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13 この夜を越えても、好きはまだ言わない

 帰りの馬車の中、ユリウスは私を抱きしめたまま、一言も口をきかなかった。


 彼は怒っていた。

 すごく怒っていた。

 明らかに怒っていた。


 私は――

 それを背中に感じながら、深く反省していた。


 セレノア宮に着いた時、侍従たちも侍女たちも、みんな驚いたように私たちを見た。

 だけどユリウスは、そんな視線を一切気に留めないまま――

 まるで当然のように、将来の夫婦の寝室になる部屋へ、私を“連行”した。


 王立図書館から、セレノア宮までは、そこそこの距離があったはずなのに、

 その間、彼の怒りは……少しも、収まっていなかった。


 私は――――

 覚悟しなければならない……



 ダブルベッドの上に押し倒されるようにして、私は組み敷かれていた。

 両手を押さえつけられ、動けない。

 動く気もなかったけど……


 突然彼が動いた。襟口の素肌が見えていたところに歯を立てられた。


 痛い……たぶん歯形が付いた。


 それから彼は荒い息をついて、噛み痕に唇を寄せると、押し殺したような声で言った。


「……ねぇ、昨日の今日、どころか、今朝の夕方で言い寄られて口説かれてるって……どういうこと?」


 ユリウスの囁きは、熱い吐息とともに耳に落ちた。


「セドリック・クルーゼン子爵令息とは、どんな関係?」


 ユリウスの声は、冷たく沈んでいた。

 私の身体を押さえつけたまま、ゆっくりと問いかけてくる。


「従兄弟よ。母の妹の子」


 私は、視線を外さずにそう答えた。


「――そうじゃない。もっと……特別な間柄だったんじゃないのか?

 結婚の約束をしていた、とか……」


 彼の視線が、どこか揺れていた。

 私の上に重なる体が、言葉とは裏腹に、震えているように思えた。


「そんな間柄じゃない。そんな約束もしてない」

 私の答えは、簡潔だった。

 でもその言葉に――彼の指先の力が、ほんのわずか、強くなった気がした。


「その割には……君は警戒していなかったし、むしろ――親し気だった。

 信じられないな」


 彼が、重心を移動した。

 体重が下腹に掛かり、ベッドがきしむ。


 私は、諦念の中でまぶたを下し、覚悟を決めた。


「ごめん、うかつだった。セドリックとは幼馴染なの。彼が――

 彼が、そんな風に私を思っていたなんて、本当に知らなかったの。」


 私は、彼が分かるように、意識的に身体の力を抜いた。


「……あなたの気が済むなら、いくらでも私を罰してくれて構わない。

 ――あなたの……好きにして……」


 私は眼をつぶったまま顔を横へと向けた。


 しばらく沈黙が寝室を満たす。

 永遠かとも思えるその後……


 ユリウスはゆっくりと私の上から身体を起こした。

 少し驚いて、そっと目を開けると、泣きそうな顔のユリウスと目が合った。


「ごめん……君に、そんなこと言わせたいわけじゃないんだ……」


 彼は私を優しい手つきで抱き起すと、しっかりと抱きしめてくる。


「わかってる……俺が嫉妬しているだけなんだ……

 君の言っていることが嘘だとは思えないし、思いたくもない。

 だけど……君が、あんなふうに他の男に言い寄られているってだけで……おかしくなりそうだよ。」


 ユリウスの心が悲鳴を上げている。

 私は――

 彼にこんな顔させたいわけじゃない。

 こんなこと――言わせたいわけじゃない……


 私は――――


 覚悟しなければならない……


 ようやく手に届きかけたのに……

 手放さなくてはいけない。

 私の学徒としての路……知への探求……


 でも、それよりも私は、ユリウスが―――


「ごめん……もう、………もう、行かな――」


「ちがうっ。君に、そんなこと言わせたいわけじゃないんだ……」


 言いかけた言葉をユリウスが遮った。


「そんなこと、言わせたい……わけじゃない。

 俺のために、君の夢を……あきらめるなんて……」


「……いいのよ?ユリウスが壊れてしまうくらいなら私――」


「それでも、だめだ……

 俺は、君の価値を真には理解してなかったと思う……今日の彼の言葉で、ちょっと目が覚めた。」


 彼はぎゅっと一回強く抱きしめると、私から身体を離す。


「俺はただ……俺の聖女が召喚されて、

 その子が本当に俺好みで、可愛くて、どうしようもなくて――


 聖女として召喚されたら、無条件に手に入るって、どこかで奢っていたかもしれない……


 アナにも、それまでの生活や、好きなもの、頑張っていたこと、将来の夢――

 そんなものがあって当たり前なのに……

 俺は、それを奪っても当然だって、無意識に思っていたんだ……きっと」


「ユリウス……」


 かれの視線を真正面から受ける。

 彼は微笑んでいた。


「でも……俺も到底君を諦めたり、ましてや他の男にくれたりなど――できるものか。

 絶対に君を手放さない。だから――」


 彼は、もう一度私をその胸に抱きこむと、耳元で囁く――というよりも、言葉を捩じ込むように言った。


「俺が君の護衛をするよ。俺も――第一騎士団の騎士だからね。」


 ………………………はい?


 ―――――――ええっっっ……


 まさかの王子様、専属騎士宣言ですか?!

 ええ、もう、純潔を散らす覚悟でここに来ましたが、まさかの護衛宣言ですか?


 いや、私を尊重してくれたのは、大変うれしいですが……


 でもねぇ……


 頭の中で猛烈に突っ込んで、ようやく口から出た言葉は……


「―――仕事は、大丈夫なんですか?」


 私の顔を見つめて、ユリウスは唖然としていた。

 しばらくして、ぶふっと吹き出す。


「たまんないなぁ……俺が、全部呑み込んで、一大決心したというのに君ってやつは――あー、好きだぁ」


 彼は私を押し倒すようにベッドに転がると、私の首筋に顔をうずめて頬ずりをする。


「本当に、君のそういうとこ、好き。」


「それはどーも……」


 照れ隠しでそっけなく言った。きっと私の頬は真っ赤なんだろう。


「――仕事は大丈夫だよ?まあ、どうしても抜けられないってときは悪いけど、大抵のことは何とでもなる。」


「……あんまり、副団長さんとか……困らせちゃだめですよ?」


「はは、やっぱりアナはお見通しかぁ。」


 ユリウスは上体を起こして、私と目を合わせる。


「さっきはごめん、怖かったよね。ちょっと頭に血、上ってた。」


「……まあ、私も、悪かったし……」


 ちょっと気まずくて、私から目をそらす。

 そらしたのに、ユリウスは私の視界に顔を下ろしてくる。


「さっき、覚悟したでしょ?俺に抱かれるって。」


「なっっ!」


 思わず彼の顔を見て、赤面した。

 彼は、ちょっとしてやったり、という顔をしてから、また微笑に表情を戻す。


「嬉しいけど……やっぱり、アナも俺の事好きってちゃんと言って、ちゃんと契約してからがいいな。」


「………っっっっ」


 彼はまた私に体重を預けてきて、耳元でしゃべる。


「どうする?今好きって言ってくれたら、最短で契約の儀、手配するけど――」


「あのねぇっっっ!」


 私が慌てると、彼が笑う。


「冗談だよ。大丈夫、ゆっくりでいいよ。

 俺、待ってるから。アナが俺の事、好きって言ってくれるの。」


「さ、夕飯にしようか」とユリウスは軽く言って身を起し、私の手も引いて起してくれた。


 …………あーもー……ばかだね。


 私はとっくに……あんたに堕ちてるのに……


 でもまだ言わない。


「うん、ご飯にしよう」


 私も笑った。

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