09 私は、まだ何もしていない
「はじめまして。ルキアス殿下の聖女として召喚された、イシュティナと申す。ザガル=アルダ帝国の戦士だ!よろしく頼む!」
ルキアス殿下の隣に立っていた美女が、快活な笑みとともに握手の手を差し伸べてきた。
「はじめまして。アナスタシア・ノルヴェールです。」
私はその手を取りながら、彼女を失礼にならない範囲で観察する。
褐色の肌に、燃えるようなオレンジの髪。
陽光を宿すような金色の瞳。
出るところは出て、引っ込むところはしっかり引っ込んだ、絵に描いたような戦士体型。
――とんでもない美女だった。
ユリウスとは一卵性双生児だというルキアス殿下は、成人してから武人として鍛え上げられた身体つきと、ワイルドな風貌で、今では兄弟でも全く違う印象を与える。
ルキアス殿下とイシュティナ聖女――
戦う者同士、立っているだけで絵になるほど、お似合いだった。
……あー、もうこれ、私とイシュティナさん、どっちがどっちの王子の聖女だか、調べるまでもないよね。
ルキアス殿下、やっぱりこういう戦士タイプが好きなんだ。
召喚された時はびっくりしていたけど、もう打ちとけたのかな?武人同士ってすごいな。
――などと、余計なことを考えていた。
「ユリウス!いくら自分の聖女にベタ惚れだからって、親父への挨拶も済まないうちにやることやっちまうなんて、感心しねーな!」
ルキアス殿下のあけすけな物言いに、心臓が嫌な跳ね方をした。
「だからー、残念ながらアナとは何にもないのー。お前も王子ならわかるだろ? 契約前に手ェ出すなんて、野暮な真似しないっつーの。昨夜はちょっと事情があってだなあ。」
ユリウス殿下の口調は、私と話す時とはまるで違った。
どこか粗野で、男っぽくて……でも、不思議と嫌じゃなかった。
兄弟仲がいいんだな、とか、騎士団に入ってるとこういう喋り方になるのかな、とか。
それとも、私の前では、かっこつけてるのかな?
……なんて、思ったらちょっと、くすぐったい気持ちになった。
「お前こそ、イシュティナ聖女に何かしてないだろうなぁ」
とユリウスが軽口をたたいたら、イシュティナさんの顔つきが変わった。
と、気が付いたら、ユリウスの喉元に短剣が突きつけられている。
「貴様。いくらルキアスの弟とはいえ、私の純潔を疑うとは……」
その声は低く、冷たかった。
「次に私を侮辱するようなことを口にしてみろ。首と胴が繋がっている保証はない」
「ひぇっ……おっかねぇ……」
ユリウスが両手を小さく上げて降参のポーズを取ると、
イシュティナさんは無言で短剣をしまった。
……私も、言動には気をつけよう……
「イシュティナ、ユリウスも冗談が過ぎただけだ。手加減してやってくれ。」
ルキアス殿下がとりなすと、イシュティナさんはちょっときまり悪そうに、頬を染めて頭を掻いた。
「冗談はさておき、親父にはそろそろあいさつに行けよ?なんだかんだ言って、聖女とうまく行ってないんじゃないかって、心配してらっしゃる。」
「わかったよ。近いうちに登城するよ。」
ユリウスの言葉にうなづいて、ルキアス殿下は私の方を見た。
「アナスタシア嬢、ユリウスの双子の兄でルキアスだ。こいつの事、よろしくたのむ。」
マメやタコでいっぱいのごつごつした手を差し伸べて、握手を求めてきた。
――武人の手だ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
これから、私は、この人たちとしばらくの間、セレノア宮で暮らす。
気持ちのいい人たちで、本当に良かった。
心の底から、そう思った。
国王陛下に謁見したり、聖女召喚の祝賀晩餐会が開かれたりと、忙しく過ごしているうちに、ユリウスの聖女召喚特別休暇(ユリウス談)が終わり、彼が朝から晩まで私につきっきり、という事はなくなった。
休暇中、彼はずっと私に猛アプローチを仕掛けてきていて、何度私は彼の腕の中に……堕ちそうになったかわからない。
けれども奇跡的な回避力で、最後の一線(やましい意味じゃないっ!)を死守して、休暇の終了を迎えたのである。
正直、四六時中張り付かれて、うっとおしいことこの上なかった。
トイレの戸の前で待たれた時は、さすがに王子様だろうが、張り倒してしまった。
でも――こうして、久しぶりに一人になると……
何だか寂しい。
人の気配がすると、彼じゃないかって、つい振り向いてしまう……
…………うん、わかってる。
………………わかってるよ。
……………………たぶん私、とうの昔に……
あの人に堕ちてる。
でも、まだ。
この気持ちを、はっきりさせたくなかった。
というか……まだ自分の中で、転がして、温めていたい最中で。
夜になって、彼が帰ってきても、私はまだ、何も告げないつもりでいた。
ユリウス殿下は、第一騎士団の団長だ。
名誉職とは言っていたが、ちゃんと団長としての仕事をしている――らしい。
一方、ルキアス殿下は「騎士団副総長」の名誉職を持っているそうだが、実際には近衛師団の特務部隊を率いて、王都地下の遺跡や、王城の北に広がる原初の森で、魔物狩りに精を出しているらしい。
イシュティナさんを連れて、最近はもっぱら、そちらばかり。
二人は急速に距離を縮めていて、契約の儀は秒読み。
年内の婚姻もあり得る――という噂だった。
そういう話題になると、周囲は楽しげに噂話に花を咲かせるけれど。
私はまだ、「婚約」とか「契約」とか、そういった言葉を、まっすぐ見ることができないでいる。
そして、そんな自分に、疎外感を感じてしまう。
勝手なことだ。
ルキアス殿下とイシュティナさんの、あの仲睦まじい姿を見るたびに、
ユリウスに応えないことが、少しだけ、申し訳なくなる。
……けれど。
どうしても――彼の腕に飛び込むには、こう、何か……決定打に欠けているのだ。
自分だけ何もすることがない。
セレノア宮で疎外感と孤独に耐えかねたのが、ユリウスが出勤し始めて2日目だった。
「……そういえば、私……ガラトゥス・ミルドア先生に、師事できるとこだったんじゃない……」
誰もいない空間に突っ込みを入れつつ、私は早速氏に会う約束を取り付けるため、書簡をしたためる。
聖女ったって、ちゃんと断りを入れて、護衛を付ければ、自由に動けるはず。
だと思う。
「……もし、ユリウスがダメって言ったら――」
私はたぶん……彼のこと、嫌いになる。
……なれたら、いいのに。