で向かい合って、両手を繋ぐ。

 恋情でグラグラして、ちゃんと詠唱できるか少し不安になる。

 ――これは恋の暗示の影響かな……

 二人の秘め事みたいな構図なのに、間にあるのがセドリックのメモというのが、なんだか気恥ずかしい。


「ユリウス……構文と術式は、覚えた?」


「ああ、完璧。いつでもいけるよ。」


 彼の答えを聞いて、私は手を一旦ほどいてメモを後ろに投げ捨てる。

 再び手をつなぎ直して、うなづいた。


 セドリックの術式の掛け合わせはよく考えられていて、おかしなところは特にない。

 メンタル面の調整に使われるような、術式がいくつか組み合わされている。

 私も同じ目的なら、きっとこの術を選んだに違いない。


 お互いに軽く目を瞑り、合わせた手のひらから魔力をやり取りしながら、二人で声を合わせて構文を展開してゆく。

 声は不思議とぴったり合って、ハモったときの響きが身体の芯を震わせる。

 やがて、彼の魔力が、癒しの魔法を載せてめぐってくる。そして、変な感じにほてっていた身体が落ち着きを取り戻し、頭の中がすっきりとしてくるのを感じた。


 詠唱が終わり、術が全て展開し、作用しつくしたのを感じながら、そっと目を開ける。


 眼を開けたのは同時だった。


 いつの間にか額を預け合うほど、顔が近づいていた。

 極至近距離――彼の瞳を、私はのぞき込んでいた。


「――っっ」


 息を吞んだのは、私だったか、彼だったか。


 彼の瞳に、私が映る。

 焦点が合い、頬に朱がさす。

 白皙の肌が、ゆっくりと赤く染まってゆく。


 その瞳に――情欲が、にじむ。


 魔法は、解けたはずなのに。

 それなのに――


 心臓が、痛いほど跳ねている。

 息が浅い。

 短く吐く呼吸は、どちらのものかすらわからない。


 むしろ、さっきより身体が、反応している――。


 彼の瞳に映った私は、

 完全に、物欲しそうな女の顔をしていた。


 こんな顔、見せたくない。

 でも――そんな私を見つめるユリウスも、

 余裕なんて、どこにもない顔をしていて。


 ……それが、どこか、嬉しかった。


 ――あ、私……ユリウスのこと、好きなままだ。

 そして、この顔を見てもなお、

 彼が私を欲しがってるなら――


 きっと、ユリウスも――。


「君が――好きだよ……」


 彼が、この上なく幸せそうに、でも、どこか切なそうに、消え入りそうな声で囁いた。

 身体の中を、歓喜の戦慄が駆け抜けて行く。


「私も……ユリウスの事……好き……」


 ため息のようにはき出すと、声が震えた。


 もしかしたら、暗示の構文は、変なストッパーになっていたのかもしれない、と思うほど、頭がクリアになった分、まっすぐに彼に気持ちが堕ちていくのが自分でもありありとわかった。


「暗示が解けても、変わらない――どころか、余計ひどくなった。

 ……アナ、本当にいいの? 今の君は、俺を好きって言ってくれたけど――それが、魔法が解けたせいだとしたら……」


「ばか……」


 私は苦笑して、彼の手を引き寄せた。


「暗示が解けて、頭はクリアになったのに、気持ちは、ずっとユリウスに堕ちたままだよ」


「……じゃあ、約束通り、君の唇をもらえないかな……、君に口付ける最初で最後の男になるからさ。」


 私にねだる彼が可愛くて、私は彼の頬に手を添えて、自分から彼の唇を奪う。


「んっ」


 彼は一瞬ひるんだが、


「僕から口付ける楽しみを奪うなんて、悪い子だね……」


 と、獰猛な顔を見せて、今度は彼から、まるで口から魂を吸い出してしまいそうなほど、深く激しいキスをくれた。

 私は必死で彼にしがみついて、やがて私たちは会議室の床の上で、もつれながら抱き合った。


 陽はすっかり傾き、薄暗くなった室内に、二人分の吐息が響く。


 ――あの状況で、祝言を上げるまで純潔は守る、と言った私を尊重してくれた彼の胆力には頭が上がらない。


「……早く契約して、結婚式も挙げよう――」


 暗くなった室内で、私を背中から抱きしめながら、彼は切実な声で言った。



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