14 女神はどこにいる?
夕食後、私は自室に戻って手帳を見返していた。
最近使い始めた手帳で、ミルドア先生のプロジェクトに参加するのに新しく購入したものだった。
のだが……最初の方は、聖女に召喚された直後の、……とりとめのない心情ばかりを書いてしまった。
まあ……それはそれでいい。
「表層を読み取る――か。」
私は頬杖をついて、その魔法陣と向き合った。
表向きは、王子の血液を媒介にして、魔力的に相性のいい相手を、多次元のレイヤーから抽出して、転移させる。かなり乱暴に言えば、そんな感じの魔法が重ね掛けされているように見える。
でもさ、とりあえず見えるのは、それだけなんだよね。
国民の間で流布されている俗説に、「召喚した王子は、召喚された聖女と必ず恋に落ちる」っていうのがある。
実際召喚されてみて、ルキアス殿下とイシュティナさんが惹かれ合っているのも目の当たりにしているし、ユリウス殿下は私の外見が―――その……とても好みだ、って言っていたし……自分の心理状況を分析してみれば、―――
ああああああ―――、良いですよ、いいですっ!
好きですよっ!
面食いであることに絶望した夜もありました。けれど、はい、認めましょう。
ユリウスの外見は私のど真ん中です。はい。
それに、あの、強引で、遠慮ない言葉の応酬にも――はい、トキメいています。はいっ!
だからさぁ、魔法陣には、もう表層から、王子の好みを探るような脳内検索型の高度な術式が、これでもかって盛り込まれているのかと思ったのよ……
だからこそ、なんか怪しい。
なんで、そんな入っていて当然の術式が見えないのか。
魔力の一致が、容姿の好みに一致する――なんて可能性ないかもしれないけれど……全然理論的でない。
どうする?もっと徹底的に表層を見る?
ミルドア先生は、あえて「表層」と言っていた。そこに意図はあるのか?
私は、ちょっとだけ――その下の層を覗いてみることにする。
魔法陣の「下の層を見る」というのは、書いて字のごとく、ではない。
魔法陣は平面で表せるが、魔法陣の偏光スペクトラムを利用した――
だまし絵を見るように、ちょっと視点を変えると別の層が見えてくるのだ。
その見るコツは階層ごとにあって、その見方で層位番号が付けられる。
うーん、この魔法陣は、全部で五層構造。複雑な部類だが、それぞれに記載されている構文は高度ではあるが特殊か、というとそうでもない。
そして、もちろん、王子の好みを探るような構文は見受けられない。
「うーん……異常がない……いや、異常がないのが異常だわ……
何でこの構文の重ね掛けで、人間を、この世界だろうが異世界だろうが構わずに、召喚できるのよ。」
――……私、表層に騙されてた?
一見すると、聖女を異世界からでも召喚できそうな構文だ。
だけど、冷静になれ?
本当にこれで、人間を、多次元間転移できるのか?
そして、世界を渡った乙女は、女神の恩寵を受ける―――
あれ?女神はどこだ?
私は気が付いてしまった。
おかしい。この構文はおかしい。
いや、文法が間違っているとかではない。怖いくらい整っている。
だが、魔法陣のどこにも、なぜか女神の恩寵を引き出す文言がない。
え、だってさ?聖女召喚って、女神との約束で、この国の王子のみが行える秘儀なのよ?
その召喚には、当然のように女神の力を最大限お借りする、そんな構文があっておかしくない。
いや、なければおかしいのだ。
そもそも、こんな表層の術式構文のみでは、生命体を多次元転移させるなんて、机上の空論なのだ。女神の介添えがあって初めて、叶う構文なのに、女神がいない。
でも、女神は召喚で、確かに力を貸していた。
そうでなければ、王宮図書館から私を万が一にも転移できたとしても、隣国からイシュティナを転移させることは絶対に不可能だ。
ここから考えうること……
この魔法陣には、まだ知りえない別の見方で見ることによって浮かび上がる、見えない層が存在しているという事。
そして、その見えない層にこそ、女神がおり、一見何の変哲もなさそうな術式の詠唱がトリガーの可能性になっている、という事だ。
でも、私は、詠唱を知らない。手掛かりはこの魔法陣のみだ。
一瞬、召喚の儀の令嬢枠を欠席したことを後悔したが―――そもそもあの場にいたら、この魔法陣がミルドア先生たちによって観測されることが、なかったのだ。
たぶん、見えない層には、女神の構文が必ず書かれている。だから、女神を探せば、必然的に見えてくるはず―――
魔術構文は、魔法陣において可視光線でのみ反応する領域のスペクトルで記載されなければ発動しない。
通称、「光観測視認起動の法則」に感謝しつつ、私はその夜、改めて新しい見方を見付けようと、表層を夜が更けるまで観察した。
私が参加する最初の『極秘の勉強会』は、あれから三日後に行われた。
ユリウスは約束通りついてきて、部屋の扉の近くに本当に騎士よろしく控えていた。
私はみんなが集まるまでノートを見返しながら、独り言ちる。
「ったく……誰よ……一層目を起点に三層目に引っ掛けながら五層目と読む、なんて、しち面倒臭い読み方を考えた奴は……」
読み方を見つけたのは、昨日の夜。どう考えても解読は間に合わず、表層の一部のみの解読となった。
「ガルナシオン王朝時代の術式士たちさ。」
背後から声がした。
ガラトゥス・ミルドア先生だ。
「君はオルディウス・フィレウスの著書は読んだかね?」
「すみません、存じ上げなくて……」
振り返って詫びた。
知らなかったのは、恥かしかった。
「いやいや、あれは上古神聖文字で書かれているものしか現存していなくてね、今の術式理論学とも大きな相違点があるから、なかなか読んでも価値がないと思われてしまってる上、偽書だという輩もいる始末で……まあ、読んでなくても当然だよ。」
言いながら先生は、一冊の本を取り出した。
私はそれを受け取り、パラパラと中を見る。
なるほど……全編ガルナシオン時代に神官たちの間で使われていた上古神聖文字だ。
「これは、二百年ほど前の写本なのだが――実は、このオルディウス・フィレウスは、術式魔法研究学会の創設メンバーの一人でね。今のヴァルトリア朝が成立する50年ほど前に活躍していたらしいが、記録はほとんど残っていない。
しかし、この著書を見ると、800年前のガルナシオン王朝後期に使用されていた術式体系の一端をうかがい知ることができる。」
先生は私から本を取り上げると、パラパラとめくってあるページを私に見せた。
「ここだ。今とは違う偏光パターンの魔法陣に関する記述がある。特定の光の波長をカットする偏光板を通してのみ浮かび上がる術式が当時流行していたと……
聖女召喚の魔法陣を見たときに、すぐにこれを思い出したのだが……
君は道具も手掛かりもなしで、これに辿り着いたのだね。いや、その観察眼には驚かされるばかりだ。」
ミルドア先生はニコニコと私を見ている。
――いや、先生もお人が悪い……
「“女神”の定型文を足掛かりに、構文が意味を成す屈折点を探ったのです……
――すっごく、苦労しました。すっかり寝不足ですよ。」
「しかし、苦労して覚えたことは忘れんだろう?」
「まあ……」
私が苦笑いをしていると、お弟子さんたちや助手たちもわらわらと集まって来た。
「やぁ、君もミルドア先生の洗礼を受けたみたいだけど……
え?その本が出てるって、あれをクリアしたのかい?すごいな。こりゃ、将来有望だ。」
この前の解読チームで発表した“アルセノール君”が、ミルドア先生の持っている本を見て言う。
「えーと……」
名前が分からず困っていると、彼は握手の手を差し伸べながら言ってくる。
「カイレル・アルセノールだ、よろしく。」
私は彼の手を取りながら言った。
「アナスタシア・ノルヴェールです。」
言ったとたん、ドアの方からなんか、殺気が飛んできた気がした。
たぶん気のせいだ……
「うん、知ってるよ。第三王子殿下の聖女でしょ?まさか、王子殿下直々に護衛にいらっしゃるとは思わなかったけどね……なんかあった?」
「ははははは」
そらした視線の先に、偶然セドリックが見える。
あー、なんて間の悪い。
今日の彼は、扉の方を気にしつつ、なんだか顔色が悪いようにも見えた。