096 アカリ、壁外調査管理センターに入る
096 アカリ、壁外調査管理センターに入る
アカリ視点
アーサーさんは慣れた足取りで、巨大な壁に隣接して建てられた、石造りの重厚な建物へと向かっていく。
『壁外調査管理センター』
壁の外へ向かう全てのハンターが、必ず手続きを行うための施設だ。
うわ、でっか……!
学校とか市役所とか、そういうレベルじゃない。
飾り気のない、灰色のでっかい石を積み上げただけの、要塞みたいな建物だ。
壁には苔が生えてたり、黒い雨だれのシミがついてたりして、すごく歴史を感じる。
ひっきりなしに出入りしてるハンターさんたちの顔は、みんな真剣そのもの。
建物の入り口からは、鉄と、なんだか獣みたいな匂いが混じった空気が漏れ出してきてる。
ここが、壁の外の世界への本当の入り口なんだ……。
飾り気のない扉を開いて中に入ると、高い天井まで吹き抜けになった広大なホールが広がっていた。
カツ、カツ、とハンターたちのブーツの音が硬い石の床に響き、そこかしこで交わされる低い声がざわめきとなって満ちている。
汗と、鉄と、なめした革の匂いが混じり合った、独特の熱気が肌を撫る。
正面にはランクごとに分けられた受付カウンターが並び、その背後の壁には、巨大な木製の掲示板が設置されていた。
そこには、羊皮紙に書かれた手配書や、壁の外の天候、「嘆きの湿原、落雷注意」「ワイバーンの目撃情報あり」といった危険区域の警告、そして墨で力強く書き込まれた帰還パーティーの名前などが、所狭しと張り出されている。
「うわー……」
まるで空港の出発ロビーみたい。
でも、漂っている空気は旅行前のワクワク感とは程遠い、張り詰めた緊張感に満ちていた。
みんな命がけの戦場に行くんだって顔をしてる。
手にした剣や斧には、生々しい傷跡や、こびりついた何かの痕……。
ピリピリとした空気に、私もゴクリと喉を鳴らす。
アーサーさんがホールに足を踏み入れると、ざわっ、と空気が揺れた。
「おい、見ろよ……あれって……」
「黒騎士様だ……!本物だぜ……!」
さっきまでの熱狂とは違う、畏敬の念がこもった囁き声が広がる。
それまで談笑していたハンターたちが息を呑み、自然と道を開けていく。
赤い色のカウンターの列に並んでいた、岩みたいな筋肉の獣人さんが、持っていた巨大な戦斧をポロリと落としそうになっている。
すごい、アーサーさん、マジでスーパーアイドルじゃん!本人は絶対うんざりしてるだろうけど。
……あれ?
でも、なんかみんなの視線、アーサーさんだけじゃなくて、私にも突き刺さってない?
そりゃあ、新聞のせいで「悲劇の姫君」ってことになってるのは知ってるけど、それにしてもこのヒソピソ感……。
ハッ!もしかして、この格好のせい!?
そうだった!今の私は、手に斧、顔にはホッケーマスク……。
冷静に考えたら、伝説の英雄に付き従う謎の殺人鬼じゃん!
そりゃジロジロ見られるわ!
アーサーさんの隣で、私の羞恥心とSAN値がゴリゴリ削られていくのを感じちゃう。
いたたまれない気持ちで視線を泳がせていると、私の視線は、青色のカウンターの列の先頭近くにいた、ひときわ巨大な熊の獣人さんに釘付けになった。
顔には大きな傷跡があって、どう見てもこの辺のボスって感じの威圧感!絶対強い! でも、そのいかつい熊さんが、アーサーさんが近づいてくるのに気づくと、慌てたように何かを背中に隠した!
えっ、今のって……。
私が呆気に取られていると、アーサーさんが私の腕を軽く引いた。
「行くぞ」。
その声でハッと我に返る。
アーサーさんが真横を通り過ぎる瞬間、私は見ちゃった。
熊さんが隠し持っていたのは、毛糸で編んだ、手作り感満載の、ちょっと不格好な黒騎士様のマスコット人形!
うそでしょ!?あの熊さん、黒騎士様ガチ勢のファンじゃん!しかも手芸男子!?憧れの推しを前に、顔を真っ赤にしてモジモジしてる!なにこれ、可愛い!これが噂に聞く『ギャップ萌え』ってやつ!?
命がけの仕事に向かう直前でも、人はこういうささやかな楽しみを見つけるんだな。
張り詰めていた気持ちが、少しだけほぐれる。
アーサーさんは周囲の反応を意にも介せず、一般の列とは別に設けられた紫色の13番カウンターへと向かう。
他のハンターたちが、羨望と畏敬の眼差しで道を開ける。これが、この世界で最強の称号を持つ者の特権なんだ。
カウンターにいた制服姿の職員に、アーサーさんは首から下げた紫色のラインが入った金属製のハンターライセンスと、アイさんから預かった通行許可証を無言で提示した。
続けて、アーサーさんが私に「お前もだ」と目線で合図してきたので、私も慌てて首から下げたばかりの、真新しい仮ライセンスを見せる。
職員は私たちのライセンスと書類を確認すると、緊張した面持ちで敬礼した。
「黒騎士様、アカリ様、緊急任務、受理いたしました。」
職員は、私たちの通行許可証に、まず「新人研修」と書かれたスタンプを押した。
だが、彼女はペンを手に取ると、行き先欄の「風鳴きの丘」を二重線で消し、その横に『嘆きの湿原』と書き加える。
さらに羊皮紙の隅には、赤インクで【特例措置:黒騎士様による直接指導】という物々しい但し書き。
最後に、ギルドマスター代理の印である、グリフォンの紋章が刻まれた赤い蝋印を厳かに押し付けた。
羊皮紙に刻まれたその文字と印が、今回の任務の特殊性と重さを物語っているようだった。
アーサーさんはそれを受け取ると、無言で懐にしまった。
私たちは職員に案内され、センターの奥にあるゲート直結の通路へと向かう。
案内してくれる職員さんは、キビキビとした動きの若い女性だった。
私の腰に斧、顔にホッケーマスクという、どう見てもヤバい殺人鬼スタイルをチラチラと好奇の目で見ているけど、アーサーさんの前だからか、必死にプロフェッショナルな表情を保っている。
「こちらへどうぞ、黒騎士様、アカリ様。……アカリ様は、その、斧がお好きなんですか?」
うわ、聞かれた!絶対、新聞の『悲劇の姫君』像と違いすぎて気になってるんだ!
私がどう答えようか迷っていると、彼女は「いえ!なんでもありません!職務上の質問です!」と一人で慌てて、早口で説明を始めた。
「当センター地下には、壁の外の各方面へ向かうための専用通路と発着場がございます。通路は壁そのものの真下を貫いており、前線基地へと直結しております」
彼女の説明は完璧だけど、声がちょっと上ずってるし、目がキラキラしてる!
この人、絶対ゴシップ大好きでしょ!
私たちは階段を下り、巨大な半地下の空間へと出た。そこは、まるで巨大な地下鉄の駅みたいだった。
いくつもの坑道のような通路が暗い口を開け、それぞれの入り口には『1番乗り場:風鳴きの丘方面』『2番乗り場:灼熱砂漠方面』といった看板が掲げられている。
乗り場は全部で10番まであるみたいだ。
金属のぶつかる音、ハンターたちの怒号、そして獣の低い唸り声が反響し、壁の内側とは全く違う、まさに「前線基地」という言葉がぴったりの場所だった。
「『嘆きの湿原』方面は、7番乗り場です」
職員さんに促され、私たちは指定された7番乗り場へと向かう。
乗り場は、出発前のハンターたちの熱気でごった返していた。
武器の手入れをする人、地図を広げて仲間と打ち合わせをする人、大きな荷物を輸送獣に積み込む人……。
みんな、これから始まる狩りに向けて、最後の準備をしている。
ふと見ると、向こうの乗り場で、さっき見かけた熊の獣人さんが、仲間らしい小柄な猫の獣人さんと一緒に、巨大な鉄のサイみたいな輸送獣に乗り込んでいた。
彼らも、これから別の戦場に向かうんだ。
なんだか、不思議な連帯感を感じちゃった。
私たちが案内された先、そこには、鉄板で補強された他の乗り合い馬車とは別に、一台だけ見慣れた巨大な姿があった。
案内してくれていた職員さんが、少し得意げな顔でそれを指し示した。
「黒騎士様、アカリ様。こちらが今回、ギルドが特別にご用意させていただいた輸送獣、アブダビ殿です。黒騎士様の任務と、アカリ様の安全を最優先に考え、ギルドが誇る最高の案内人をお付けしました」
「あ!アブダビ君!」
私が声を上げると、分厚い甲殻に覆われた巨大なサソリ――先日お世話になったアブダビ君が、大きなハサミをカチンと鳴らして挨拶するように持ち上げてくれた。
「え?アカリ様、アブダビ殿をご存じで?」
職員さんが、目を丸くして驚いている。その顔には「え、なんで知ってるの!?黒騎士様のためにサプライズで用意したのに!」って書いてある。
「うん!この前、荷物運んでもらったんだ!また会えるなんて嬉しいな!」
私の言葉に、職員さんは「そ、左様でしたか……」と少しだけ残念そうにしながらも、すぐにプロの顔に戻って敬礼した。
「アブダビ殿は、遥か西の大陸から来られた蟲族の歴戦の勇士であり、ギルドとは特別な協力協定を結んでおられる方です。ライセンスブルー相当の戦闘能力、いかなる悪路も踏破する走破性、そしてハンターを守る護衛能力…まさに『歩く要塞』です。本来であれば、国家規模の重要任務にしか出動なさいませんが、今回は黒騎士様の特別な任務ということで、私の友人のアイちゃんが上層部を説得しまして、今回、特別に手配することができました!」
職員さんは、エッヘンと音が聞こえるくらい胸を張って自慢するように話した。
あっ、この人、アイさんの友達なんだ!
アイさんって、いつもはアーサーさんの足に泣きついてるイメージしかなかったけど、裏ではちゃんと仕事してるんだな。すごい、ちょっと見直しちゃった!
「すまない、助かる」
アーサーさんの言葉に、受付嬢の人は嬉しそうに顔をほころばせた。
でも、すぐにプロの顔に戻ると、私たちに深々と頭を下げた。
「それでは、黒騎士様、アカリ様。ご武運を。アブダビ殿、お二人をよろしくお願いいたします」。
さっきまでのミーハーな感じはどこにもない。これから戦場に向かう兵士を送り出すような、
真剣な眼差し。
この任務が本当に危険なんだってことが、その一言と、お辞儀の深さで、ズシンと心に響いた。
私は改めて今回の社会科見学がただのお散歩じゃないことを実感する。
私たちはアブダビ君の背中に取り付けられた鞍に乗り込んだ。
硬質な甲殻の感触と、生き物特有の温かさが伝わってくる。
視点が高くなって、なんだか戦車に乗ったみたい!
これから始まる未知の世界への冒険に胸を躍らせながらも、その厳しさを前に、私の心臓は期待と不安で大きく鳴っていた。




