10 聖女は学びたいのです
私は朝食の席でユリウスに声をかけた。書簡を送ってから数日後、ミルドア先生から王立図書館での作業日程が送られてきて、都合の合う日に自由に出席してかまわないという事だった。書簡を貰ってから、今日がその第一日にあたる。
「……あの、今日、外に出たいの。護衛もつけるし、行き先も伝えるし、ちゃんとするから。」
ユリウスはスプーンを置いて、静かに私を見つめた。
「どこへ?」
「ガラトゥス・ミルドア先生に、会いに行きたいの。……私は、あの人のもとで学ぶために、本当に必死で準備してきたの。召喚で全部、何もかも変わっちゃったけど……
聖女としてやるべきことがあるなら、それもちゃんと向き合うつもり。でも――」
私は息を詰めて、言葉を絞り出した。
「お願い。行かせてほしい。」
ユリウスは、しばらく内面を読ませない微笑で私を見つめ、それからゆっくり口を開いた。
「……その先生を、ここに呼ぶのじゃダメ?」
「ええ、実は――ヴィスレム旧区の地下遺跡からガルナシオン王朝時代の古文書が大量に発見されて、王立図書館で保存修復と解読が、先生の主導で行われているの。
召喚されたあの日がちょうどその作業初日で……先生に挨拶した直後だった。
プロジェクトは数年がかりって言われてるから、今から参加してもまだ間に合う。
お願い、行かせてほしい。」
「ミルドア氏と二人きり――ではないんだよね?」
ユリウスが探るような眼で言う。
「……え? あ、はい。他にも助手や弟子が同席すると思うけど……」
「その助手とか、弟子って、若い男、だよね?」
――えーーーっっっ、そこ気にする?
「……一応、聖女として召喚された自覚はあるから……そういった間違いは起きないわ。
皆、崇高な学問の僕よ。バカなこと言わないで。第一、私なんかに構ってる暇がある人、あの現場には一人もいないわよ。」
「……わかった。じゃあ、第一騎士団から信頼のおける既婚者の騎士を護衛に着けよう。僕も今日すぐにとはいかないけれど、近いうちに挨拶させてもらいたいね。」
ユリウスは、やはり表情を読ませない微笑を湛えている。
――うーん、これ完全に、嫌々許可したって事よね……
「ありがとう。護衛がいるなら私も安心だわ。でも、作業中に常に張り付かれるのも困るんだけど……」
「それは心配ない。護衛対象に負担をかけないのは、基本だからな。」
それからユリウスはスプーンを取り上げて食事を再開しながら、
「君が他の男と万が一何かあったら……文字通り、俺がタダじゃすまないから、肝に銘じて置いてね?」
と言った。
最初私は、その言葉を執着やいつもの口説き文句か何かだと思ったが――
おそらく聖女が他の男と何かあると、王子に魔力的にダメージが来るのだと思い当たり、ゾッとした。
……それは「冗談だから」じゃなく、「本当にそうだから」、言ったんだ。
私だけ、じゃなく、自分自身を含めての――警告だ。
第一騎士団から今日護衛をしてくれる優秀な騎士さんの到着を待って、王立図書館へと向かう。
騎士も個人的な繋がりを持たないようにと日替わりで変えると宣言される徹底ぶりだけど……
私、そんなにモテないよ?
ユリウスは本当に心配しているけれど……
――まあ、契約前に有力貴族に手籠めにされたって聖女の王子は、魔力暴走起して死んだって話もあるみたいだし……当然の自衛よね……
……自衛……なんだよねぇ……
そこに一抹の寂しさを感じるあたり、私も大概だけど。
王立図書館へ行けば、馴染みの司書さんが聖女召喚祝福の言葉と共に、関係者以外立ち入り禁止の区域に案内される。もちろん騎士もついてきた。
案内されたのは、あの日あの時、私が召喚されたあの部屋。
ミルドア先生と、すでに到着していた助手や弟子たちが、黙々と作業に取り組んでいた。
違うのは、もう机の上に古文書が広げられて、断片になっているものは破片を探してつなげたり、裏打ちされて扱いやすくしている作業の途中である、ということだ。
一方の机では、破れた断片を元に修復を進めるチーム。
もう一方では、解読に特化したチームが、ミルドア先生を囲んで熱心に議論を交わしている。
その中には、どちらの作業にも関わりたいと志願した好奇心旺盛な弟子たちもいて、現場は思ったよりも柔軟に動いていた。
「やあ、ノルヴェール君。聖女召喚おめでとう。聖女として選ばれてもなお、学徒として我が門戸をたたいてくれたことをうれしく思うよ。聖女として、王子妃として忙しい身ではあろうが……君が学問の僕である限り、私は君をいつでも歓迎しよう」
ミルドア先生はあの日のように握手の手を差し伸べてくれた。
――胸に響くありがたいお言葉!
思わず涙ぐみそうになる。
「はい!誠心誠意がんばります!よろしくお願いいたします。」
私は今度こそ、先生の手を取った。
午前中は、修復チームに加わらせてもらった。
その日そちらには、従兄弟のセドリックが参加していて、私の指導を担当してくれることになった。
古文書を読むことももちろん大切だが、それ以前に――「本物の資料をどう扱うか」という基礎的な部分を、実際の現場で学べるのは非常にありがたい。
破損文書の修復技術にも以前から関心があったし、緻密な手作業を通じて、文献と真正面から向き合えるのが心地よかった。
今後も、解読だけでなくこちらの作業にも積極的に参加したいと思った。
昼食はセレノア宮からわざわざ侍女が軽食を、なんと人数分届けてくれて、先生をはじめとして皆でとった。
ユリウスの計らいで、今後私が調査に参加する日は毎回届けるとのことづけがあり、助手たちは「王城のご飯が食べられる!」と色めき立っていたが……
たぶん、私が毒見をしていないものを口に入れないための配慮だと思う。
言わないけど。
何となくその軽食を、ユリウスの牽制とも思えて、うれしいような、なんというか……複雑な気持ちだった。