15 「好き」は魔法かもしれない
「では、この構文の読み方はわかるかな?――そう、それは、四層目を足掛かりに三層目に反復して――」
「なるほど、ではこの構文は、四層目前半の時間軸指定の部分が三層目の因果律の検索に共鳴して、聖女の状況からの選別を行っていると――」
「そうそう、だから、異世界からの転移者はその命に危険が迫っている状況の者が選ばれる可能性が高いんだ。」
「――なぜ……ああ、そうか。その世界からその瞬間か、少し後に死ぬ運命にあるから、その世界からいなくなっても、転移元の世界の因果律に最低限の影響で済むのか……でも、なんでそこまで設計されているんだ……?」
「うーん……異世界に、こちらの世界が住民を盗っていることを気づかせないため?それか、異世界への影響を最小限に抑えるため……なんて、こっちの世界としてはどうでもいいよな。」
「あ――、例えばさ、死の間際にある人間をこちらの世界に連れて来れば、元の世界に帰りたくないって思うんじゃないかな?王子が契約前に振られたり逃げられる可能性が減る……とか?」
「実際の異世界からの聖女で確認してみよう……例えば、王国暦95年に召喚された、第五代国王王妃のナギサ陛下……彼女は、ニホン国の暦でヘイセー二十三年第三の月十一日目のケセンヌマという都市から召還された。
彼女は十五歳でチュウガクセイという身分だった。彼女のいた都市は大地震に襲われ、海から襲ってきた大波に巻き込まれ、死を覚悟した瞬間に、召喚されたとの伝承がある。
ナギサ陛下は、生涯元の世界に帰り、また大波に襲われることを畏れていたという……」
「こちらは、王国暦472年に召喚された第二十代国王王弟殿下の聖女カリネァ殿下。カーギンダル帝国の皇女だったが、帝国暦二百六十八年、地方都市で暴徒に襲われ、処刑場へと引きずられていく途中で召喚されたと記録されている。
……彼女は、“あの国に未来はない”とまで言って、帰還を拒んだそうだ。」
「ふむ……一方は災害、一方は政変……どちらも命が脅かされている。しかし、この世界からの召還者は――アナスタシア嬢をはじめ、命の危険は無い状況からの召還だ……この違いはいったい……」
喧々諤々と議論が進む中、必死に食らいつこうと聞き耳を立てていた私に、急に注目が集まった。
「わ……私は、特に心当たりは――、どこかに、どの世界から聖女を選ぶかの分岐となる構文があるのではないですか?」
「そうだな、じゃあ、この四階層の時間軸指定の前に発動する箇所を探そう。」
優し気に微笑んだのはカイレル・アルセノール公爵令息だった。
「しかしなぁ、詠唱される術式の順番が分からないのは地味に痛い……」
腕を組みながら頭を抱えたのは某伯爵令息。
本当にこの場では、身分や年齢は関係なく、等しく発言することができる。
「俺も発言していいかな?」
突然手を上げたのは、ドアの傍で静かに立っていたユリウスだった。
『極秘の勉強会』の面々は一瞬顔を見合わせたが、ミルドア先生がうなづいた。
「いいだろう。ユリウス殿下は当事者として何か思うところがあったかな?」
「はい、推測の域は出ないんだけど――聖女の選定は、王子との物理的な距離が近い所から検索されるんじゃないかなって。
高位貴族の間では、召喚の儀に臨席した方が召喚される確率が上がる、などとまことしやかにささやかれているし、召喚の儀の前に、聖女召喚にはタイムラグが発生することがあると説明を受けた。
何より、召喚されたアナスタシアは驚くほど俺の――顔も、声も、性格も、すべてが理想のど真ん中で――」
「あああああああああああっっっストップストップ!」
私は慌ててユリウスの発言を遮った。
あーもー、こんなところでそんな発言……恥かしいやつ!!
私が赤面しているのを、会のメンバーは面白そうにしている。
はぁぁ、たまんないなぁ……
冷や汗をかいていると、ミルドア先生が手をたたいた。
「盛り上がってきたところ残念だが、そろそろ時間だよ。
それでは、次回はまた三日後に。話題に上った四階層の時間軸指定の前に発動する箇所について、各々考察を行ってくること。」
ミルドア先生の言葉に各々返事をすると、持ち物を片づけ始める。
私も皆に倣い、筆記用具をカバンにしまった。
私の隣にはもうユリウスが立っていて、私が出られるのを今か今かと待っている。
「片付いたわ、行きましょう。」
部屋を出て、図書館のバックヤードの廊下を歩く。
角を曲がったところで、一人の男と鉢合わせした。従兄弟のセドリックだ。
先日のこともあって、少し気まずい。
「アナスタシア、今ちょっといいかな。」
彼は言いながら、私ではなくユリウスを伺う。
ユリウスは不満そうにしているが、私に問うた。
「俺が同席するならいいよ?」
「ああ、ユリウス殿下にも同席してほしい。」
彼は、ひどく真剣なまなざしで私たちを見る。
私に断る理由はない。
「いいわ」
私が言うと、彼はあからさまにほっとしたような顔をして、
「部屋を押さえてある。そちらで――」
と言った。
セドリックは、私たちを会議室の一つへといざなった。
そういえば、セドリックは今日は異様に静かで、議論にも参加していなかった。
私がそんなことを考えている間に、彼は会議室の扉に施錠し、防音の魔法を展開させる。
何か、他に聞かれたくない話なのだろう。
セドリックは机の上に、例の召還魔法を大きく書き写した紙を広げた。
「これ、昨晩考えていて気づいたんだけど――二層目にあるこの構文と、三・四層目の一部構造を、一層目と五層目の“接続句”を起点に見ていくと、ある種の三連構文として浮かび上がってくるんだ。……わかるかな?」
セドリックが該当箇所を指さして言った。
私はやや難解だったが、言われたとおりに構文を読んでみる。
「んー……精神操作系、だよね、どれも……。一つは――何かを思い込ませる……これは認知的操作構文。もう一つは……魔力の刺激条件を設定してる、って感じ?」
私がセドリックに視線を移すと、彼は眉間にしわを寄せて一冊のノートを開いて差し出す。
「これが、この三つの構文だけを一層分にまとめて書き写したものなんだけど……
一つ目は、王子聖女双方の感応因子を調整する構文。これにより、王子聖女双方が、相手が自分の好みに合致するように感じたり、デジャヴや運命のようなものを錯覚させるような働きがある。」
セドリックが指している一番上に書かれた構文は、彼の解説どおりの設計になってるのがすぐに分かった。
慌てて、元の魔法陣の原文も読んでみるが、なるほど書いてある通りだ。
「二つ目の構文は、魔力系統に作用するものだね。簡易的に魔力の接続を行い、相手の魔力を快と感じ、物理的な距離により魔力の接続強度を連携させて、離れると不安に感じさせ、お互いへの依存を強める」
指し示された二つ目も解説どおりだ。
「三つ目は、選択錯覚……相手に好意を寄せ、選び取ったのは自分である、と錯覚させる。これにより、自分の気持ちが儀式により植え付けられだものだと気づくことはなく、自分の選択を疑うことはない。
これ以外にも、細かい構文がちらほら関係していると考えられるが……、どれも王子と聖女が自発的に相手を好ましく考えるよう仕向け、その企みを覆い隠すような構文となっている。」
「ちょっと待ってよ……、セドリックの言ってることが本当なら……」
私は言葉に詰まる。
が、セドリックは容赦なく先を続けた。
「アナスタシア、君ならわかるよね?この構文、巧妙に隠されてるけど、つまりは――」
嫌だ。聞きたくない……
私は縋るような目でユリウスに視線を送る。
彼もまた、私を信じられない、信じたくないと物語る眼差しで見つめていた。
「まるで恋の暗示…魔法によって、王子と聖女、お互いに惹かれ合うような、そんな構文だ。」
セドリックの声が、膜を通したように、現実味なく耳にこだまする。
私の気持ちが、召喚によって操作されていたのだろうか。
自覚して、やっと認めたこの恋心が、全て作り出された幻想だとでも言いたいのだろうか?
私の懊悩が、全ては思い込まされた産物だったのだろうか。
呆然と立ちすくんだ私の前に、セドリックは一枚の紙を差し出した。
「これを君たちに渡すよ。階層ごとに組まれた恋の暗示を、段階的に解除する魔法だ。二人で発動すれば、精神に影響する構文だけを取り除ける。“好き”という感情が、本物かどうか……確かめられるはずだ。」
セドリックの表情はあくまでも私を心配している、とありありと語り、慈愛に満ちていた。
ユリウスは、驚愕と疑念の入り混じった目で、セドリックと、その手にある紙片を交互に見つめていた。
「先日も言ったけど、アナスタシアは王子妃なんかには、惜しい女性だ。
恋心を消せば、正しい道が見えてくるかもしれない。」
彼はそこまでいうと、席を立ち、防音の魔法を解いて、ドアに向かった。
「じゃあ、僕はここまでだ。この部屋は図書館の閉館まで借り切ってるから、その解除魔法を使って、確かめてみるといいよ」
彼は、あくまでも親切そうに言い残し、ドアを閉め出て行った。
私もユリウスも、彼を見送って、残された紙片を眺めた。